幕間――仄暗い一室にて
下の頁
第二章へ

「君は美しい」
  鏡に映った己の、その十六という年頃としてもいささか線の細い女顔に向って、《死神オルクス》ラピス・オーガンは囁きかけた。
  いつの頃からだろう。それが、彼の夜毎眠りに落ちる数刻の間に行われる儀式じみた習慣となっていた。  
  だが別に、ナルシスティックな感傷によるものではないし、自分の美貌に対して賛辞を呈しているわけでもない。  
 いや、感傷と言えばこれ以上はないほどの感傷ではあった。  
  彼は恋をしていたのだ、それも自らが所属する《冥王派》にとっての仇敵とも云える少女にである。  
  そうであれば告げることはかなわない。少女にも派閥にも、そう、ましてや絶対の忠誠を誓った己が主君たる《冥王プルトン》には!
  だから夜毎に、姿見に向って、鏡の向こうに見た少女へと最高最愛の笑顔を捧げ、囁くのだ。  
 何も好き好んでこの恋情を秘するのではない。  
  周囲の者たちに笑われるだけならばいかようにでも笑っておけと言い捨てれば仕舞しまいである。それくらいのことは覚悟をするまでもなく、造作も無く堪えられる。  
 なぜならば、彼は恋をしている、彼女を愛しているのだから。  
 だが、彼は恋する少年である前に派閥の若き幹部であった。  
  主の期待を、部下の信頼を裏切るような真似はどうあっても出来なかったし、同輩への対抗心もある。  
 弱みを見せるわけにはいかない。  
  なんとなれば半ばなりゆきに過ぎぬとは言えこれまでの人生を賭けてきた行い。己が夢を、信念を捧げた正義、大義と信じた派閥 の……いいや、一族同胞の長たるの悲願を捨て去るわけにはいかないのだから。  
 だから今宵も、彼は囁くのだ。  
  鏡の中の愛しの君に向って、何処とも知れぬ虚空より取り出したそれを力一杯に握り締めながら。  
 あぁ……だから、リーゼロッテ。  
「――君は美しい!」  







 感極まって嘆声する。
 叫ぶ声はよく通り、涼やかにして快い。  
  その少年の叫びと共に、不気味な鳥の断末魔に啼く声のような硝子の砕け散る甲高く乾いた不快な音が室内に響きわたった。  
 鏡へと、瞳の中の愛しの姫へと向けて、その利き手に携えた長得物。  
  広くハルバードと呼称される種類の棹状武器だ。
  その得物の槍の部位の先端に設えられた、鈍光る斧の破壊力に富む刃に風斬る音を纏わせて力の限りに振り下ろしたのだ。  
 それで柔な姿見のごとき、枠ごとに砕け散らぬ道理はない。  
  散らされた硝子の欠片に汚れた床が室内灯を乱反射して目に痛い。
  ぎらぎらと黄みがかり白けた輝きに、ところどころに垂らされた赤い色がもう一つ別の彩りを添えていく。  
 得物をいまいちど虚空へと仕舞うと、右頬に走った朱墨しゅぼくの線をついと右の親指で拭き取って、当の鮮血のあかよりもなお鮮やかにあかい舌でもって舐めとる。そうすると自らの血の美味に陶酔とうすいでもしたのか、彼はうっとりと目を閉ざし、恍惚とした様子で三度呟いた。  
「――君は美しい」  
  この一連の出来事は、これまでにも幾たびとも知れずに行われてきたことなのだろう、板張りの床には明らかに今さっきついた物ではない傷痕きずあとが無数についていた。  
「そう。君は美しい。この手に入れることが適わないのならばせめて……! 











第二章へ