第一章――雑木林にて
人間危機に陥ると、どうにも思考が停止するらしい。
危機回避の本能と、その上に乗っかった文明人としての、卵の白身を包む薄皮――関係ないがこれは卵殻膜と云う――のような理性とがせめぎあって拮抗し、双方からの過剰な、そして時に相互矛盾する要求に屈服した脳がシステムダウンを起してしまうようだ。
ああ、人間の脳にも増設できるメモリが欲しい。
それとも単に、今回のケースは、この非常識な状況をすんなりと理解し納得することを、私の中の常識が拒絶しているだけだろうか。
いらんもの、怪しいものを蹴っ飛ばすのは良いが、ついでにそのままフリーズしてしまうとは、優秀なのだか、無能なのだか、いまいちよく判らんファイアウォールだ。
話が逸れた……と言うより、これは現実逃避かしらん。
それくらい、状況が理解できない。
少なくとも、これまで生きてきた限りでの私の知識・世界観の中に「それ」は存在していなかった。似たようなものなら蚤の市辺りで二束三文に叩き売れるほどに見聞きして来た私だけれど、それら似たようなものたちとは絶対に違うところがある。
作り事と現実だということだ。
世の中には、「虚構もまた、現実の上にのっかていると言う点ではあくまでも現実である」と言う意見もあるにはある。
そして実のところ、私もこの意見には賛成しているのだけれども、今回のそれはちょっと違う。
私はお伽噺の世界の住人ではないし、テーマパークにいるわけでもない。ここは人里近い雑木林の中にある、獣道に近い小道なのだから。
その通いなれたいつもの林道。
「それ」は現実にそこ、私の眼の前にあって間違いなく見えている。
つまりは目に入っているのだけれど、脳に情報が入ってこないと言うか、入ってきた情報の処理が上手く出来ないと言うか、どうであれ「それ」が一体何なのかまるでわからなかった。
私の視線の先、雑木林の中を走る小道の先に、十代前半の少年くらいの大きさで、器用にも直立二足歩行をする小柄な鼠が歩いていた。
最初は、等身大の人形かとも考えた。
SFやファンタジー映画に登場したクリーチャーの、ファン向けの等身大フィギュアだろうかと。ただ、どうしてそんなものが、こんなところに落ちているか、の理由までは思いつかないけれど。
それもあり、ついで、「いや、動いているから、やっぱり着ぐるみだろうか」と思いなおした。
人間ではないのだから――つまりは比較対照がないわけで、小柄と言うのが正しい評価なのかはちょっと疑わしいところがあるけれども、体長、ううん、それでも一応は人型をしているから、ここは身長としておこう。
身長一三〇センチメートルくらいの、ずばり鼠色の短い毛皮を全身に纏った鼠人間が歩いて来る。
ひどい猫背(それとも鼠背?)で実際よりもさらに数センチは低くみつもっている。それくらいに姿勢は良くない。
まあ、鼠人間の美しい姿勢なんて知らないけれど、日本だと千葉の方につがいで棲息しているお友達……だか敵対関係にあるかは知らない。まあ、それはさておき、黒毛皮の親戚(?)が持っているような可愛げは一切ない。
やはり、皆に愛されるには愛嬌が必要だという事だろう。
この顔ではマスコットにはなれそうもない。敵役がせいぜいで、怪奇映画のモンスターにはぴったりだろうけれど。
だから、私は思い込もうとした、ホラー映画のモンスターなのだと、それか特撮の怪人か。
無駄な努力の典型だったけれど。
その大きさからして、中に入っているのは子供でないとならないことになるのだが、普通、子供が着ぐるみには入らないだろう。
と言うか、そもそもカメラもなければ、撮影者たちの影も形も存在しないしさぁ!
それがゆっくりとこちらに向って、歯をむき出しながら歩いてくる。
笑っているのだろうか、それともご馳走だとでも考えてるのだろうか?
とりあえず笑い返してみる……ぶっちゃけると、口許が引き攣って、笑い顔みたいになっているだけだけども。
さて、困った、どうしよう。
いや、実は困ったどころではないのだろうが。
いまいち実感が湧かず、感慨浅いのだけれど、どうやら私は史上最大の危機と言うものに晒されているらしい。
病気、老衰、交通事故に通り魔、災害、感電死。
他にも溺死とか爆死とか、色々と将来自分に起こりえるであろう、人生最後のケースを考えたことはあったけれども、これは流石に想定外だった。
鼠の獣人。
このロール・プレイング・ゲームなどの序盤に登場して、さっさと主人公に退治されるべき雑魚キャラという地位がとても相応しい怪物に、私は殺されようとしているらしい。
熊や猪ならばまだしも考えないでもなかったけれど、空想的な鼠の怪物に食い殺されるだなんて、私の予定にはなかった。……まあ、神ならぬ人の身で予定調和的に死ねる者の方が少ないだろうけど。
あと食い殺されないまでも、未知の病原菌を持っているかもしれない。
ああ、本当に困った。
鼠、鼠、二足歩行の鼠のお化け。鼠は別に怖くないけれど、これだけ大きいと、そしてそれ以上に二足歩行をするとなると、異常に不気味だった。
鼠さん、鼠さん。貴方はもしや、滋賀県は三井寺の、頼豪阿闍梨でありましょうか。そうだとすると、比叡山はここじゃありませんよ。御所だって今じゃ、昔の坂東は武州、東京に移っているし。そもそもが京都じゃない。
こんなことを考えている暇があったら、踵を返して逃げ出さなければならないと、頭のどこかが警鐘をならしているというのに、恐怖……と言うよりも、驚愕に脚が麻痺してしまっている。
脚だけではない。随意筋という随意筋が私の意志に随わない。金縛りにあったように、手、指、喉に、表情さえも一切動かせない。この状況で変わらず心臓が動いているのがいっそ不思議だ。
私はとても、ろりめいているらしい。そう、ろりろりだともさ。
ナボコフの作品で、一躍有名になったアレじゃないぞ。「恐怖・心配などのために落ち着かず、興奮すること」であり、またその様のことだ。
ちゃんと広辞苑にも載っているし、イエズス会発刊の『日葡辞書』にも載っている由緒正しい言葉なのだぞ!
って、誰に力説しているのだ、私は?
などと阿呆なことをしている間に、怪物が私の前方、四、五メートルにまで近づいてきた。もう本当に近い。どうだろうか、このまま単なる通りすがりの対向人だったというオチで、歩いていってくれないだろうか?
望みは薄そうだけれど、一縷の望みを残して、凝視してみた。
だがやはり、いいや当然のこととして、横に逸れてくれる気配はない。
私の顔をじっと見つめながら、歩いてくる。
お互いの身長の都合で――私は、だいたい一七〇センチあるので――私が怪物を見下ろして、怪物が私を見上げる形になっているのだけれど、どうしてか見下されている気がしてならない。
これが小説か映画ならば、最高潮まで緊張が達する瞬間、山場も山場、テレビドラマならば、CMに入るところだ。
そう言えば、今朝、栞を挟んだきりだけれど、あの小説の主人公は、その後どうやって危機を乗り越えたのだろうか?
今こそ栞が必要な時だと思うけれど、現実には栞もセーブもCMだって存在しない。いや、CMはあるのか? いや、やっぱり無いな。
受胎から死亡まで、ノンストップで走り続けるミステリートレイン。途中下車は許されないし、どこで停まるかもまるで判らない。
でも、これはないんじゃない?
こんなことなら、多少遠回りでも繁華街を通って帰ればよかった。
そう、我が身の不運と無用心とを嘆きながら、思わず私は目を閉じた。
この期に及んで動いたのが目蓋だけで、他はやっぱり動かないというのが情けないけれど、覚悟を決めて――嘘だ、本当はそんなに簡単に決められるほど自分の半生に満足していない。していないけれども、そこを押して、無理矢理、がむしゃらに心を落ち着けさせる。
死ぬなら、せめて安らかに死にたい。
だから、せめて痛くはしてくれるなと、言葉が通じるのかも判らない眼前の怪物にか、それとも我ながら信じているのかも疑わしい神にか運命か。
ほんと言うと、まがりなりにも仏教徒の身としては運命なんて信じちゃいけないんだけどさ、とにかく何か自分以外の存在に対して祈った。
ただ、責任を押し付ける対象が欲しかったのだろう。
さらに、ゆっくりと、ゆっくりと、怪物の近づいてくる足音が聞こえる。
聞こえるばかりで見えないというのは、却っていっそう不安を助長する。
それなら目を開けばよいようなものだけれど、一旦下ろしてしまった目蓋はあまりにも重くって、上げられない。
ふと、足音が止まった。
恐怖する獲物を焦らして愉しんでいるのだろうか、それともご馳走はゆっくりと食べるタイプなのか。
ふいに訪れた静寂の中、先ほどまでは気にもしていなかった、我関せずとばかりに鳴き喚く蝉の声が、私の心を擾乱する。
耳朶打つ夏の風物詩がいつになく不快だった。雰囲気を厭な方、嫌な方へと無闇に盛り上げてくれる。
来るなら早く来て欲しい、来ないならばさっさと立ち去って欲しい、個人的には後者を選んでくれると嬉しいのだけれど。
そして先に根負けしたのは、やはり私の方だった、思わず目を開けて叫び声をあげた。
「まった、やっぱ、待って! 死ぬのはなし、覚悟なんて決められない。
それに私は基本的にダイエットには気を使っているから、脂肪だって少ないほうだし、多分不味いから、食べないで!」
我ながら情けないことに声が上ずっている。その内心の動揺が手に取るように判る声で喚ききった私は、ふと目の前の光景に、「って……え?」と、さらに情けない奇妙で馬鹿みたいな疑問の声を漏らした。
声を出した瞬間に、喉と一緒に金縛りが解けたようで、手足が動くようになる。それはよいのだけれど、同時に腰が抜けてしまったようで、後ろ向きに尻餅をついて倒れこむ。
倒れこみながら、私は一人の少女を見上げる形になった。
そこには、先ほどまでは影も形もなかったはずの、見慣れぬ民族衣装のような服を纏い、大鼠と対峙して立つ金髪の少女の姿があった。
白を基調にした貫頭衣風のゆったりした上着に同系統の色のパンツ。胸には甲、手には短刀。私が後姿を見上げた蜂蜜色の髪をした少女は、まるで舞を舞っているようだった。
しなやかに美しく、そして……。
「小さい」
印象がそのまま口をついて出る。綺麗よりも何よりも、それが彼女に対する第一印象だった。
たしかに年齢もまた幼く見えたが、ここで言っているのは年齢がではなくて、身長を含む体の大きさが全体的に小さかったということ。
私は地面にお尻をついて、彼女を見上げているというのに、それでも大きな感じが一切しない。
人は始めて見聞きしたものを、既知の人物事柄と比較検討して受け入れるものだけれども、私もまたご多分に漏れずそうした。
身近にいる小さな人物と言うと、ちょっと栗鼠っぽい沙羅がそうだけれど、彼女と照らし合わせても、それよりももっとちんまりとしている。
だからと言ってハムスターに喩えるには、彼女が相対する鼠と比べても、少し威厳がありすぎる。
そう、むしろ彼女を動物に喩えるならば猫科の猛獣、それも獅子や虎と言うよりもぴったりなのはピューマだ。
小さな――体格相応に薄いのかどうかまでは胸甲に覆われていて判らない胸を威風堂々と張ったその少女を見た時、まるで彼女のいる場所こそが世界の中心であるかのような、不思議なイメージが私の心を満たしていた。
私はどうやら、畏怖しているらしい。
それも有名人や偉い人を間近に見た時に感じるような安っぽい――と言ってしまうと語弊があるが――種類の畏怖ではなく、古い寺社に参拝した時や、ご神体として崇められるような古木に神奈備の山。
雄大な自然と直接接した時に感じる、大きな存在に圧倒されながら、その内に取り込まれるような神秘的な恍惚感を伴う畏怖心が近い。
まあ、体格的には、神奈備山でも神木でもなければ、ピューマでさえもなく、ずばり子猫なんだけれどもさ。
それくらい、一瞬、小学生かとも思ってしまうほどに小さい。
ただ、コーカソイドは実年齢より老けて見えるので確かなことは言えないまでも――まあ、向こうに言わせれば、私たち東洋人こそ若く見えるとなるのだろうが――じっくりと見れば私とそう大して変わらない年頃の少女だろう。
つまりは高校生くらい。
少女の身体のパーツは、振りぬかれる手から前後左右に運ばれる足まで、全てが小さなサイズで統一されているのだが、不思議と、儚げや病弱といった印象は受けなかった。
まあ、武器甲冑を身に着けて、ちゃんちゃんばらばら怪物と戦っている時点で病弱も何もないか。
そう、彼女は戦っていた。彼女は救い主だった。
救い主だった、と詳細もわからないうちに断言してしまうのは、気の早い、の謗りをまぬがれないが、私に襲い掛かろうとしていた(かもしれない)鼠と戦ってくれている時点で命の恩人と考えて差し支えあるまい。
おまけに彼女は相対する鼠男(女?)を完全に圧倒していた。
猫が鼠を追い詰めるように、容赦の欠片もなく、手にした刃で怪物の身体を切裂いていく。
これが獅子ならば、鼠が凌ぐこともあるのだろうが、なにせ彼女はピューマだ。断言する。鼠に敗れるはずがない。
少女が手にした刃を振るうたびに、身体に傷を刻まれていく怪物は、血の代わりに不思議な燐光をぶちまける。
これが血の代わりなのだろうか、こぼれでる量が増えるにしたがって怪物の動きが鈍くなっていくような気がする。心なしか、顔にも苦悶の表情が浮かんでいるような。単にこちらは気のせいかもしれないが。
燐光を浴びて、力強く、かついっそ優雅な剣舞を続ける少女の姿は幻想的に美しかった。
そう。一方が醜悪な怪物だと言うことを差し引いても、いやそれが却って際立たせるのか、この世のものとは思えぬほどに美しかった。
しかし確かに美しいのだが、冷静に考えて、この燐光が怪物の血肉なのだとすれば、これでもかとばかりに血と肉片を浴びながら、せっせと切り刻み続ける少女と言う、実は相当に猟奇かつスプラッタな光景なわけだ。
だがまあ、そういう我ながら妙に捻くれ醒めた感想は意図的に無視することにして、その豪壮果断でありながらなお優美な戦いぶりを堪能する。
そしてどのような素晴らしい舞踏、楽劇にも、終幕はやがて訪れる。終わりなき舞台は見苦しいだけだ。
「せいっ!」
それまではどちらかと言うと淡々と、黙々と作業をこなすように戦っていた少女が気合一声、裂帛の呼気とともに怪物の喉笛を切裂いた。
そしてそれが致命傷となったのか、たまらず怪物が前向きに倒れ伏す。
「やった」
私は、思わず呟いた。内心ではさらなる大声で喝采をあげている。
昂奮する私の眼前で、燐光の奔流に包まれながら、彼女はその懐から――目を離した覚えなどないのに、不思議なことにいつのまにやら、胸甲が消えている。そして胸は予想通りに薄っぺらい――小さな翡翠の香炉を取り出すと、眼前に掲げ、なにやら呪文めいた言葉を呟いた。
すると、山と積もった小麦粉を力一杯叩いた時や、穂先状に燃え盛る花火のように、ばっと燐光が飛び散る。
火薬の爆発や火山の噴火のようでもある。
少女を覆い隠すように広がった燐光が、一転、換気扇に吸い込まれる煙のように、少女の掲げる香炉状のものに吸い込まれてしまった。
最後の光の粒が吸い込まれる時、少女はちらりとこちらに眼を向けたようだった。先ほどからなんだかんだと言っておきながら、今始めてまともに見たような気がするその顔は、一言で言えば凛々しかった。
ただ凛々しいと言う形容詞では、どこか少年的な雰囲気を与えてしまうかもしれないけれども、そんなことはなくて、とても可愛らしい女性的な、決して男性と間違われることはないであろう美少女でもある。
そういった一見たおやかな美貌でありながらも、身体両面で力強い印象を与えてきた。
まるで、女神アテネの肖像のよう。
そんな印象だけを、ぼうっとした私の心に刻み付けて、はっと気付いた時にはもはや少女の姿はどこにもなかった。
怪物の姿もなく、雑木林の湿ってゆるい土の上に残る、足跡と言う確かな戦いの痕跡を除いてしまえば、全てが白昼夢であったかのようだ。
どうやら、異常事態は全て私の前から去ったらしい。
「助かったぁ……のか?」
実感がないけれど、そうらしい。
「まあ、最初の鼠の怪物って時点でそもそも実感なんてないけどさ」
先ほどまでの、緊張で声も出せなかった状況の反動か、堰を切ったように、とめどなく独り言が漏れ出でる。
「けれども、普通。こういう時は、ボーイ・ミーツ・ガールであって、ガール・ミーツ・ガールって言うのは……」
まあ、最近は結構、そういうのもあるし、これが「ジジイ・ミーツ・ジジイ」とかに比べれば、遥かに美しいから良いか。
と、未だ腰を抜かしながら、私はその混乱する頭で妙ちきりんなことを考えていた。
その後、すっかり暗くなってしまった道を行き、家に帰ると、既に両親ともに揃っていた。それも当然か、いつもならば既に食卓を囲んでいる時間だ。どうやら、私はあそこで興奮の余韻に浸るばかりに、ぼうっとしている合間に結構な時間をくってしまったらしい。
心配そうな表情で迎えた両親に対して、制服のお尻のところが泥と木屑に汚れていることを誤魔化すのには、ちょっと手間取った。
どうもこの気の抜けた様子と相まって、一瞬両親はあまり好ましくない想像をしてしまったようなのだ。つまりは私が、その、暴行を……ええい、はっきり言おう、強姦だ。それを受けたのではないか、という。
それはどうにか、説明と言うか誤魔化しというか、うやむやにできたが、それでますます疲れた。
昨日の今日、どころか先刻の今で気抜けしている私は、夕食を淡々と済ませて、お風呂も浴槽に浸かるような気分ではなかったのでシャワーで済ませた。
湯上りに、扇風機の前で見るとはなしにテレビを見ながらぼんやりとしていると、そんな気はなかったのに扇風機からの送風で髪が乾いてしまった。それで、パサパサになってしまったので慌てて櫛を入れる。
パサパサ、と言うのはまあ、誇張だけれど、ここで怠けるとそうなってしまうだろう。それは楽しい未来ではない。
私は髪を梳くのは嫌いではなかった。無心に櫛を流していると、ゆったりとした心地になれるからだ――ただし枝毛を発見しない限りにおいて――私は背中まで流れる自分の髪を、丹念に梳った。
ゆったりと、波間にたゆたうような穏やかな気分、きぶん、き……ぶ……あふぅ。
欠伸が洩れた。
時計を見ると九時を少し回っていた。いつもだったらまだまだ眠る時間ではなかったけれども、やはり疲れているのだろう。
それで、髪が多少ましになったところで眠ることにした。
そして布団に潜り込んだその時、それはやってきた。
布団の中で、枕に右手を添えて、少し横向きになって目を閉じ、ほうっと溜息を一つついた直後、私は自分の身体ががたがたと震えていることに気付いた。
そしてもう一つの事実に改めて気付いた。
夕方の雑木林の中では身体だけではなくて、心がそもそも麻痺していたのだと。恐怖が今更ながらに実感となって襲ってきたのだと。
眠く、疲労した身体もだるい筈なのに、妙に目が冴えて眠れない。
朝まで起きていた気もするし、数分で眠ってしまったような気もする。
それで結局、いつ、眠れたのかは覚えていない。