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第壱話

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1-3 【天空の格闘戦‐ドッグファイト】



欧州の尾根の名を以って呼ばわれる、アルプスに連なる山岳の内、森々たる真暗き森が広がっている。
 その本来であれば静寂に満ちた森の只中にあって、重い機械が動く鈍い音が響いている。数輌のトラックを中心として立ち働く作業服の人間たち。通常、このような真似をすれば森林保護官が黙ってはいないはずなのだが、奇妙にもそれを止めようとする者は誰もいなかった。
 その場は何とも奇妙な熱気に満ちていた。言葉はない、機械の発する音と熱の中にあって黙々と続けられていく作業の中、トラックの荷台に寝かされていた“積荷”が起き上がっていく、そしてそれはどこか人にも似た形をしていた。
 作業服と、それとは違うきっちりとした衣装、言うなれば戦闘服を着込んだ人々の見守る中。その奇妙に歪んだ人の形をした何かはトラックから降りると片膝をついた体勢で蹲る。その状態でさえ十数メートル、周囲の木々の幾つかを越えている。
 その偉容にどよめきが起こる。歓声だ。発っすまいとしながらも、思わず挙げてしまったのだろう、どこか籠もっていた。
 その“人型”の周りへと作業服たちが取り付いて作業を進める様を見つめる戦闘服の一団の中にあって女は想う。
「まるで、虫の屍骸に群がる蟻のようだな」と、あるいは神像を囲む信奉者たちか。いや、これの前にあっては人間すべてがそうなのだろう、これこそまさに比類ない“力”だ。
 彼女はそれに力を見出していた。このくすんだ金髪にヘイゼルの瞳をしたゲルマン系の女こそ一団の長である。折りしも作業が完了する。それを受けて彼女は高らかに宣言する。
「……これより、山岳地帯に於ける飛行性能評価試験を開始する」


「はあ!? お話にならないわね」
 議場を揺さぶるのは、盛大に響き渡った、雷鳴の如き怒鳴り声。
 理解できないといった風に、額に掌を遣りながらかぶりを振るのは、ヴァルカン計画は兵装部門の責任者であるテレサ=アッバード少佐である。そして怒鳴りつけられているのはシュナイダー社開発部の渉外とプレゼンテーションを担当する職員たち。
「そりゃあ、それを採用すればかなりの高性能化が見込めるでしょうけれど、その代わりにそれを一つ造るのに一体幾ら掛かるのよ。私たちが必要としているのは一品物の工芸品やら芸術作品なんかじゃなくて、安定性と量産性に優れた“兵器”なのよ。その点と予算との兼ね合いについて貴方たちは一体どう考えているわけ?」
 自分自身、何て嫌な女だろうかと思いながらも、軽く皮肉を浴びせかける。
 八つ当たりだと判っていたが、せずにはおれなかった。
 例のシミュレーション訓練から数週間、アッバード少佐は連日会議と折衝とに明け暮れていた。
 意外だと思われるかもしれないが、このような組織間の意見の調整・折衝、予算の獲得に配分、プロジェクトの承認と却下といった地味かつ地道な作業こそがヴァルカン計画に於ける兵装部門の責任者である彼女の主な仕事であった。
 そういう訳で連邦軍(のみならず場合によっては地区政府軍をも含めて)の各地の工廠に技術部・経理部といった軍内部の組織と、軍の外郭団体である“地球圏防衛委員会”に“新世界戦術戦技研究所[通称:戦技研]”、テスラライヒ研究所にシュナイダー社その他の外部の組織とこうして意見を戦わせているのだった。
「えっ、私? ……私は良いのよ、私は。……良いって言っているでしょう!!」
 と、ふいにそれまで横で聞いていた別の職員から思いがけず反論を受けて、言葉を荒げる。
 曰く、「アッバード少佐こそ職権を濫用してコスト度外視の趣味的な兵器を造っておられるし、それを予算会議で叩かれているではありませんか」とのこと。
 多少、痛いところを衝かれたといったところなのだろうか、少々どもりはじめる。そしてそれを見た他の技術者・職員たちもここぞとばかりに一致団結して彼女の作品の予算の喰い具合、自分たちのプロジェクトの優秀性といった諸々を口々に訴え始める。
 事実としてアッバード少佐の設計した兵装の中には極めて趣味的なコンセプトの下に設計されたとしか思えないような奇天烈なシステムに、彼女の御高説に首を傾げざるをえないような予算度外視の兵装が時折散見される。その優秀性は疑いようも無く、その点に関しての文句をつけている技術者は一人もいないということからも推して知るべしというところなのだが、やはり少々虫がいいと言わねばなるまい
 突然の弾劾裁判はあわや弾劾者たちの勝利に終るかと思われた。しかしながらやはり彼らは調子に乗りすぎたのだろう。
 ダン!!
 何かを力いっぱい殴りつけたような鈍い音が盛大に轟くやいなや、それまで議場を包んでいたお調子にのった糾弾者たちとそれに附和雷同する者たちの声は一瞬で霧散し、代わって静寂が場を包む。それは正しくスイッチを入れ替えたかのように。責め立てていた者も、苦笑して傍観していた者も皆、一言も発せられない。
 それほどに彼女の発する気迫は恐ろしかったのか、彼らは後に異口同音に語っている「人はありえないと言うかもしれない、だが果たせるかな自分たちはその時確かに何かが切れる音を聞いたのだ」と。
 そして逆切れ気味の反論(?)が始まる。
「私が良いって言えば良いのよ! お分かり!? ……そう、分かればいいのよ、分かれば」
 微妙に怪しくなってきた雲行きは、ゴルゴンもかくやという鬼女の形相と気迫で以って覆し、その極めて自己中心的かつ理不尽な屁理屈ともいえない理屈を無理が通れば道理が引込むとばかりに無理からに押し通す。まあ、向こうも向こうでご同類の屁理屈を弄していたわけだからお相子と言って言えなくも無いのだが。
 それに彼女には同情すべき点もある。
 職員たちには数日おきのこの会議だが彼女にとっては似たような会議が毎日どころか午前・午後・夕方と日に三度、多い時では五回以上の頻度で行われているのだ、それも半分は経理部やら上層部のお偉方やらの上役に対する、益体もない説明会であり、そこでは彼女が今の技術者の立場に立たされる。
 おまけに佐官の彼女に対して相手は将官もうようよいる偏屈な老人どもだ、縦社会の権化とも言うべき軍でのこと、口答えなどは許されよう筈もない。となればいい加減フラストレーションも溜まろうというものだ。
 正直な話、「それくらいの役得がなければこんな仕事やっていられるか!」というのが彼女の偽らざる想いである。
 そうして、今さっきの反論が呼び水となったのか、冷めやらぬ激昂に任せて常日頃の不平・不満を述べ立て始める。聞かされる身としては居心地悪く、いい面の皮といったところであるが、彼女を停止させようという勇者は一人も存在しなかった。
 そうしてアッバード少佐はただひたすらに悪口を言い募る、その様は正に立て板に水と言った風情である。このような場面では彼女の該博さが恨めしい。持てる限りの修辞学上の技法に、演劇や映画、聖書に小説、果ては哲学書に先端工学の知識などからの引用に次ぐ引用を駆使して罵倒しつくす。
 最後の方では、流石にネタが切れ始めたのか、それとも単に考えるのが億劫になってきたのか『ハゲ』だの『ちょび髭』だのレベルの低い代物が大勢を占めるようになっていたが。
 その罵倒の失速を見た一人の女性がここぞとばかりに宥める。彼女はメリィベルと呼ばれていた。それを受けて、ようやくといった態で落ち着きを取り戻すアッバード少佐。いや、正しくは冷静さ自体は保っているのである、悪罵は単なる憂さ晴らしであった。
 ともあれ会議は踊り続ける。怒声を舞手に、苦情を舞曲に、何時になったら果てるとも知れずに、だ。
 そして会議が始まって九十分ほども経過したであろうか、いいかげんに参加者たちにもダレが見えはじめて来た頃のこと。
 ふいに、アッバード少佐の顔が引き締まる。軽い緊張と驚愕を帯びていた。
「! 何ですって!! 早すぎる……っと、ちょっとお待ちなさい」
 そして慌てたようにそう一言告げたかと思うと、何もない空間へとその顔を向け、空気との会話を始める。
 一見して、正気を疑われてもおかしくない行動なのであるが、誰も別にそれを不思議とは思わないのか、その点で訝しがる者はいなかった。ただし、会話の内容そのものには興味があるらしく、多くのものが耳をそばだてていた。
 だが、
「……そう、…未…認……が…ポ……ト……7……へ……」
 なにやら、重要な事を話しているというのはニュアンスで読みとれるのだが、その話し声は奇妙なほどに遠くで話されているように途切れ途切れにしか聞き取れない。
 その後の数分間。独り言染みた行為を続けていたのだが、とうとう何らかの決着がついたらしく、ふいに話を議場へと戻す。もっともそれは、居並ぶ列席者に会議の一時閉会の合図を告げる為ではあったが。
「……残念だけれど。緊急の事態が発生したらしいわ。今日のところはお開きにしましょう、次の定例会議で会えることを楽しみにしています。そして今度はもう少し生産性も考慮してもらえれば嬉しいわ。アッリヴェデルチ!」
「さようなら」と、己の母語であるイタリア語で、そう一言告げて彼女は席を立つ。
 するとその姿が一瞬歪んだかと思うと「Stay Away From Chair」の文句と共に椅子に懐かれた空間が暗転する。そしてそれを見届けた他の参加者たちも三々五々に席を立ち、その姿が揺らいだかと思うと空間は暗転し消え去っていく。
 それこそ中世の人間が見たならば、すわ彼奴らは幽霊ででもあったのか、と驚くところであろうか。いや、中世の人間ではそもそもこのような状況に出会う筈はないのであるが。なにせコンピュータなど存在しない。
 そう、そこはネットワーク上にCGによって構築された仮想の会議室であったのだ。そうとなれば列席者は全て皆、異なった場所と異なった(現地)時間に存在していたわけである。
 そして現実のテレサ=アッバード少佐が存在していたのは、ローザンヌ基地内部に用意された彼女の執務室であった。
 それまで仮想現実の会議室が投影されていた、今はスイッチの切られたヘッドマウントディスプレイ(HMD)を外して完全に立ち上がった少佐は、肩に手をやり軽く揉み解すように首を回しながらしばらく室内を眺めていた。
 そしてそうしながら軽く息を吐いて気を整えると、椅子に掛けていた上着を掴み、大会議室へと歩き始めた。
 基地司令のコーウェン准将以下、ローザンヌ基地の主だった幹部将校たちも既に向かっているらしい。
 今度は現実空間での対面式の会議である。
 事が事だけに、機密保持の観点からも、それが如何に完結したローカルエリアネットワークを持つ基地の内でのことだとは言え、通信を介さず実際に向かい合って行うべきだとの判断によるものだ。
 コンピュータネットワークの概念が登場し、実装もされてから、既に二百年以上が経過しているが、今だに機密性を考慮する限りは、ネットワークから切り離された場所での対面式の会議に優るものはなかった。


 十分前の執務室。
 流石に高級士官用の執務室だけあって調度品等もなかなかに上等な物が揃えられている。まあ、切子細工のグラスの入った棚であり、豪華な装丁の施された今時珍しい紙の書籍である、などといった物は、単なる虚仮威しであろうが。
 しかしながら、これが案外と馬鹿に出来ないのである。
 一部には金の無駄、そんな処に使うくらいなら装備に廻せといった声も聞こえるが、なに、如何に豪華といっても所詮は見栄え重視の代物である。本当に高価な、それこそ国宝級のアンティークなどならば兎も角、この基地内の将校執務室の調度品全てを併せても、最も安いミサイルの一つさえもあがなえまい。
 それくらいならば、将校の部屋を飾り立てて、階級の差による待遇の格差というものを目に見える形で見せ付けてやった方が、下の者の向上心を起こさせるのに役に立つ。
 そうすれば懸命に働くことだろう、資本主義と競争の原理はここに於いても有効なのだ。
 しかしながら一先ずそれはさて置き。
 その豪華な執務室の椅子。これまたスプリングが良く利いて、快適そうな革張りの椅子だ。
 それに腰掛けて装置に向かう少佐も画面の内のその他の者も皆、部下や上司には見せられない様な狂騒からどうにか抜け出し。会議は未だ多少のぎこちなさを残しつつも、だらけ始める者もいくらかは出てくるほどには平常を取り戻していた。
 しかし、ここが基地の内部であるからには、その扉の外側、壁の向こうにはそれこそ何十人、何百人の士官や兵士が存在するわけである。
 となれば、見られた、あるいは聞かれたのではないかと思う向きもあるだろうがさにあらず。この執務室に限らず将校クラスの執務室にはほぼ完全な防音処理が施されている。たとえその中でサブマシンガンをぶっ放そうとも、爆弾が炸裂しようとも、隣室で扉の外でいくら耳を澄まそうとも無駄なこと、まるで聞こえはしないというのが開発陣の売り文句であった。
 そしてまあそれは誇張が過ぎるとしても(防音以前に壁や扉の強度が爆発や銃弾に耐えられまい)少なくとも人間の怒鳴り声などでは、とてもとても壁を突破することは出来ないし、よしんば内線が繋がる、伝令が来る等のことがあったにしても余程のことでなければ予め先に断りのコールが入る。それで幸いに部下に対する威厳などが損なわれることはないのであった。
 まあ、あの剣幕だ、別の意味での畏怖ならば幾らでも得られたかもしれないが。
 ともあれ、会議はそれが起こるその時までは大過なく続いていたのだ。
「……それで、例の剣……あれよ、あれ、例の1/3スケール試作機。開発コードはSRGW-03-02-TS2だったかしら。あれを、ウチに廻してもらえない? どうせ、機構の完成後は倉庫で埃を被っているだけなんでしょう。少し改修してやれば……」
 PVシリーズの1号機。正面突破用の機体として仕上られる予定の、量産型ゲシュペンストMk−2のカスタム機の武装に関してテスラ研の職員と相談していた丁度その時。突如、聞く者の不安感を煽る様な甲高い音が室内を、いや基地中を充たす。
「! なっ! スクランブル」
 驚愕の声を挙げるアッバード少佐。
 それは基地内の要員に対するスクランブルのサイレンであった。それも緊急度のレベルが上から二番目の。
 そして間髪を入れず今度は執務室に新たな音が響く。多少の配慮かコール音が一度鳴り、次いで強制的に卓上の通信装置が何処かへと繋げられ、ディスプレイ上に音声と画像が転送・出力されてくる。管制室の基地オペレーターによる内線だ。
 そして、前述したように機密保持や士官のプライバシーへの配慮などによる規定が存在する、そういうわけで通常ならば断りの合図に対する部屋の主の許可を得て初めて通信を繋げられる決まりである。ところがそこへ、予告のコールもそこそこに、緊急の報告が入れられたのだ、サイレンの緊急度の高さも相まって、その驚きの程度は察するに余りある。
 かといっていつまでも驚き困惑しているわけにもいかない。
 アッバード少佐は眼の部分に装着している眼鏡型のHMDの片一方、右目側の機能をオフにした。
 HMD内に投影展開されていた議場の光景から立体感が失われ、急速に現実感が喪失されていく。そしてそれに反比例するように室内への現実感、危機感がいや増していく。
 画面の裡。手早く全体を眺め渡す。オペレーターの背景に垣間見える者たちの慌しく作業をする姿に漏れ聞こえる緊張を孕んだ声。それらからも管制室の慌てていること、余程の緊急事態であることが窺がえる。
 装った冷静さの内にも確かな緊張を感じさせる強張った表情をして、オペレーターの女性下士官が努めて淡々と告げてくる。
「本基地の管区内。ポイント46.58,6.07にて巡回部隊が正体不明機と遭遇、数は4。シエラ小隊、エコー小隊の戦闘機2個小隊が迎撃に発進しました」
 正体不明機。それを聞いて例の偵察機ではないのかと確認をするアッバード少佐に対してオペレーターは否定の言葉を紡ぐ。そしてさらにこう続ける。未確認ではあるが、巡回部隊の報告では地球製の機体、半人型の航空戦力であるように思われる、と。
 それを聞くやいなや、それまではまだ余裕を持っていた少佐の顔から余裕という言う余裕が完全に失われる。そして会議室のメンバーへと向けて少し待つように告げる。
「エアロゲイターではないとすれば……EOTI機関のアーマードモジュールだとでも?……くっ早すぎる!」
 どうする、と僅かの間考えていたようであるが、「私も惚けているわね。」と、ふいに何かに気づいたという風に苦笑する。一佐官、一技術者に過ぎない自分が独りであれこれ考えても然程に意味は無い。
「……いえ、何でもないわ。この事は司令には……そう、既に報告は行っているのね。それで司令はなんと?」
 そうオペレーターに訊ねるに、「各員警戒態勢で待機。待機中の戦闘部隊、整備班を除く尉官以上の階級の者は基地大会議室に集合するように」とのこと。
……妥当な判断ね。飛行不可能のPTを一機送ったところで焼け石に水……それに今からでは間に合わないか。
 そうやって判断する一瞬の間を置いて、オペレータに伝える。
「了解した。直ぐに向かうわ、貴方は貴方の任務にお戻りなさい」
 そして、オペレーターとの通話が終了するや暫らく目を閉じてなにやら考え事をしていたかと思うと、直に目を見開きメンバーへ向けて会議の閉会を告げた。
……想像通りAMだとすればテスラドライブを標準装備しているはず。メッサーやゲシュペンストでは分が悪いわね。
 苛立ちを眉宇に漂わせる。
……それ以前にバグスが飛行能力を備えると判った時点でテスラドライブ搭載型の増産は急務だと解りきっていた事でしょうに!
 場当たり的かつ腰の重い、軍上層部の保守性に、幾度目とも知れない憤りを覚える。しかしながら。今となっては最早過ぎ去った事。もとよりこぼれたミルクを幾ら嘆いても詮無きことだ。そう、軽く息を吐くと彼女は会議室へと向かって歩き始めた。


 ジュラ期の語源ともなった、ジュラの山並みは千五百メートルほどとそれほどに高いものではないが、石灰岩の地層が露出する険しい斜面や深い峡谷が走り、そのところどころをモミなどの針葉樹の森が覆っている。
 その針葉樹林の緑の上に六個の影が黒色を落としている。上空を飛び行く飛行機の影である。
 スクランブル発進したシエラ小隊とエコー小隊の戦闘機二個小隊、編隊を組んで飛行する計六機のF−28メッサーはそろそろ正体不明機の確認されたポイント付近に到達しようとしていた。
 しかしながら、対象は飛行しながら移動しているのだから、現在もそこに居るとは限らない。
 当然のこととして、今や全く別の場所へと正体不明機は移動していた。
 メッサーの編隊は、一個小隊ずつ二手に分かれる。
 基地の管制と、対象を最初に発見し現在追跡中の巡回部隊、彼女達との間で相互にデータをやり取りしながら、その位置情報を基に正体不明機の一群に対する包囲網を展開する為だ。
 暫らく飛び行くと、報告のあったところより多少離れた地点で戦闘を捉えた。追う側である巡回部隊のメッサーが三機と、逃げる四機の正体不明機とが繰り広げる、延々と続く追いかけっこの姿がモニターに映る。
 追いかける巡回部隊には有効な攻撃力が存在せず、逃亡する正体不明機には攻撃する意志が存在しない。存在までは明かしても性能までは明らかにしたくないのだろう、可能な限り戦闘は避けようとしているらしく思われた。
 と、程なく包囲網もまた完成する。いや、逆か、包囲網が完成したから近づいたのだ。
「……ッと、あれかねェ。正体不明機ッてェのは。……しッかし、なんなんだい、あれは。戦闘機に無理から手足をくッ付けたとでも言うのかねェ。何とも不恰好なことさね。そう、まるで出来損ないのオアンネスだよ!」
 モニターに映る望遠カメラを初めとする観測機器によって捉えられた正体不明機の姿を一瞥した、“SIERRA[シエラ]”小隊長のイサーベルラ=イェン[袁]大尉は簡潔にそう評した。
 オアンネスというのはバビロニアの魚人で、その姿は背後から見ると直立する巨大な魚そのものだが、正面から見ると魚を被った人間に見えたと言われる。実際にその正体不明機は手足の生えた魚とでも形容するしかないような姿を備えていた。
 イサーベルラ大尉も感じたように戦闘機がベースになっているのであろう、戦闘機時代の名残であろうと思われる空気抵抗の少ない流線型の頭部はまさしく魚を思わせるし、後付されたと思しい手足と胴体下部の、頭部に対するバランスの欠如も全体的に前かがみをしている魚人という感想を際立たせていた。
「……まァ。無駄だとは思うんだけれどねェ、一応は義務として軽く警告しておくとするかねェ」
 どうにも気乗りしないと言ったふうに、正体不明の人型機動兵器の編隊に対して、自分たちの所属を告げしかる後に着陸し投降する事、誘導に従わない場合は連邦軍ローザンヌ基地飛行部隊の権限に基づいて攻撃を開始する旨を勧告する。
 もっとも自分でも無駄だろうなと思っているらしく、随分となおざりな対応ではあったが。それと本音を言えば相手が巡回部隊に気をとられている間にさっさと遠距離よりのミサイルなり、高高度からの奇襲攻撃でケリを付けてしまいたかったのだ。
 そしてやはり当然と言うべきだろうが正体不明機にはまるで従う気は無いようであった。
 未だ、戦闘機隊に向けて積極的な攻撃を加える意志はないようであるが多勢に無勢、このままでは離脱も覚束無いと考えたのだろう、突破の為に戦闘隊形を組み始める。
 さらに限定的にではあるが搭載火気の解除をも決意したらしい。胸部の多銃身機関砲、所謂バルカン砲を全機一斉に射撃する。そして頭部後ろの、人で言えばうなじから肩甲骨に当る部分に設置されたノズルから噴流を発して高速かつ急激な軌道を描きながらシエラ小隊へと向けて突進する。
 慌てて回避するシエラ小隊の戦闘機たち。その隙に速度を落とさずにそのまま一気に前進し離脱を試みる正体不明機の一群。
 空中戦で敵に背を向けるのを嫌ったというのもあるだろうが、敢えて正面から突破することによって戦闘機が方向転換している間に距離を稼ごうというのだろう。
「ッチィ! 迂闊な。……にしても、何てェ機動力だい。魚の出来損ないにしては、チッタァやるじャあないかい。各機アタシに続きなッ! お客人を何のお持て成しもせずに返したとあッちャ、シエラ小隊の名折れだよッ!」
 そう、僚機を叱咤激励しながら極めて効率的な制動で方向転換を行うと同時にアフターバーナーを点火する。
 空を切り裂く雷鳴の様な轟音が響くと共に再度燃焼された廃棄ガスの喚起する大推力が強烈な勢いでメッサーを前方に運んでいく。それに遅れじと僚機も続いて行く。
 それを見た、シエラ小隊とは別の方角。丁度、不明機を中心として120度に位置していた“ECHO[エコー]”小隊、小隊長のティモシー=スプリングフィールド少尉も負けじと機体を加速させながら、軽口でもって僚機を叱咤する。
「オラっ野郎ども! エコー小隊も姐さんの部隊に遅れをとるんじゃねえ。イサーベルラ姐さんが見てなさるんだ。無様やらかしてみろ、頭っからバリバリ食われっちまうぞ」
「言ッてくれるねェ、ティム坊や。アタシャ、魔女かなにかかい?」
 ティモシー少尉の軽口を聞きとがめたイサーベルラ大尉が苦笑しながら訊ねる。しかし言うほどには怒っていないらしい。自分でも多少の自覚があったからだが。しかし、それに対する少尉の返答は何ともふるっていた。
「いんや。昔っから空飛ぶ女は魔女だって相場が決まってるもんなんだがな……姐さんあんたはウィザード(達人)さ!」
 そう言うと同時に、正体不明機の内、一機に対してロックオンした自動追尾式ミサイルを発射する。着弾と同時に盛大な爆発が起り、破裂した弾頭に剥離した装甲の破片混じりの爆風と爆煙が一瞬視界(モニター)を妨げる。
 しかしながら致命傷を与えたとは言い難い。視認することこそ出来ないがセンサーより得られる情報から、削ったのは外部装甲の一部に過ぎず、飛行・戦闘行使能力には問題は無いだろうことを判らざるをえなかった。
「ちぃ。硬いじゃねぇか。機動性も高い、装甲も桁違い、おまけに見るからに推進剤も多そうときた。このままだと振り切られるのも時間の問題か……こうなりゃ、懐に潜り込んで直接接合部をぶち貫くか……」
 メッサーの最大の攻撃力であるホーミングミサイルを背後からまともに受けたにも関わらず、まるでダメージらしいダメージの見られない正体不明機に業を煮やす。
……装甲と装甲の継ぎ目に直接、鉛玉(実際はタングステン弾)を叩き込んでやらなきゃ堪えもしねぇってか。クソッタレ。
 そう、ティモシー少尉がドッグファイトを挑もうかと考え始めた頃。レーダーに新たな反応が忽然と現れる。
「と、何だ? ……おいおい、このコードは……!」
 その数はこちら(正体不明機含む)に合わせでもしたのか同じく十三。そして新たに現れた反応群の識別コードは態々照合するまでも無く少尉にとって、ひいては他の戦闘機パイロット八名にとってもある意味で馴染みのあるものであった。
 何故ならば彼らは元々このコードを有する存在に対する戦力としてローザンヌ基地に配置されていたのだから。その識別コードは……AGX−01!
 その翅を広げた甲虫のような形状より、
「バグス!」
 すなわち『虫』と名づけられた小型の無人機である。エアロゲイターと呼称される地球外知性の使用する機体で、戦場や軍事施設、研究施設を狙って出没する習性……プログラムから偵察用の機体だと考えられている。
「ちいっここまでかい!」
 忌々しそうにイェン大尉が叫ぶ。彼女は一機の“半魚人”に切迫していたのだ。
 だがこれが現れたからには正体不明機と追いかけっこをしている暇は最早無かった。
 それは彼らの最優先任務がこの機体の殲滅であるからというのもあるが、それ以上に正体不明機もまた地球製の機体である。ならばそれと悠長に交戦して態々地球の戦力を教えてやるわけにはいかないのだ。
 そういうわけで、戦闘機隊は非常に不本意にではあったが正体不明機の追跡を停止しバグスの殲滅へと移った。
 そして正体不明機の一隊はこれを幸いと離脱していく。
「シエラリーダーより各機へ。シエラリーダーより司令部へ。これより我々は最優先任務へ移行する。繰り返す。これより最優先任務に移行する」
 離脱する敵を一頻り睨みつけると。そう、先ほどまでとは打って変わった真面目な表情と声質で通信を行う。ただしそれも一瞬のこと、通信の終了後には即座に本来のノリに戻ってときの声を挙げる。
「野郎どもとお嬢ちゃん! パーティーへの無粋な闖入者への対処は勿論心得ているだろうねェ、それがホストの、紳士淑女の嗜みッてェもんさね。……そうさッ丁重にお引取りを願うんだよ! そらッ、接吻代わりに熱いミサイルを受け取りなッ! Fire!!」
 ミサイルを発射すると同時に旋回しながら加速して、一気にバグスの後ろへと廻る。
 チキンレースも真っ青の距離まで速度を緩めることなく前進し接敵する。ぶつかる直前、やっと軌道を逸らす、ほんの僅かばかり、そうやって紙一重でバグスの上を通過する。超音速の機体が発する衝撃波に態勢を崩したバグスへと向けて機銃を発射する。それでひとしきり発射し終えるとまた爆煙を纏いながら次の敵機目掛けてミサイルを射出する。
 そうして瞬く間に二機、三機と撃ち落としていく。
「ちっ、魚の次は虫かよおい。空を飛ぼうってんだぜ、テメェらっ、どうせなら鳥の格好をしてきやがれってんだよ!」
 バグスに向かってそんな悪態をつきながらティモシー少尉がそれに続き、他の者たちも先ほどの“パーティー”を邪魔された鬱憤を晴らすかのように縦横無尽に大空を駆け抜けて行く。
 そして僅かに二分と少し。それで戦闘は全て終了していた。無論この活躍にはわけがある。
 先ほどの正体不明機に対して小型偵察機に過ぎないバグスの性能が低いというのもあるが、彼らは連邦軍でも有数のエースたちであり、尚且つバグス戦に慣れていた。
 その中でも特に両隊長の活躍は目覚しく二人で半数以上の七機を撃墜した。大尉が四機で少尉が三機であった。
 そして戦闘終了後。
 燃料の比較的多い者を警戒に残して戦闘機隊は帰還していった。未帰還機なしでの敵機殲滅の喜びと正体不明機を取り逃がしたことへの悔しさとを同時に覚えながら。
 やがて、交代の部隊と残骸の回収部隊が訪れるだろう。そして戦闘の痕跡と異星人の存在を思わせる諸々の証拠が全て洗い流されるのだ。
 連邦政府は現時点では未だエアロゲイターの存在を公表していなかった。


 ローザンヌ基地大会議室。
 現在ここには基地司令のロジャー=コーウェン准将に参謀官のフレデリック=アーロン中佐。ヴァルカン計画のテレサ=アッバード少佐にユークリッド=ローラン中尉ら基地の幹部連が一部を除いて勢ぞろいしていた。
「……EOTI機関のAMにエアロゲイターの偵察機か」
「はい。極東支部よりの報告にあった機体とは、細部に於いて多少の差異が見られるようですが、まず同一の機体、AMと見て間違いはないかと。そうなれば現有の陸戦兵器を主軸とする連邦軍戦力ではどちらも厳しい相手かと」
 五十を目前にして太鼓腹、鉤鼻に硬そうな顎鬚を蓄えたコーウェン准将が、その大海賊の船長を想わせる磊落な顔に苦慮の歪みを刻みながら、思わずといった風情で呟き、それに対して英国紳士を自任する典型的ジョンブルといった感のある、枯木の様な痩身の中年参謀アーロン中佐がいささか言わずもがななことに、律儀にも返答する。
「……何を考えている、ビアン=ゾルダーク。待てないというのか」
……待てないのでしょうね。日増しに増えるバグスに審議会の横槍……止めに例の『南極』と来ては。
 なおも続く准将の呟きにアッバード少佐も一人物思いに耽る。現状ではそれくらいしか出来ることは存在しない。
「司令。恐らくは次の南極が重大な岐路となるかと思われます」
「うむ。……後手に廻らざるを得ないのは業腹だが、結果がどう転ぶか判らぬ現状では……防備を固め警戒を厳にするしか手はあるまいな」
 そうしたある種最初から判りきっていたとも言える、結論めいた言葉をコーウェン准将が口にした直後のことであった。
 イサーベルラ=イェン大尉以下の戦闘機部隊が基地に帰還したという報告が入ったのは。


 ジュネーブの郊外を四輌の大型トラックが列をなして走っている。
 積荷の詳細は緑色の分厚い布が覆いとして被せられているので判らないが、一見して何の変哲もない、ありふれたコンテナが積まれているように見えた。
 その一群のトラックが向かうのは郊外に存在する巨大な倉庫である。
 そこはイスルギ重工の系列企業の所有になる倉庫の一つである。だがそれは、実体を持たない名目だけのペーパーカンパニーであり、ここに働いている従業員たちも皆、イスルギとは別の、とある組織の構成員たちであった。
 トラックが倉庫へと入ってくる。このトラックを運転して来た者達もそうである。そして倉庫の奥に完全に入りきって停車する。先頭のトラックの助手席から一人の女性が降りてくる。
 降りてきた女性に対して、倉庫内で立ち働いていた者たちが、動きを止めて敬礼をした。
 倉庫の中は外見から想像出来るものとは全く違っていた。
 入り口付近は確かに幾つもコンテナが積み重ねられた空間で、倉庫をしているのだが、奥の方には倉庫に必要だとは思われない工作機械が幾つも置かれている。倉庫というよりも、最早この設備は工場である。
 そう、実際そこは秘密の工場であった。
 元から倉庫内で働いていた一団の中。彼らの内で最も年嵩である、責任者らしき初老の男性が女性に声をかける。
「ご苦労様でした。ノイマン大尉」
 その女性は二十代の半ばほどと見えた。それは確かに数刻前、森の中に居た一団のリーダーであるかと思われた女性である。
 彼女は名前をイドゥベルガ=ノイマンと言った。
 その老人の声にノイマン大尉は頷きで返すと、トラックの方へと眼を向ける。同じく男性もまたそちらへと眼を。
 彼女らの見守る中でトラックの覆いが外されて行き、荷台にロープで固定された複数のコンテナが露出する。
 いや、それはコンテナではなかった。複数のコンテナに表面上偽装された一体型の覆いである。
 ノイマン大尉らが運んで来た物はその中にこそ存在した。
 そのコンテナに偽装された覆いが今度こそ完全に取り払われて、本当の中身が露わになる。
 それは正しく、イェン大尉たちが取り逃がした“半魚人”であった。
 ではこの機体、アッバード少佐らローザンヌ基地の軍人達が“AM”と読んでいた物はこの場所で作られたのであろうか。
 組み立てを担当したのはここであったが、製造は別の場所である。
 ここを拠点としているのは、国境の向こう側で運用してスイスへと緊急時に非難する為である。ローザンヌ条例の存在の為に、連邦軍はスイス地区内部に逃げ込まれた相手をそのまま追うことが出来ない。
 四機分全ての覆いが取り除かれると、その中に装甲の剥離した機体のあるのを発見して老人が疑問の声を挙げる。
「……む、戦闘を行われたのですか?」
「ああ。巡回部隊と思しき戦闘機の編隊に追い掛け回されたが、非常に優れたパイロットだったよ。もしかすると、噂に名高い欧州の“ウィザード”かもしれないね」
「“ウィザード”!! 空で出会うには最悪の相手ではありませんか……良くぞご無事で」
 その二つ名には老人も聞き覚えがあった。そう欧州方面軍の擁するトップエースだったはずだ。
 確か、三年程前にバルカン半島で起こった紛争鎮圧を皮切りに数多くのテロルや紛争の鎮圧作戦に従事し、最近ではエアロゲイターの偵察機との戦闘を幾度も重ねながら、未だ一機たりとも僚機を失ったことがないという話だが。
「なに、違うかもしれないよ。だがまあ、凄腕だったな、少なくとも私などよりは遥に……」
 偽らざる心境である、同じ条件で出会っていればまず帰ってはこられなかっただろう。
「ただお蔭で良いデータが採れた。今の連邦には碌な航空戦力は無い。あれほどの手錬れですらリオンを仕留めることは出来なかった、地を這うばかりのPTなど何をいわんや、だ」
「しかし、何も戦う必要は無かったのではないですかな?」
 いかにも腑に落ちないといった態で苦言する。
 今後敵対する連邦軍に手札を晒すなど慢心が過ぎるのではないかと心配しているのだ。
「なに、不幸な遭遇戦だよ。まあ狙っていた部分がなかったとは言わないけれど」
 アーマードモジュール、“RAM‐004・リオン”の完成には実戦が必要だった、やった行為そのものは、戦闘というのもおこがましいような、ただ逃げ回って翻弄しただけであるが、それで充分である。
 それに、この善良な老人には秘密の狙いもあった。
……完全に知らせるつもりはないが、多少は連邦軍にもこちらの手の内を知ってもらわなければならないのだ、総帥のお望みどおりに。


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