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第壱話

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1-2 【仮想世界の防衛戦‐シミュレーション】



そこはどこまでも続くかと思われる、遮る物とてもなき茫漠たる平原。
 突如、巨大な機械が動く際に発する軋みのような鈍い音と、巨大な銅鑼を出鱈目に叩いたかのような重厚且つ甲高い、耳に痛い音とが轟いたかと思うと、やがて、砲弾や銃弾がさかんに飛び交い始める。
 見れば、十機を越える兵器の群れが、向かい合い銃撃の応酬を繰り返している。
 砲弾の発射音に空気を切裂いて飛翔する音。音速と光速の覆しがたい絶対の差。マズルフラッシュの閃光と超音速の為に当の弾丸よりも遅れて届く諸々の音。
 流れ弾が土を穿ち、砲弾が岩を砕く。撃墜された戦闘機に戦車が炎上を初め、それが平原の草々に飛び火していく。それはまさしく燎原と燃え上がる戦場の光景であった。
 だが、しばらくするとこの場所がどこか奇妙なことに気づくだろう。
 まず風が吹かない、そうとなれば雲が流れることも無く、昇る煙もたなびかない。時折陽炎が立ち昇る様に景色が歪み、地平線は常時ぼやけている、その上太陽の光もどこか虚ろだ。
 極めつけは臭い、このように草の茂る平原だというのに土や草の匂いがまるでしない。銃弾が飛交い、火煙りの尽きぬ戦場だというのに、硝煙の臭いも、燃え上がる火焔、立ち昇る黒煙、それらの臭いもまるでしない。
 なんとも現実感を欠いた光景であるが、それも当然でここはシミュレータ内に構築されている仮想現実の世界であった。


 しばし時は遡る。
 ユークリッド=ローラン中尉がゲシュペンストMk−2を駆ったその翌々日のことである。処はフランス地区はローザンヌ基地。
 ここで人によっては「ん?」と疑問に思われるかもしれない。ローザンヌはフランスではなくスイスの都市ではないのか、と。
 確かにその通りではある。
 だがやはりここはフランスであるし、別にフランス地区内に他にもローザンヌが存在するというようなわけでもない。
 基地名称にて言及されているローザンヌは、確かにスイス地区はヴォー州の州都、バレエとオリンピックの街として知られるレマン湖畔の大都市ローザンヌである。
 対してこの基地は、正確な立地こそ公表されてはいないのであるが、少なくともジュラ山脈の内に存在するらしい。
 だがそれならば、如何にこの基地がスイスとフランスとの国境線が走るジュラの山中に存在するとは言え、ローザンヌ基地を名乗る謂われはないのではないだろうか。
 しかし訳も無くそのようなことにはならない、その背景にはとある理由があった。
 それを説明するにはやはり『スイス地区内に於ける連邦政府並びにスイス地区政府の軍備に関する特別条例(通称:ローザンヌ条例)』についてを説明するにしくものはないであろう。
 ことほどさように、この条例の存在こそが事態を端的に象徴しているのである。
 これは、同地区に対して「国民皆兵制であった旧スイス連邦以来の伝統に基づく、スイス地区軍を保有する権利と地球連邦軍の同地区への長期駐留の免除特権を与える」といった趣旨の条例であり、それが何を意味するかというとつまりは連邦政府は同地区内に“連邦軍”の基地を公に設置することが出来ないということである。
 何故そのようなことになるかと言えば、スイスという土地が経てきた歴史に由来する。
 元々スイスという土地は永世中立を標榜し、そこに住まいする人々も、良く言えば独立不羈(どくりつふき)の気概を持った人々である。
 それは、旧西暦時代のスイス連邦であった頃より、その永世中立の理念に基づき、旧西暦も21世紀に入った、2002年までは旧国連に対しても未加盟であったという事実や、欧州連合やその後身である欧州連邦を経て、そこにモロッコを先頭に北アフリカ諸国の幾つかが合流した、“汎ヨーロッパ・マグリブ連邦(PEMU)”未参加の現状などからも窺えるだろう。
 まあ、悪く言えば閉鎖的で、強すぎる相手とは表立って喧嘩しないくせに、同程度の相手とならば幾らでも受けてたち、同地区内だけでも、やれあの州の奴らは○○だ、やれあの地域の奴らは××だと些細な違いをあげつらい、悪口を言い合えるぐらいに偏狭で、それを自覚して“娯楽”として楽しめるぐらいには居直った性格であるとも言えるのだが。
 ともあれ、原則として中立を重んじる同地区が地球連邦の発足・加入以後もその政府・軍部とはいささかの距離をおいてきたのは事実であり、その後の連邦政府とスイス地区政府との政治的・軍事的妥協の結果、スイス・フランス国境帯、ジュラ山中の比較的平かな場所を選んでどうにか建設されたのがローザンヌ基地である。
 その建設の趣旨は、「ローザンヌ条例に基づき、常にはスイス地区の主権を尊重し、危急に際しては支援要請に応じてこれを援ける」為とある。
 それでまあ、その危急というものの頻度がどの程度のものであるかと言えば、その日々の業務の大半がスイス地区内に関係したものである、と言えば判るだろうか。
 ここに基地が置かれた最大の根拠は、有事に於けるスイス地区防衛へのコストパフォーマンスが少なかったからだ。そして、いざと言うときには、スイス地区制圧にも有利だからである。
 そしてそれはスイス地区政府も判っている。面子を守りつつも実をも取るということだ。
 つまり、同基地の名称は都市そのものではなく、緊急時スイス地区防衛という建前の下、同条例に基づいて与えられたものなのである。
 ジュネーブやローザンヌの辺りはスイス人をして、「奴らはスイス人ではなくて、フランス人だ」と言わしめるぐらいにはフランスの文化的影響下にあったというのもあるだろうが。

 それはそれとして、ローザンヌ基地である。
『特殊兵装試験小隊』に用意された待機室。室内には三つの影があった。それは現時点でローザンヌ基地に駐在している二名の隊員と彼らの隊長である。現時点でと言うのは、本来のこの小隊のPTパイロットの定員は四名だからだ。そして最後の一人、副隊長を務める人物は現在不在。ヴァルカン計画参加の軍需企業、シュナイダー社へと出向中であった。
 ヴァルカン計画とは欧州方面軍軍団長のエスメラルダ=ベラスケス少将の主導する特殊兵装開発計画であり、彼ら『特殊兵装試験小隊』もまたそれに基づくものである。
 その一人、試験部隊を表す紋章のワッペンが着いた薄緑系統の軍服を、洒脱に着崩した下士官がいる。まだ若い、十代の後半、少なくとも二十を越えてはいないだろう。無作法にも机に腰掛けていた。
「ええー、今日もシミュレータ訓練っすか。折角、ゲシュペンストが配備されたんですから実機訓練にしましょうよ」
 伸ばした足を、椅子の背もたれに引っ掛けてぶらぶらやりながら、そう不平を述べる。
「ミッシェル。アナタ、そういうことはそのシミュレータで生き残れるようになってから言えば。今の腕じゃ訓練でさえ死亡しかねないんだから、操作ミスで」
 着用を想定される者の性別による、意匠上の異同は多少ともあるが、同じ制服をこちらは少年とは対照的に、キッチリと着こなした女性下士官が応じる。二人とも年のころは同じぐらいだろうが、こちらはなんとも辛辣である。
「ヒデェ! この女、こんな事言いやがりますよ、隊長!」
「まぁ、本当のことじゃないのか、ミッシェル」
 一方が皮肉を言うかと思えば、もう一方は上官に泣きつくという微妙に情けない行動に走る部下たちを、やれやれと苦笑しながら軽くいなすのは、彼らの隊長である二十代半ばの士官。それは、先ごろ基地内演習場にてゲシュペンストMk−2に搭乗していた、ユークリッド=ローラン中尉その人だった。
「もっとも、そういうイスミも偉そうなことは言えないがな」
 ミッシェル=アンリ曹長への中尉のつれない言葉に、「それみたことか」という顔をするイスミ・ナデージュ=カシマ(鹿島伊澄)曹長へも軽く釘を刺しておくのも忘れない。
「ムッ……」
 一転して憮然とするイスミと、それをバーカとばかりに、にやついて眺めるミッシェル。きっ、という擬音が聞こえてきそうな勢いで、馬鹿っぽい表情を顔面に貼り付けたミッシェルを睨み付ける、イスミ。
「ったく、お前等は。いいか、いみじくもイスミが言ったように、だ。今のお前たちでは機体を壊すのがオチだ、精々シミュレータで磨けるうちに腕を磨いておけ。実戦の日がいつ何時訪れるかは誰にも判らない、その時になれば後悔さえも出来ん、操作を誤ればそこに待つのは死ばかり、だからな」
 一頻り額にやった手を振る。それから、苦笑を収めると、訓練に対する自分の思いを淡々と述べる。次いで、我ながら重くなった感じたのか、一転、軽く冗談めかして言葉を紡いでいく。
「なに、もとより一機しかないんでな、技量って通貨の手元不如意な下士官どもに、下手に弄らせて壊されっちまう前に嫌々ながらも士官優先で行きましょうってな。だから次に使うのはティモシーだ、というわけで残念だが、今日も明日も明後日も、お前たちを待っているのはシミュレータでの訓練さ」
「スプリングフィールド少尉ですか? えっでも……」
「ティムの兄貴は戦闘機乗りじゃないっすか。しょっちゅう本人が、『地面をうろうろ這い蹲ってるPTは嫌いだ!』、『俺はヒコーキが、空が大好きだ!』って言ってるんすよ。それくらいなら、本職のPT乗りの俺たちに廻したほうが効果的ですって、絶対!」
 異口同音に驚きの声を挙げる。前者は純然たる驚き、後者の主成分は不平であるという細部の違いはあったが。
 彼らが話しているティム。ティモシー=スプリングフィールド少尉というのはローザンヌ基地の飛行部隊に属する小隊長の一人で、その飛行機好きは基地内全てに知れ渡っていた。
 ローラン中尉としてもミッシェルの言い分には大いに納得する部分もあったわけであるが、生憎と決定権は彼には無かった。それで懸命に言い募る部下に対して無情にもこう告げざるをえない。
「ああ、いくら言っても無駄だ無駄、お上の決定事項だからな。本人の好き嫌いじゃなくてPT操縦技術への習熟は基地内の戦闘要員全員に義務付けられているんだ、まあ私もアイツがそうそう簡単にPTに鞍替えするとは思わないけどな。そら、こんなこと言っている間にも時間は過ぎていくんだ。とっととパイロットスーツに着替えて行った行った」
 そんな放っておいたらいつまでもじゃれあいを続けていそうな二匹の仔猫を、雑談はここまでだと、しっしっと本物の猫を相手にでもするかのような仕草でもって追い払う。それに、まだまだ両曹長には実機訓練は早いと考えているのも確かであった。


 シミュレータルームとはその名前の通りにシミュレーション訓練に用いる機材の置かれた部屋である。だから当然そこにはPT用を含めて幾つものシミュレータが設置されている。そしてこれまた当然であるがシミュレータはコンピュータである。
 基地内部は基本的に空調は完備されているのであるが、経費節減なのかなんなのか通常初夏の今頃は未だ冷房が入ることはない。そんな基地施設の中では例外的に、この部屋はコンピュータに合わせてか、冷房が利いている。その他とは違う、低めに調整された室内環境が、暑くなり始めた初夏の今頃には心地がよい。
「……寒」
 しかし彼女には少し寒かったらしい。制服からパイロットスーツへと着替えたイスミが呟く。
「寒いってお前、そいつはちょっと寒がりにすぎるんじゃないか?」
 呆れたようなミッシェルの声。彼が訝るのも当然かもしれない。冷房されているといってもそこまで強いものではないし、第一彼らが着ているパイロットスーツには保温機能が備わっている。実際、ミッシェルなどはこれでもまだ暑いくらいだと感じていたわけであるからそれもひとしおである。
 それでしばらく首を傾げていたのだが、ふいに「おっ!」っと叫び声を発する。ふと思い当たる事があったのだ。そうしてニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら、妙な調子で続ける。
「そうか、そうか。あれだね〜イッスミン。君ってば脂肪が少ないもんなぁ〜色々と、い・ろ・い・ろ・と!」
 ぎゃははは、と下品な笑い声と共に、そう言うミッシェルの視線が向かった先はイスミの身体だった。特に胸元と腰まわりを重点的に眺める。
 往々にして、脂肪が少ないと寒さへの耐性に欠けるものだ。そしてイスミの体形というのも、脂肪よりも綺麗についている筋肉の方が目立つという、全体的に起伏に乏しい、アスリート向けのそれである。そして身体のラインがそのままに出る、パイロットスーツでは尚更にそれが目立った。
 ありていに言うと、彼女は俗に言う“貧乳”である。
 しかしそこはやはり、女性である。見た目に充分な柔らかさを備えていたし、見方を変えれば、凹凸の少ないということは全体としてのバランスが取れているのだとも言える。実際、全体的に小ぶりと言えども比率そのものは見事なものである。
 ミッシェルなども常々、彼女のスレンダーな肢体を美しいと考えていたのだが、そこはやはり照れがある。そうそう、言えるものではないし、見れるようなものでもない。……いや、やはり時々自分でも知らぬ間に首筋だの胸元だのに視線が行っていたりするか。だがそれも健全な男として当然の反応ではある、木石で出来ている人形ではなしに、血と肉とで出来た人間だ。それも憎からず思っている少女を、とあっては尚更。
 それでまあ、おおぴらに観賞するつもりでの発言であった。本気で馬鹿にする気はない。
 しかし、からかいともスケベイ心ともどちらにでも取れそうなミッシェルの言葉と視線とを受けて、イスミは一言、
「…………死ね」
 それは本気の声色だった。そうしてイスミはギリギリと壊れた人形のようにゆっくりとミッシェルの方へとふりむく。
 その一切の感情という色が窺えない蒼白な顔色の中に唯一感情らしきものを露わにしている部位がある。それは眼。青水晶のようなと形容される青く澄んだ透明な瞳は、その透明性の高さゆえに彼女の心を透かし見せているかのよう。そしてそれが示すのはただただ純粋な、
 怒り。
 ぞくっ!
 野生の本能だろうか、いっそ動物的とも称されるミッシェルのその鋭敏な勘が警告を発する。危険だ、退避しろと。そう危険を告げる部位が盛大に警鐘を鳴らしていた。……今更だが。
 遅いわ! そう自分で自分にツッコミを入れるミッシェル。それほどに今のイスミの目付きは恐ろしかった。
 ミッシェルは確信した。心臓の弱い人間ならこれで充分殺せると。
 伝承にある、邪視というのはこういうものだったんじゃないかと思わせる。
 ……びくぅ!
 イスミが動いたのを見て、ミッシェルは思わずすくみ上る。心臓が早鐘を打つ。「殺される」半ば以上本気でそう思った。
「あのぅ………イ、イス…ミ、さん?」
 腰が引けた状態で相手の出方を窺う。そんな少年の情けの無い姿を少女は汚物を……ですらなく路傍の石を眺める目付きでもって見やることしばし。嫌な緊張感が場に満ち満ちている。緊張に耐えかねたミッシェルは思わず目を逸らす。
 それを破ったのはイスミであった。
「なあに?」
 平坦な声で紡がれる、そんな、あくまでも平凡な言葉が何よりも恐ろしい。
……怖えー、マジで怖えーよ。
 ことここに至っては男に出来ることは一つしかない、
「ええっとね、……スンマセン! ホントもう、マジでごめん」
 ひたすらに謝るのだ。他にもあるのかもしれないが、少なくともミッシェルは知らなかった。
 どれくらいが過ぎただろうか、平身低頭、謝りつづけるミッシェルを、ゆらりと幽鬼の様な無表情で眺めていたイスミの顔が少し歪む。目元をゆがめると、溜まりにたまった息を吐き出す。
「…………はあ」
 そして、「阿呆」と一言呟くと、イスミは軽く微笑んだ。それは無理矢理に作ったらしい、未だ怒りの後が色濃く残るものではあったが、間違いなく微笑みであった。
 元々彼女は冷静かつ慎重な性格の持ち主である。じゃれあいみたいなものである普段の喧嘩はともあれ、本気の怒りは疲れるからやめておこうと自制している理性と寛容の人である。
 それは逆に、怒る時は溜め込まれた怒りの力が恐ろしいことになるのだが、それは別の話。
 一瞬の激情の後に、どろどろに沸騰しつつもどこか冷静な頭の一部が囁いた。「今日のところはひとまず許してやろうよ」と。ただ、理性では判っていても行えるかどうかは別問題である。あそこまで緊迫し、あわや爆発するかとも思われた状態から持ち直すとは何とも見上げた自制心である。
「……お? おおっ! は……ははは。アホとはなんだよアホとは〜」
 声の感じが変わったことに気付いたミッシェルが驚きの声をあげる。そうして嬉しがっているような悲しんでいるような微妙な表情で引き攣った声で笑う。
 これは許してくれたと考えていいのだろうか? 多分そうだ。いや、そうでなくては困る。……うん、そう決めた。
 固く誓う、「以後、この話題は封印しよう」と。
 考えていることが丸分かりである。目は口ほどに物を言うというが、これほど表情に感情の出るものも稀であろう。
 最後の抗議はこれでいつもの状態に戻る為の儀式みたいなものである。
「ふふふ……」
「ははは……」
 引き攣った笑い声が響きあう。独特の殺気の余韻の含まれた空気が醸成される。と、そこへ丁度折よく、と言うべきか折悪しくと言うべきかローラン中尉がシミュレータルームに入ってくる。
「待たせたな……ん? まあいい。訓練を開始するぞお前達、シミュレータを起動しろ」
 当然、そのおかしな気配には気付いたのだが、大方いつもの喧嘩だろう、今日は派手にやったらしいが、既に終ったことを蒸し返しても仕方がないとばかりに、気にしないことにする。
「「了解!」」
 二人としてもローラン中尉の気遣いはあり難かった。ミッシェルも珍しく軽口一つ無く命令に従った。


 曹長二人はめいめい筐体へと入り、起動スイッチを入れる。
 実を言うと、大元の部分で電源は既に入り、プログラムも起動されてはいるのだ。しかしながら、訓練の一環としてゲシュペンストのコックピットを模した筐体内の擬似コックピットにてエンジンの点火からなにから一切を実行してからでないと、システムが立ち上がらないように設定されていた。
 そしてローラン中尉は『管制室』と呼称される部屋へと入る。
 『管制室』とはシミュレータの上部装置の設置された部屋、正しくは装置そのものである。その内部はPTキャリア内の指揮所を模した構成となっている。それは管理下の筐体にて展開されている仮想空間と戦闘シミュレーションを概観し、そのパラメータを観測・処理してCGをリアルタイムで生成する装置である。
 シミュレータの各種設定を設定・変更・管制することができ、その為正式名称は別にあるのだが『管制室』と慣用されていた。ある意味では『管制室』こそがシミュレータの本体であり、各筐体はデバイスに過ぎないとも言える。そこでローラン中尉は訓練を観測し、彼らを監督するのである。

 世界は凍り付いていた。
 現在の設定になる世界は平原である。そこに戦闘機と戦車が各四機、蒼色と赤色の対照的に塗り分けられたPTが各二機存在していた。伝統的な敵味方の塗り分けであり、その内の蒼いPTが両曹長の搭乗する機体である。
 もっとも、あくまでもそれはCGに過ぎず、現実の曹長達が座っているのは筐体の内部であったが。

「聞こえるか。二人とも」
 筐体内部、通信機のスピーカーからローラン中尉の声が聞こえてくる。
 シミュレータ筐体のインターフェイスはPTの基本規格に従って厳密に再現されている。だから、当然通信機能も実機と同様に装備されている。基地に配備されている実機のゲシュペンスト備え付けの通信装置は映像を上手く伝えないのに対してこちらは鮮明に映し出す分より上等かもしれない。
「はい、感度良好です」
「ういーす、聞こえてまーす。ってかスピーカーからだけじゃなくて、筐体の外側からも直で聞こえてくるんで、どっちも一緒くたになって聞こえてきまっす。……つうか、ぶっちゃけた話、タイムラグが微妙に気色いっす」
 極々わずかにではあるが、機械を介する際に相応の時間が必要であるし、音速というものもある。自然、二種類の音の到達するタイミングには食い違いが出てくる。
 そのことについて言っているのだが、それにしても立ち直りの早い男である。
 日本地区の伝統的玩具“おきあがりこぼし”でも未だゆるやかだろう。
「ミッシェル、それは無視しろ」
 モニタの右隅に小さく表示されるウインドウ中のローラン中尉の顔もどこか呆れ気味である。
「ういっ。おいおい、イスミン。この距離で感度不良だったら逆に変だろぉ、ECMが行われているわけでなし」
 懲りない男だ。本人は話題が別だから良いと思っているらしいのだが、そういう問題でもなかろうに。
「……アンタ、本当いいかげんにしなさいよ。いくら、訓練だって言っても、もう少し真面目にやれよ」
 思わず許したのは早まっただろうかと思う。
「あん、オレはいつだってマジメだって」
 少なくとも本人はそう信じている。
「へぇ、じゃっ、アナタってば四六時中、二十四時間営業で“バカ”なのね。まあ、とっくにわかってたことかもしれないけど」
「ああッ! ちぇ……」
 ちょっと噛む。
「……ちぇ?」
「う、うるせぇー! そっそれよりもだ、て、てめぇ、今さっき、鼻で笑いやがっただろ!」
 鼻頭のあたりをうっすらと朱に染めながら、誤魔化すかのように言葉を叩き込む。
「だから?」
「……いや、だからって、その、お前は、俺を馬鹿にしてるのかってことで」
「何を今更」
 話はそれでお終いとばかりに、冷淡に軽く切り捨てる。収まらないのはミッシェルである。彼が更に続けようとしたその時。
 審判の槌が下る。
 そんな部下達の、止む事を知らぬ、低レベルな痴話げんかじみた罵り合いに業を煮やしたローラン中尉が一喝する。
「……はぁ。じゃれあうな、馬鹿ども! 訓練も任務だ。それとミッシェル。そんなにECMがお望みならば後で電子妨害下のシチュエーションでも組んでやる」
 スピーカーと外側からコーラスで響く怒声が鼓膜を叩く。
「ういっす、失礼しました」
「申し訳ありません、中尉」
 謝罪するにはするのだが、どこまで本気でやっているのだか。
「ったく、お前らは幼稚園児か、寄ると触るとおちょくり合いの騒ぎあいだ」
「ええー、そんなことないっすよ」
「黙れ。ここまでで一分半、実戦なら三回は死んでいるぞ、敵は待ってはくれないのだぞ」
 そこでもう一度大きなため息をつくと、埒が明かないと思ったのか、気を取り直して続ける。
「いいか、お前たちは二機、敵は計十機だ。ゲシュペンストのパラメータは敵もお前たちも同じに設定されている。任務は敵機の殲滅ではない、一定時間の基地の防衛だ。さて、どうする」
「なぁに、オレにかかればあんな奴ら楽勝っすよ」
 太平楽をのたまう。
「だから、防衛だっての」
「逆に殲滅するか、まあそれも手ではあるな。数でこそ劣るがあくまでも大多数はメッサーにバルドングだ、やりようによっては不可能ではないだろう。手段はお前たちに任せる」
 疲れたようにイスミは突っ込んだのだが、意外にもローラン中尉は肯定する。
「いえ、流石にアタシたちの技量では難しいかと」
 謙虚にと言うよりも、それが偽らざる想いだった。
「ところで一定時間とはどれくらいなのですか?」
 それに対する返答は「秘密だ」とのこと。別に嫌がらせではない。
「時間の指定などしたらそれに合わせられるだろうが、いつ果てるともしれない持久戦という状況下で、弾薬を保ちながら戦うのも技術のうちだ、勉強しておけ。まぁ、ケチりすぎても駄目なんだが」
「わかりました」
「ならば、そろそろいいかげんに開始するぞ」
「あっいや、ちょっと待ってください」
 ミッシェルが待ったをかける。
「……なんだ、ミッシェル?」
「そういや、隊長。武器を放り投げるのってどうやるんでしたっけか?」
 兵器が手から簡単に外れてしまっては事である。放り投げるにも特別な操作が要求される。
「マニュアルの第八章と付録の十三頁にそれぞれ書いてあっただろうが!」
 かなり、後ろの方である。それも道理か、通常そのような操作を行う必要のある状況は少ないはずなのだから。そして持ち替えるだけならば武器交換を機体に指示すれば勝手にOSが実行してくれる。
「……いや、オレそんなところまで読みませんし」
 何を言っているのかなこの人は、とでも言いたげな調子で、しゃあしゃあとのたまう。
「……そのざまで、貴様は実機訓練を要求していたのか……」
 怒りというよりもいっそもはや、怒り疲れて呆れ果てたといいった風情。
「てゆうか、今時紙のマニュアルってのが……オレって、ああいう紙切れ眺めてると眠くなってくるんすよね。ゲームとか家電とかでも取説読む前に実地で覚えてくタイプだから」
「……家電云々はお前の勝手だ、好きにすればいい。だがな、PTでは、実戦では身体に染込んだ知識と技術の総量が勝敗に直結するのだ、学習と訓練の密度が貴様の生死を分かつと思え。10の能力があれば現実に発揮できるのはその内の1、2だ」
「2、3って説もありますぜぇ」
 本人には別段茶化してる気は無いのだが、傍から見るとふざけている様にしか見えない人間というのはいるものだ。本人は呑気に「隊長って……若いのに養成校の教官の爺婆連中よりも頭固いよなぁ〜」などと考えている。
「ああ。わかった、わかった。好きなだけ身体で覚えろ、その為のシミュレータだ……いいな、今度こそ本当に始めるからな」
 いいかげん投げやりにもなるだろう。だが、そればかりでもいけないなと無理矢理に気力を奮い起こす。
「始めろ!」
「「了解っ!」」
 そして、二人の声が重なって、世界はその動きを始めた。


 仮想空間内。
 CGによって再現されたローザンヌ基地(スケールは十分の一程度であるが)の周囲の平原に、蒼く塗られた二機のPTが起動する。あたかも魔法の言葉で命を吹き込まれた、ユダヤの巨人の如くに。
 そして二機の蒼白なる亡霊は戦の庭へと歩みを始めた。同じく動き出した己が敵を討ち滅ぼす為に。

「それで、どうするつもり。本当にアイツらを殲滅する気かしら」
 モニターに映る〈敵〉を見やり、装備を確認しながら、イスミは尋ねる。字面だけをとれば揶揄しているようにも見えるが、実のところ結構真剣にミッシェルにその気があるのかどうか確認していた。
 今回の装備は『M950マシンガン,コールドメタルナイフ,バーストレールガン』である。
 隊長が言うとおりに今回の訓練の達成目的が基地の防衛で持久戦になるのなら、弾薬の数に注意しないと……。そう考えながら、ミッシェル機と基地、そして敵陣とを順繰りに眺める。
 実際はこのコックピット(筐体)の外にはこのような戦場など存在しないし、全てCG、作り事に過ぎないと判っていても緊張する。
 そしてたとえシミュレーションであっても自分が駆るのは兵器なのだ、緊張感を失ってはならないと思う。彼女は考える、慣れと惰性で以って武器を振るう者に、それを扱う資格は本当はないのだと。たとえ訓練であっても、いやだからこそ人は、武器に、暴力に対して真摯に謙虚であらねばならない。
 もっとも、真物のゲシュペンストのモニターに映る映像だとてCGであるから、それほどには変わりないのかもしれない。
 頭部のモノアイカメラを筆頭とした光学的観測機による情報は確かに重要であるが、そんな可視光線だけに頼るような原始的なシステムではない。もっと総合的に音波や電波・赤外線・紫外線などの電磁波、放射線、温度、距離などを観測・分析した情報を基に、カメラの捉えた映像をコンピュータで補正したCGが表示されるのである。
 そのままでは欺瞞情報である可能性もあるし、現実的な問題として人間の身長は高くて2m前後である、それが急に十倍になった視点からの映像をそのまま流されても、距離感その他が狂って大方の人間は対処できない。コンピュータでそれを補ってやる必要があった。
「おう! って言いたいところだけどさ、やっぱ無理だよなぁ」
 威勢良く応じたかと思うと一転して気弱にぼやく。
「確実にね」
 淡々と止めを刺すイスミ。本人としては意地悪をしているつもりはなく、素直に言っているだけのつもりである。
「グッハァッ! せめて、貴方なら大丈夫! くらい言って欲しいねまったく」
 お道化半分、大袈裟に芝居がかった調子でショックを表現する。だが半ばまでは本気で嘆いている。
「あら、ゴメンあそばせ。ワタクシ、正直さという美徳を尊重しているの」
「さいですか……取り合えず邪魔っ気なメッサーを蹴散らそうや、後のことはそれから」
「そうね…って!」
 同意したかと思うや、驚愕の叫びを挙げる。眼前では彼女の住む“軍事上の常識”が支配する世界には存在しない光景が展開されていた。
「アナタ、どうして戦闘機に突っ込むわけ! 信じられない、狙撃でしょう、普通!」
 高空を舞う戦闘機を殴ろうというその神経が理解出来ない。
「オレの腕じゃ、どうせ当りはしないよ。それで無駄弾撃つよか、近づいてぶった切った方が良いだろ、イスミはイスミで撃ち落してくれよ」
「呆れた。だからって相手は高速で空の上飛びまわってるのよ、っと、先ずは一機!」
 イスミ機の手の中のバーストレールガンより放たれた砲弾がメッサーの一機を捉える。
 それは一見して、出鱈目に見当違いの中空を適当に射撃したかのように思われるほどに、無造作に放たれた砲撃であったが、その軌跡の辿る先、射線の上へと自らメッサーが飛び込んできた。
 それは一見無秩序に飛交っているように見えるメッサーの航路をつぶさに読みきったイスミの精確無比な射撃であった。高速で飛び行くがゆえに、進路上に何が飛び込んでこようとも即座に停止することが出来ないのだ。
 そしてまた、一機が撃墜される。今度は体の左側、腰だめに構えた機関銃よりの銃撃だ。メッサーがホーミングミサイルを射出する直前にその弾体そのものを撃ち貫いた。
 結果、誘導弾は即座に爆発四散して、その爆発がメッサー自身をも巻き込んだのだった。
 見事な腕前である。若いながらも試験部隊に抜擢されたのが、決して伊達ではないということをその高い技術が証明していた。
 眼を転じて、方やミッシェルはと言えば。
「そらそら、どけどけ雑魚どもが! ブースター点火!」
 コールドメタルナイフを振り回しつつ、大声で叫びながら推進装置を盛大に吹かしメッサー目掛けて跳躍する。一瞬、メッサーよりも高く跳びあがったミッシェル搭乗のゲシュペンストが両手で構えたナイフを大きく振り被り、重力の働き、落ちるに任せてその力で以ってメッサーを叩き切る。
 後は地上に着地するだけだと言うところで、右側面に強烈な衝撃を受ける。
「うっわあ!」
 その勢いのまま、左へと数メートルばかり吹き飛ばされて転げ落ちるゲシュペンスト。
 見れば、赤いゲシュペンストがバーストレールガンの引き金に指を添えたままの姿勢で構えている。あの衝撃はレールガンの砲弾が直撃した際のものであったらしい。
「うわ、やべ!」
 と、続けざまに引き金を弾く赤ゲシュ(命名:ミッシェル=アンリ曹長)。
 二発、三発、四発と。それは次々に着弾して大地に穴を穿っていく。
「のわああ!」
 ごろごろと身も世もない奇声を挙げながら、無様に転げまわるミッシェル。
……うぷぇ、吐きそうだ。眩暈がして来る。
 機体の横回転など本来の設計にはないのだが、システムの処理上では擬似コックピットへの振動を加えて代用される。
 その振動に耐え抜いたかいもあって、どうにか避け続ける。だが、その着弾点とミッシェル機との間隔は少しずつ狭まってきていた。いずれ、被弾するのは免れないであろう。
 どうすっかなー、と転がりながら考える。駄目だ。なーんも浮かばねえー。
 と、別の方向より銃声が轟き、銃弾がミッシェルの方向目掛けて飛んでくる。
 爆発音。
 一瞬、撃墜を覚悟したミッシェルであったが、いつまでたってもその時はやってこない。
「あん? おおっ、助かった〜、愛してるぜ、イスミーン!」
 振向くとそこにはレールガンを一定間隔で撃ちながらイスミ機が向かってくるところだった。
「ざけんな、誰がイスミーンよ。牽制に無駄弾を浪費しちゃったじゃないの!」
「って、オレを助ける為の弾が無駄かよ!?」
 あんまりだ、と抗議する。
「アナタが不用意に突っ込まなきゃ不要だった弾よ」
「ん! っと、そいつは悪かったな、ならこれでアイコにしてくれ、やっとぉ!」
 そう言うと、ミッシェル機は突如として立ち上がり、その勢いにまかせてイスミ機を蹴り飛ばす。
「っちょ、アナタ何するのよ! って、あれ」
 僅かに後ろに押されて尻餅をついた機体の中で、イスミが憤然として抗議しようと顔を上げた。
 その瞬間。砲弾が二機の中間を通過する。そのままであればイスミ機の側面に綺麗に的中していたであろう弾道である。それは勢いの衰えぬままに数百メートルを飛び続けたが、それもやがては失速して着弾の爆音を上げる。
 牽制の言に違わず、イスミが放ったのはあくまでも敵ゲシュペンストの気をそらせ、爆煙や土煙で視界を遮る為の銃撃。有効飛距離は優に超えていたし、狙いをつけている暇もなかったのだ。
 当然そうであれば、弾幕が途切れれば銃撃が再開されるのは必然。
「ああ、その何……こちらこそ助かったわ、アリガト」
「どういたしまして、お姫様」
 照れたように告げるイスミにおどけた言葉で応じる。これが生身ならば胸に手の一つでもやっていそうな調子だ。
 今度はイスミ機が立ち上がる機会をつくる為にミッシェルが弾薬をばら撒き、その隙にイスミ機が立ち上がる。
 立ち上がり、ミッシェルと敵機の繰り広げる銃撃戦に参加したイスミの目に、もう一機のゲシュペンストと四輌のバルドングが銃撃戦に参加するために近づいてくるのが入った。

「一旦引きましょう」
「うい」
 そして二機のPTは後方へと静かに下がる……わけもなく、ミッシェルが突如駆け出したかと思うと残っていたメッサーに飛びかかる。
「こいつで、四機!」
 切り裂くと同時に先ほどと同じく狙い撃たれる……一瞬、その砲弾そのものをイスミが撃ち落とす。
 と、怒声が響く。
「アナタねぇ! 本ッ気で学習能力がないわけ!」
 今度は上手く着地したミッシェル。怒鳴られながらも悪びれもせずに……
「いや、メッサー邪魔だし。砲弾はイスミが撃ち落としてくれるかな〜と考えたわけよ。だったろ」
 これも信頼関係の一種だろうか?
「……! それならそれで打ち合わせてからやりなさいよ!」
「いいじゃん。結果オーライってことで」
「よくない!」
 わめきつつも撃つ手を止めないのは立派といえよう。
 両機、機関銃を乱射して敵機の進攻を防ぐ弾幕を展開しつつ基地へと後退する。
 その後、しばし両陣営目だった動きは無く撃ち合いを続ける。状況は膠着状態にあったと言える。
「……なぁ、今で何分くらい経った」
 ミッシェルが尋ねる。
「3分と少し」
「こりゃあ、ジリ貧かね」
「かもね」
「「…………」」
 不可視の沈黙と言う名前の帳が二人の間に落ちる。
「どうするよ」
「弾が続く限り撃ち続けるしかないんじゃない」
 どちらも苛ついているのか、お互いに言葉少なで、やや捨て鉢になっているように思われた。
 一応、この間にバルドングを一輌撃破している、それも珍しいことにイスミではなく、ミッシェルの射撃によって。しかし、一輌を撃破するのにこれではまるで割に合っていない。
 これまでに被った被害に費やした弾薬その他を照らし合わせればどうしても理解せざるを得ない。この消耗戦は最終的に自分達が敗北するのが決定しているチェスのようなものだということを、自分達がチェックメイトを宣告された上でなおも王を逃がそうと悪足掻きを続けるプレイヤーに過ぎないということを。
 その後、両者無言で撃ち続けることしばし。
「あと、何分くらい持ちそうだ?」
「一分と少し……」
「オレの方は2分ってとこか……」
 当初から狙撃に牽制と銃撃を多用していたイスミとナイフを多用していたミッシェルとの差だ。
「……よっしゃ!」
 突如、大声を上げる。
「なによ、いきなり」
「このまんまじゃ、じきにお仕舞いだ。オレの銃をオマエに預ける。オレが突撃するのを援護してくれ」
 武器の交換もまた、PTの特徴である、その点でシュミレータでも再現されているので、出来ることは出来るのだが、
「正気。いくら弾幕による援護っていっても所詮は一機分よ、それで六機の射撃が集中する処に突撃しようだなんて実質自殺と変わらないわよ」
「だからってこのままじゃどうにもならないだろ」
「お仕舞いになる前に、訓練が終了するかもしれないじゃないの」
「わかりゃしないだろう、そんなもん。隊長はああ言ったけどな、もしかしたらハナっから制限時間なんて無いかもしれないぜ」
「それは……ああっもう! 解ったわよ、とっとと貸しなさい。援護するから」
「へっへ、そうこなくちゃな。ほらよ! ミッシェル=アンリ、吶喊するぜェ、いーやっはー!」
 自分の銃、機関銃とレールガンを放り投げるやいなや、ナイフを抜き放ち、奇声を挙げて敵陣目掛けて吶喊する。
「ああっもう、あの馬鹿!」
 悪態をつきながら、慌てて武器を受け止めるイスミ機。
 通信装置は常に起動している。つまりは『管制室』にも筒抜けということだ。
「……隊長、そういうことらしいんで、ワタシも突撃します」
 そう言うと、イスミ機も僚機の支援の為に、推進装置を全力で展開し、敵陣目掛けて飛び出した。


 話は前後するのだが、こちらはシミュレーション開始直後の『管制室』でのことである。
……ミッシェルの奴はカンも良いし、肝も据わってるんだが、あの引くことを知らない突進癖はなんとかならないものかな、そうすれば良いパイロットになると思うんだが。
 二人の模擬戦闘の経過を眺めるローラン中尉。
……イスミの方は機体の制御は苦手のようだが相変わらず射撃は精確だな、拠点防衛や長距離砲撃向きか。
 暫らくそうしていると、その思考にふける背中へとふいに影が差し、声が掛けられる。
「やっているわね。それで、どうかしら曹長達の様子は」
 その声で誰なのか判るのだろう、振り返ることもなく反応を返す。
「両名ともまだまだ動きはぎこちないのですが、何とか形にはなってきていると思われます。それと少々目が離せませんので、このままで失礼します」
 本来ならば振り返って敬礼を行うべきころであったが、指揮中はその種の行動は免除される。シミュレーションであっても、いやそれゆえにその種の規則は遵守されていた。
「ああ、構わないわよ。私も手伝うから、作業を続けて頂戴」
 声の主はテレサ=アッバード少佐である。
「助かります」
「いいの、いいの。私も少しやってみたいことがあってね。で、どう、二人の特性は」
「はぁ、やってみたいこと、ですか」
 多少、不吉な予感を感じつつも上官の問いに答える。
「二人とも避ける気はないですね。いえ、まあその気はあるのでしょうが、今ひとつ能力が追いつかないようです」
「それはそれは」
 その容赦の無い評価に苦笑する。
「ミッシェルは思い切りとカンが良く、格闘戦に向いていますから、適正は寧ろ特機かタイプ・Sのような重PTにこそあるでしょう」
 その頃、画面上ではミッシェル機がイスミ機を蹴り飛ばしていた。それを、淡々と眺めながら言葉を続ける。
「イスミは拠点防衛・支援用の長距離重砲撃戦用機に乗せるべきですね。こちらは今ひとつ思い切りが悪いというか、萎縮しているというのとは少し違うのでしょうが、PTでの運動を怖がる気がありまして、肝心の機動性を活かしきれていないのです。ただし、それを補って余りある射撃の技量を持っています」
 丁度、砲弾を撃ち落とすという、その話題の技量を見せ付ける。
「ふぅん、そう。でも不思議なものね、生身での射撃じゃ1メートル先の的さえ外しそうなのにねぇ、あの娘」
「……言わんで下さい。1メートルとは流石に言いませんが実際にこの前の訓練で3メートル先の的を外しましたよ。とりあえず、銃は撃つより投げつけろと教えておきました」
 ちなみに、三メートルというのは訓練装置の最低距離だ。つまり実際はさらに……
「あらまぁ……コメディ映画かなにかの登場人物みたいね」
 そう言って一頻り、ころころと笑うアッバード少佐。
「……ところで、少佐がこちらに来られたということはティモシーの奴の訓練も終了ですか?」
 あまりそれには触れて欲しくないらしく、
「むむ、あからさまに話を変えてきたわね。ま、いいでしょう。スプリングフィールド少尉は速やかに終了したわ、何やかやと言っているけれども流石に腕の方は確かね、シミュレータでもそうだったけれど最初は戸惑うようだけど直ぐに地上に適応したわ。そうそう、それで、PTへの愛情が少ないせいかしら、的確な、身も蓋も無い指摘をいくつも貰ったわよ」
 曰く、「空に対する攻撃手段も防御方法もどちらも少なすぎるし、本当に腕の良いパイロットが乗ったメッサーの機動はこんなもんじゃなく、こんなウスノロじゃ碌に攻撃をあてることは出来ないだろうし、破壊力の低さだって充分数で補える」とのこと。
「最後の方は結局戦闘機寄りになっているのが笑えるけれど、確かに少尉やイサビー……イェン大尉くらいの腕前のパイロット三機編隊を同時に相手取れば何も出来ずに翻弄されるがままに撃墜されるのがオチかしらね」
 口調は完全に冗談めかしているし、顔も笑っているのだが、眼が笑いを含んでいないように思われる。実際、航空戦力に対するPTの脆弱性はアッバード少佐自身もかねて懸念している事項であった。
 その頃、画面の中の状況は銃撃戦へと移行していた。
「あらら、完全に膠着しているわね。この辺りで何か切っ掛けを与えましょうか」
 言いつつ、何やらデータを打ち込み設定を変更している彼女に思わず、というようにローラン中尉が疑問の声を上げる。
「何をやっておられるのですか、少佐」
「うん、ちょっとね。昨日、船渠の方から例の物の完成見込みのデータが送られてきたのよ」
「船渠からの例の物……シャルルマーニュですか?」
「そう、正式名は古典ラテン語でカロルス・マーグヌスに決定したようだけど。それで丁度良いからこの機会にこっちのシミュレーションもやっておこうかと」
「それは、船渠の方で充分に行っているのでは。それか、艦長のアーベル少佐以下のブリッジクルーが」
「いいのいいの。どうせお遊びだし。元々制限時間は5分で設定してあるのでしょう。終了のベル代わりに主砲発射を使おうかと」
「お遊び……機器の私用での使用は硬く禁止されていますが」
 軍の機材で遊ぶなどと彼の理解を超えている。それこそ異星人を見るような目つきでしげしげと上司を眺める。
「お堅いわねー、若い男が硬くて喜ばれるのはアソコだけよぉ。……ところで、私用で使用って洒落?」
「少佐!」
 心外だった。
「はいはい、大丈夫、大丈夫。私はこの基地で三番目に偉いわけよ、主砲のシミュレータ試験なり、護衛訓練なり、言い訳の仕様は幾らでもあるわけでね」
「言い訳という時点で碌でもない響きが」
「っと、あら? 中尉、貴方、部下から本当に厚く信頼されてるわね〜、羨ましいは」
 くすくすと笑いながらスピーカーから漏れ聞こえてくる二人の会話への感想(あるいは皮肉だろうか)を述べる。

『隊長はああ言ったけどな、もしかしたらハナっから制限時間なんて無いかもしれないぜ』
『それは……ああっもう! 解ったわよ、とっとと貸しなさい。援護するから』

「それとして、アンリ曹長はこちらにも聞こえてるってことを果たして憶えてるのかしらね」
「……あの馬鹿者が」
 苦虫を百匹纏めて噛み潰したかのような表情を隠すかのように掌で顔を覆う。

『ミッシェル=アンリ、吶喊するぜェ、いーやっはー!』
『ああっもう、あの馬鹿! ……隊長、そういうことらしいんで、ワタシも突撃します』

「あらら、本当に突撃しちゃったわねぇ」
「……別に突撃することは悪いことではありません。あの状況を覆す為には私でもそれを選択するでしょう、が!」
「この場合は、陣地の防衛が主任務だものねぇ、二人とも伏兵のことを完全に失念しているわね」
 生暖かい微笑みを浮かべながら言う。それを横目に見ながら情け無さそうに、
「後で始末書です」
「厳しいこと、それとも甘いかしら」
 完全に命令違反である、本来は始末書などではなく営倉行きでもおかしくない。
「……少佐。どうぞあの馬鹿ごとお撃ち下さい」
 真顔で言う。冗談ぬきでの発言だった。まあ彼は滅多に冗談など言わないが。
「お冠みたいね。かといって、私にはたとえシミュレーションでも味方を撃つ趣味はないからね」
 少し考え、何事かを思いついたらしく、ニヤリとほくそ笑む。
「なら、こうしましょうか」

 銃砲の音が響いている。もとより作り事の世界のことではあるが、戦場はいよいよ混乱を極めていた。
 弾幕に紛れて急襲したミッシェル機のナイフが閃いて、赤ゲシュの一機を袈裟懸けに斬りつける。
 鋼と鋼のぶつかり合う際に発する音と火花のエフェクトが乱舞する中、それを筐体の内で受けながら、ミッシェルは握る操縦桿に圧力を、つまりは敵機を切裂く確かな手応えを感じていた。ふいにそれが軽くなり、ついで金属板が断ち割られるような音が響く。刃が赤ゲシュの左肩から腰にかけてを切断していた。
 芸の細かいことに切断面からは電子部品が覗き、血が噴き出ているかの様な潤滑油の滴りまで再現されている。それにしてはミッシェル機の両手に握られたコールドメタルナイフに少しの刃こぼれもないのはアンバランスではあるが。
……やったか。
 半ばまで勝利を確信する。だが、それは甘い考えであったということを、筐体を揺らす衝撃によって思い知らされる。
 体当たりだ。
 左半身を無残に切裂かれた赤ゲシュであるが、未だ生きていた。コックピットを切裂かれた場合、操縦者死亡としてそこで決着がついたのであるが、ミッシェルにとっては残念なことにコックピットを守る防護壁によって刃筋が逸らされた(という計算が行われた)らしい。
 いささかも怯むことなく行われた、内部構造の露出する左側面からの体当たり。渾身の力で刃を振り抜いたことによって、僅かに体勢の崩れていたミッシェル機は堪らず倒れざるを得なかった。その上に覆いかぶさる赤ゲシュ。
 お返しとばかりに残された右手に逆手に構えたナイフをミッシェル機のコックピットを目掛けて振りおろす。
 続けざまに、二つの異なった鈍い音が響く。一方は右腕で刃を受け止めた音であり、もう一方は左拳でゲシュペンストの顔面を殴りつけた音だ。ぐしゃあという音と共に紅い鱗粉が散る。カメラアイを保護する為の硝子の破片であり、頭部フレームが歪むほどの衝撃が齎す火花である。
 殴りながら叫ぶ、「痛ってぇんだよ、赤ヘチマ!」まるっきり意味不明であるが、どうも罵りの言葉であるらしい。糸瓜になにか嫌な思い出でもあるのだろうか。
 赤ゲシュもどうにか抜こうとするのだが、きっちりとはまり込んでしまったナイフはなかなか抜けない。その間に二度、三度と追い討ちをかけるミッシェル。堪りかねたのか、抜くことは一旦諦めて、ナイフを手放した素手でミッシェル機を殴り始める。
 互いにぼろぼろになりつつ殴りあう赤青二機のゲシュペンスト。本来であればマウントポジションと呼ばれる馬乗りの状態にある赤ゲシュが有利な筈であるが、そこは片腕が失われている。むしろ両腕の残るミッシェル機の方が優勢であった。
 銃で撃てばよいのにと思うかもしれないが、赤ゲシュの所持していた銃器は左半身と共に離れてしまっていて、このような乱戦では他の機体もおいそれとは撃てない。それでいざ格闘戦をしかけようと試みても、イスミ機の牽制の射撃がそれを寄せ付けない。
 そしてその優位は徐々に明白化していく。殴りかかってきた腕を捉えて、胴体を右足で蹴り上げる。ジュードーの巴投げよろしく投げ飛ばされて背中から地面にうちつけられる赤ゲシュ。その上に今度は一転してミッシェル機が覆いかぶさる。
 ゲシュペンストのその特徴的な、兎の耳のような形状のアンテナを掴む。そうやって、センサーの密集する頭部を固定した上で、真正面から右腕の重い一撃を叩き込む。そうして伸びきった腕に刺さったままのナイフを左腕で力一杯抜き取ると、それを逆手に構えながら、右腕に握ったままであったナイフもまた、同じく逆手に構えなおす。
 軽く呼気を調える。悠長にしているほどの時間はないのでそれは一瞬、裂帛の気合とともにコックピット目掛けて二刀流の刃が振り下ろされる。断末魔の軋みと痙攣の末、今度こそ赤ゲシュはその動きを停める。
 満身創痍のお世辞にも上手い勝ち方とは言えないが、勝利は勝利である。
「っはぁ、はぁ、手間取らせやがって」
 目に見えた疲労と、わずかばかりの感慨を込めて呟くと、手早く傍らに落ちている赤ゲシュの使用していたレールガンを拾い上げる。そして今度はミッシェル機が牽制にまわる。

……ミッシェルがゲシュペンストの足を封じている間に、自分が一輌ずつ破壊すれば、最後のゲシュペンストには二対一の有利な状況で当たれる。
 そんな算段をしながら、支援役から一転、主役に回ったイスミはその砲口を一輌のバルドングへと向ける。
 狙うのは最も此方に近い、つまりはどちらにとっても命中率の高い車輌である。危険性の高い相手と言い換えてもいい。命中率など目安に過ぎないし、乱戦で本当に怖いのは狙いすました一撃よりも流れ弾の方かもしれない。
……それでも、少しでも確実性の高い方法をとるべきなのよ。
 戦力というものは相対的なものである。火力と攻撃機会、相対的に最も危険度の高い敵を撃破すれば、その分イスミたちの戦力が上昇するのに等しい。そうなれば生存率に勝率は自ずから上がる。
 序盤に一掃したメッサーや、最初に破壊した赤ゲシュも同様の考えに基づくものである。ミッシェルの場合はそこまで深く考えてはいなかったかもしれないが、危険な相手を最初に叩くのが大切だと感覚的に理解していた。
 曹長たちは簡単に撃墜してしまったのでそうは思えないかもしれないが、航空戦力は陸戦兵器の天敵である。展開次第では赤ゲシュやバルドングとの連携の前になす術もなく翻弄されていたかもしれない。
……ゲシュペンストはゲシュペンストで、早々に一対一の格闘戦に持ち込まれていたら、ミッシェルはともかく、まず私は殺されていたわね。
 最初から近づこうと考えない戦車は兎も角、進行する複数のPTの動きを止めるのに一人では限界がある。回り込まれて挟撃されればそれまでだからだ。だから、最初に一機破壊しておく必要があった。
 バルドングがその砲塔をミッシェル機に狙いを定めるところであった、イスミの放った砲弾がその車体を捉えたのは。
 激しくも鈍い音が響く。完全には破壊されなかったわけであるが、半ばまで破壊されたバルドングは結果的にその動きを停めることとなる。皮肉にも歪んだ砲身から今まさに発射されようとしていた砲弾が暴発を起こし、それが致命傷となった。
 これで残された敵機はゲシュペンストが一機にバルドングが二輌になったわけである。
 そうして、
……いけるか。
 そう二人が思い始めたころ。
「うおっ!」
「なっなにが!?」
 突如、強烈な閃光が二人の背後に瞬いたかと思うと轟音と共に激しい衝撃波が二機を襲う。
 衝撃波と言ってもこれまた作り物であり、単に筐体が激しく振動するだけだが。
 余談であるが、この筐体の振動による衝撃波の代替処理の評価は芳しくない。
 シミュレータと実際ではまるで違う、と頭で判っていても体がこれを覚えてしまうのである。そして実際に衝撃波に晒された時に受ける衝撃が事前知識なしの時の何倍にも感じられるとして評判が悪いのである。
 振り返った二人の目に、無残に破壊され、爆発炎上する基地の姿とそれを為したと思しい軍艦、巡洋艦が飛び込んできた。
「あれはもしかして……」
「んなっ! 隊長! たいちょおー! あれはいくらなんでも反則っすよ! 反則!」
 これがアッバード少佐の思いついたことであるらしかった。伏兵の存在を失念していた両曹長にそれを思い知らせた存在が、彼らがやがて乗船し護るべきカロルス・マーグヌスその艦であったというのは皮肉な話ではあるが。
『はーい。二人とも、お疲れ様。訓練は終了よ、貴方達の敗北で』
「たぁいちょ〜、って、少佐っすか!?」
「少佐、あれは」
 驚くミッシェルに、イスミ。彼女はあの艦にどこか見覚えがある気がしていた。
『シャルルマーニュ……いや、我々が乗船する艦。カロルス・マーグヌスだ』
「やはり……」
「ああっ、隊長! あんなの反則ですって」
『黙れ。馬鹿者が』
 ミッシェルの抗議を一言の下に斬って捨てる。
「うえっ、隊長……何か怒ってますか?」
 首を竦めながら恐る恐る尋ねる。
『ああ、お前たちの任務は何であったかな』
「「……基地の防衛です」」
 ミッシェルとイスミが異口同音に答える。
『そうだな、ならば何故お前たちは基地を離れて突撃など行ったのだ』
「ええと、あのままでは消耗戦になって、数に劣るこちらが敗北するのが目に見えていたため、状況を覆すには突撃するしかないと考えました!」
『そうか、確かにお前は正しい』
 ミッシェルの言い分に対して、その点では肯定する。
「なら!」
 ミッシェルは声に喜色を滲ませながら、伏せ始めていたその顔を再びあげる。
『但し、それは伏兵の存在がいないと確信できて初めて行うべきだ。もしくは、伏兵がいた時に即座に対応できるだけの兵力を基地の防衛に残して行え。お前たちは、伏兵のことを一瞬でも考えたか』
 そう、条件を付け加えて、尋ねる。逆に冷静かつ温厚に恬淡として語られるのが恐ろしい。
「あっ」
「……いえ、申し訳ありません」
 失念していた。ミッシェルはともかくイスミもまた忘れていたというのは意外であったが。シミュレーションとは言えそれだけ興奮し、動揺してもいたのであろう。
「でっでもですね、単機で突撃しても突破は無理だったんじゃないかと……」
 なおも言いすがる。
『だろうな』
 簡単に認める。
「だろうなって……」
「つまり、基地の防衛に徹しているべきであった、と?」
『そうだ』
「そうは、言いますけど隊長……あの……」
「あのままでは全滅しました、そしてそうなっては防衛も行えなかったと考えます」
 抗弁しようと思いつつ、しどろもどろになるミッシェルの声に被せるように、イスミが端的な意見を述べる。
 だがそれはローラン中尉の気には入らなかったらしい。
『私が言いたいのは、「優先順位を履き違えるな」ということだ』
「優先順位っすか?」
『そうだ。あの場合、突破を試みるのも一概に間違いだとは私も思わない』
『要するにね、中尉が怒っているのは、何故貴方たちは伏兵に対しての対策を全く講じなかったのかってことなのよ。それと、さっきアンリ曹長が「反則だ〜」って言っていたけれど、あれは私の細工よ、ちょっとしたお仕置きとしてね』
 アッバード少佐が部下の科白を奪う。
「「お仕置き……」」
 その響きにがっくりと来たのか、情けなそうな二人の声がハモル。
『そういうこと、最初はエスコートでも命じてみようかと考えていたのだけれどね。まぁ、このあたりでよいのではなくて、中尉も充分叱ったでしょう』
『まだ、足りないような気もしますが、一先ずはこれで終えましょう』
『だそうよ、良かったわね。ともあれ、早くお上がりなさい、そしてあとはゆっくり今日のことを考えておきなさい』
 アッバード少佐がシミュレーション訓練の終了を命じる。
「「……わかりました」」
 悄然としつつ、二人はシュミレータを停止する。


 その後。
 二人は半日、始末書の作成に費やしたのだった。

「アナタのせいよ」
「オマエだって止めなかったじゃないか」
 醜い擦り付け合い。
「止めたわよ」
「伏兵のことなんて一言も言わなかっただろ」
「むぅー」
 結局、反省したのだかどうだか怪しい二人ではあるが、これ以後彼らが伏兵の存在を忘れることはもうないだろう。

 そしてここまでくれば完全に余談の部類に入るのであるが。
「それで、結局当初の予定だとどの辺りで、どういう具合に落とすつもりだったのかしら?」
 というとある上司の質問に、その部下はこう答えたのだった。
「一つは当然ながら基地を落とされた場合で任務は失敗。二つはあいつ等が敵を殲滅した場合です、これはやり方によって任務失敗と見なしますが。今回のように。そして最後に、これこそが私が考える最良の状況だったのですが、敵戦力を六割以上迎撃し、なおかつ10分間耐え切った上で、あいつ等の弾薬が尽きるかどちらかが撃墜された段階で増援として設定された一個小隊を増援に投入する予定でした」
 耐え切ったところで、とはいかないらしい。それを聞いた上司は、「ふうん。結構シビアね」呟いた。
「はい。現実として防衛戦に増援が間に合ってくれるかどうかなどその時の状況次第ですので、如何に訓練といえどそうそう簡単に増援を到着させる気はありません」
 彼の見解では、そのような容易な解決は、いざ実際の戦闘で増援が現れそうもない時に即座に安易な諦めとなって現れると言う。
 さりとて、絶対に全滅するような条件付けは厳しいだけで単なる愚かしい設定だとも考えている。絶対に実行不可能な条件で失敗し続けると、上手く失敗することばかり考える諦め癖がつくものだ。
 今回のようにぎりぎりで達成可能な条件をどうにかして乗り越えることこそが最大の訓練であり、それこそが人を成長させると思っていた。
「なるほどね」
 苦笑しながら心中で独白する。それが貴方なりの親心ってわけね。どうにも子供達には伝わってないようだけれど。
 ユークリッド=ローラン中尉の心労の絶えるその日は、まだまだ遠そうであった。


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