でかぶれ はつめいファイる2
こうてつざいくのおにんぎょう さん

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【 キツネさんですが、タヌキさんですか……いいえ、マジョです。 】

 時は少しさかのぼる。
 一週間前。初めて《電脳種》の実在が確認された日の話だ。ティモシーは綾小路晶と名乗った年若い魔術師――正確にはその写し身たる使い魔ファミリアーの力を借りて、《電脳種》の《WUEM》を打ち倒し、生き残った。
 怪物の消滅は異界の消滅でもあった。張り詰めた空気がほどけて不快感が薄れていく。ティモシーは左手で目を覆い、陰の下で瞼を閉ざした。そのまま手を動かして、凝り固まった眉に瞼に眉間に鼻筋、首から肩へと順々に揉み解しながら、口から鼻からふーっと勢い良く息を吐く。なんやかやで身体全体が緊張していた。これほど疲れたのは久しぶりだった。爽快な疲労という言い方も世の中にはあるが、どうして疲労はどこまで行っても疲労である。今はとっとと眠りたい。
……まったく、くたばっちまいそうだぜ」
 後でコイツに揉ませよう、と自分付きの従兵……と言うよりは子分が妥当なロシア人へと目をやる。
 そのミーチャはしばらく脱力していたが、急に生気付いた様子であたふたと筐体の扉に指をそえる。あれほどに一刻ぶりを誇った扉が今や何の抵抗もなく口を開いた。一瞬呆然としていたが、それからはっと我に返ると、やったやったと大袈裟なくらいに騒ぎ立てる。
 それを横目にしながら、ティモシーは笑いかけた。
「プログラムって訳じゃあなかったんだな」
 自称するにファミリアー、自らの状態をミサイルの付喪神と形容した晶の姿は、もう一度等身大に戻っていた。そして今は筐体の上に腰掛けている。それに、現実の世界にも出てこられるのか、と妙な感心をする。
「まあね。《物質界》よりも《電脳界》の方が存在しやすいのは確かだけれど、コンピュータ・プログラムではないよ」
 などと使い魔はのたまった。

    ※

 シンガポール。国連施設会議場。
 晶によって、のぞき趣味の持ち主と比喩……むしろ揶揄された会議の出席者の間にも、感嘆と安堵の空気が流れる。健闘を称える声と、初めて《WUEM》の実際を見たことに対する畏怖のうめきが、相半ばして、飛沫が上がる様に室内を埋め尽くす。しかし、しばらくすると熱気も薄れて来る。はっと我に返った一人の軍人が決然として言った。
「けしからん」
 冷静に考えれば、ティモシーの行ったことは、単機による《WUEM》討伐の軍功以前に、軍の備品の無断使用である。そこにIDの偽造やハッキングも加わる。実際、かなり悪質な背反行為である。
「軍規違反も甚だしい。一体、どこの部隊の人間なのか、まったく、軍法会議にかけるまでもない、厳罰に処されるべきだ!」  五十代の半ばと見える将校は、憤慨すること甚だしかった。まなじりを決し、肩を怒らせて、バンッと右掌で円卓を叩いた。相当に不愉快であるらしく、他を物理的に圧倒する様な迫力と、熱気を伴う憤怒を纏っている。
 報告する研究者や傍聴人を除いた者たちは皆、各国を代表する政治家や官僚、軍人たちである。参与する錚々そうそうたる面子の中でも、彼は頭一つ飛びぬけていた。アーヴィング・レナード・フィーライン中将。政財界とも太い繋がりを持ち、退役の後には合衆国元老院(いわゆる上院)への出馬も噂されている合衆国陸軍の英雄にして陸軍閥の大立者であった。
 中将がぐるりと室内を見渡すと、彼の風格に気圧されたか、はたまたその怒りが伝染したかする様に、付和雷同と言うほどではないが、一人、また一人と「確かに」「軍功には賞与を、違反には罰則を」と頷いていく。
「宜しいでしょうか」
 大方の意見が彼に流れて大勢が決するかと思われたところで、ざわめく出席者の中から一人の女性将校が挙手した。本当に若い。出席者の平均年齢の三十歳は若かった。ただでさえ東洋人は若く見えるとは言え、それでも二十歳を幾つも過ぎていないのではないか。
「何か意見が、……猫宮空将補?」
 厄介な奴が出てきた、と言いたげに、わざとらしく大袈裟に顔をしかめると、階級でも年齢でも上であるはずの将官が、警戒心もあらわに問いただした。
「どこの部隊か、との質問にお答えしようかと」
 その眼に宿る光は、これから自分の言葉がもたらす影響を、完璧に把握している者のそれだった。
「ティモシー・スプリングフィールド少尉。私の管轄下にある観測師団の人間です」
 中将としても、彼女が出てきた時点でその回答は充分に予想出来ていた。眉根に皺を寄せる。頭に上った血を下げ、この魔女が何を考えているのか、どういった心づもりでの発言か、と速やかに計算を巡らせる。
 わざわざ自分の不利になる様なことを、素直に言うとは考えがたい。敢えて、自分から述べることで、延焼を防ごうという腹積もりかとも考えられるが、むしろ本来は不利である事実を活用して、有利な条件を作り出そうとしている様に思われた。
「信賞必罰は世の習い……とは言え、世の中には司法取引という言葉も存在します」
……少し、この場合は違うのではないかね?」
 何が言いたいのか解からない、といった顔を作りつつ、空将補が導こうとしているであろう事態の落しどころを洞察する。
「罪には罰を、功には賞を、当然ですね。ですが、この場合の功は過失を補って余りあるものではないでしょうか?」
「ならば、罰則を与えた上で、改めて褒賞すれば良いだけの話ではないかと思うが」
「いいえ、この場合は、功罪は相殺されるべきです。なぜならば――
「不合理だ……!」
 論を断つ牽制の茶々を入れる。それに女はさも聞こえなかったといった様子で続けた。
「なぜならば、スプリングフィールド少尉の功績は、一見したそれよりも遥に大きなものであるからです」
……それは、確かに、単機での《WUEM》の撃破ともなれば、相当なものであるだろうが、それでも……いや、待て、そういうことかね――
 気付く。この場合の、猫宮空将補が言及している功績というものが、表層的な《WUEM》退治などではないということに。自分としたことが迂闊だった。軍規違反に対する目先の怒りに目が眩み、そのことを見落としていた。
「そうか。《電脳種》。まさか、意図したわけでもなかろうが、そう考えれば――
 実在の証明と、その実戦データ。二つ、三つ、特別に昇進させても惜しくはない。
「だが、それと、これとは別の話だ」
 否定する。だが、この発言は有意にして無意味。先行きは明白であった。しかし敢えて彼は言った。
「ええ、それはその通りでしょう。ですが、譴責けんせきの事由はどうしますか? 軍内部の犯行であるとは言え、一個人――まあ、準備を行ったのは別の誰かでしょうが、そんな簡単に軍のシステムを突破されたなどと喧伝しますか?」
……とんだ恥っさらしだな。だが、それならば、褒賞する段に至っても、そこに言及しないわけにはいかないのではないかね。《電脳種》が顕現しえたのは、そもそもファイアー・ウォールが突破されていたからなのだから」
 話の落しどころは、既に決した上で、両者は話し合っている。全ては形式的なものだった。
「さて、形式や儀礼はそれなりに重要なものではありますが、そろそろ良いでしょう。やめにしません?」
「なるほど。相殺。そう言ったね、貴官は」
「ええ」
「わかった。その辺りで手を打とう」
「話し合いが通じると言うのは素晴らしいことですね。人類の叡智です。勿論、別のところで代わりの賞罰を与えるべきであるとは思いますが」
「なるほど」
「そう、例えば、スプリングフィールド少尉は、直接航空機と接する職務を希望している様ですので、ソチラに栄転させるというのはどうでしょう」
……それはそれは、貴官が降格の上、左遷したのではなかったのかね?」
 思わず、失笑した。腹の探り合いの合間に、経緯は報告されて来ていた。
「あら。左遷したのは確かですが、降格という表現は不当であると考えます」
 心外そうに眉を上げる。
「ほう?」
「元より、士官候補生は、たとえそれが竜士の候補生であろうとも、任官以前は等しく――国や時代によっても若干の違いあありますが、特務曹長あるいは准尉相当官、つまりは准士官の扱いです。くだんの人物に限らず竜士の適正に欠けると判断された者は、順時各地の士官学校に振り分け編入されるか、あるいは原隊に復帰することになっていました。ティモシー・スプリングフィールドに関しては、適正には欠けるが卒業要件を満たしたものと判断し、また、あの段階まで残った者を通常部隊に配属するのは、機密保持の観点からも不適当であると考えられます。それゆえ、少尉任官の後、自分の管轄下にある観測師団に配属いたしました」
「ふむ。道理には適っているな」
 含みのある笑みを浮かべる。そう、字面を追えば道理ではある。どこまで本当かは知れたものではないが。
「まあ、良かろう。それで?」
「先ほど、どなたかが、朽ちさせるのは惜しいと仰いました」
「うん、そうだったかな」
 フィーラインは記憶を手繰る様に、手を擦り合わせた。
「はい。それには私もまったくの同意見です。何やら、誤解を与えてしまったようなので――弁解がましいことよとお思いかとは存じますが、申し開きをさせていただきます。別に、私は彼を憎んでアソコに放り込んだわけではありません」
 憎くはなかったが、殺してやろうか、とは思った。だが、そんなことはおくびにも出さず、「だって、そうでしょう」と言いたげに、ふっくらとした唇に笑みを浮かべると、さらりと怖ろしい事を言い放った。
「それに、私、真実、憎悪した方ならば、とっとと社会的に抹殺しますから」
 禍々しい毒花の美しさだった。彼女を取り巻く、大の男の軍人たちがたじろぎを見せた。
「ああ、話が逸れました。それと、別段、飼い殺しにするつもりもないのです。竜士としてはまったくの不適格であると確信しておりますが、あの技量。もっと言えば《異能》に近い力――その直感を惜しみます。現状、力ある者を、関係の無い戦場で無為に散らせたり、市井に埋没させるのは、罪悪であるとさえ言えませんか?」
「なるほど。が、その代わりに、別の若者が散っていくのは構わないのかね?」
「ご冗談を。確かに、人命に軽重はありませんし、人の魂に貴賎もありません。ええ、真理です。ですが、我々は軍人であり、政治家です。一般人の尊重する社会倫理などというものは……まさしく春日の太陽の如く心地良いものではありますが、我ら軍人の正義ではありません。違いますか?」
「違わない。ふふ、確かに揶揄としても鋭さに欠け、冗談としては悪質であった。許したまえ」
 猫宮空将補は、それに直接は答えず、意味深い微笑で応えた。
「ですが、シュナイエンに乗せないとなれば、何に乗せましょうか。通常の戦闘機、それとも戦車? いいえ、それこそ宝の持ち腐れと言うものです。既に言いました様に、私に彼を飼い殺しにするつもりはありません。資源は有効に使わなければなりません、人も、物も、情報も――
 そこで一拍置き、言葉を溜めてから言った。
「ヴァルキリー」
「ヴァルキリー? ああ、確か、シュナイエンとは別系統の特機開発計画だったか。ふむ、しかし、シュナイエンとの競合に敗れて凍結されたのではなかったのかね?」
 暫し考え、思い当たる。それは日本のシュナイエンに敗れた米国系の計画であったが、合衆国空軍の主導であったため、フィーライン中将もあまり詳しくない。なにせ彼の影響の根が張られるのはあくまでも陸軍が主であったから。
――その通り……でした」
 微かに言葉が揺れている。内心の不本意さが漏れているのだろう。使う機会もあるだろうと囲い込み、実際、カード遊びの切り札に晒しはしたが、彼女にとって、この役は必ずしも趣味ではない。
「ですが、R計画の進捗状況は、けして思わしくありません。当初の予定よりも、人員の確保が追いついていません。加えてシュナイエンおよび《A.G.A:TH》の開発・量産体制の構築が遅れています」
 悲喜双方が篭められていた。シュナイエンの遅滞は不愉快であるが、逆に《A.G.A:TH》の遅滞はいい気味だった。勿論、本当に《A.G.A:TH》の破綻を望んでいるわけではないが、政敵の失敗は喜ばしい。
 見れば、フィーライン中将も心なしか面白く無さそうな顔をしている。だが、向こうにしてもシュナイエンの牛歩は望むところだろう。ただし、それも《A.G.A:TH》が上手く行っていればの話だが。
「と言うのも、各地の工廠においても、急激な方向転換に追いつけなかったラインが幾つも浮いているとの報告が入っています。工程の変更に伴う時間的ロスの計算を間違えたのは、こちらのミスです。となれば現状、我々にはラインを遊ばせておく様な余裕はありませんし、また、EU系のエスメラルダ・ベラスケス少将やテレサ・アッバード少佐……それに、先ほど発言のあったイサーベルラ・イェン大尉を中心に、研究そのものは継続されておりましたので。これの凍結を解除し、試験機の生産に当たらせています」
「その試験部隊に配属するということか」
「はい」
 これが、ヤクーツク駐屯地に戦闘機が配備された理由の一つだった。もう一つは試験小隊の配属。この二つは不可分に結びついている。
「そう言えば、ヤクーツク駐屯地だったか。シベリアに存在する観測基地。おまけに基本は陸軍基地だ」
 フィーライン中将が切り返した。息を呑む。猫宮空将補は内心で嗟嘆さたんした。彼女は中将が次に発するであろう言葉を九割九分の精度で理解した。出来てしまったのだ。うかつだった。少し、調子に乗って踏み込みすぎた。
「そう、《A.G.A:TH》もまだまだ完成には遠くてね、各種の試験を必要としている。例えば耐久試験。寒暑、風水害、圧力、砂塵……もろもろ存在するが、《WUEM》の出没地点は東北アジアが中心だからね、千歳に拠点を持つ貴官には言わずもがなではあるだろうが」
 中将にとっては単なるありふれた牽制であったろう。だが、それは意想外の魔力を発揮した。
 空将補はあの時のことを知らず思い出して胸が詰まった。肺の中の酸素が強酸に変わった様な気がした。
 忘れられぬ、忘れる気もない街が血と瓦礫に埋没したあの日。地には赤い火が満ちて、天には白い粉雪が舞っていた。記憶の中の惨劇は、おぞましく、そして美しかった。
 瞳の中の真に迫った忌むべき幻視。
 取り込まれぬ様に、想いを振り払う。
 自分はもう、あの時の弱者ではない。
 自分はもう、《汚濁を灼く雪の花シュナイエン》を主導する、猫宮の魔女。自衛官。空将補なのだから。
 姿勢を正せ、口には笑みを、目には刃を宿すのだ!
 言葉は剣、笑みは大盾、智恵は銃砲、気品はトーチカ。
 忘れるな瑠璃、怯むな瑠璃、ここは既に戦場だ。
 呪文を唱え、にっこりと微笑んだ。
 思わずフィーライン中将さえも引き込まれる美しい笑みだった。
「なるほど」
 この程度で崩れはしないかとフィーライン中将も気を引き締めなおした。また一方の極に崩れてもらっても困るのだ。健全な組織の運営と、なによりも権威の維持の為にも、好敵手は望むところだった。
「ヤクーツク駐屯地において、極寒地適応試験を行う。実際の試験には試験部隊より一個小隊を派遣することになるだろう。いかがか?」
「なるほど」
 肯定する。それくらいの譲歩は必要だろうと考えた。そして次なる一手を考える。
「素晴らしい話ですね」
 思いついた事があった。
「それならばどうでしょう。ヴァルキリーもヤクーツクに配備しましょう」
 話は前後したが、そういうことだった。
「ほう」
 これは予想外の流れだ。フィーライン中将は思わず笑みくずれた。その笑いはなんとも楽しげなものであった。対峙する魔女も微笑んでいた。
「これにより、あの駐屯地には次元界面観測に加えて、兵器開発および性能試験を主任務として与えます」

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 2008-05-05作成 , 2008-05-05最終更新  
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