でかぶれ はつめいファイる2
こうてつざいくのおにんぎょう に

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【 こいつはテキだっ! 】

 ティモシー・スプリングフィールド少尉の《電脳種》との遭遇戦から一週間程が経過していた。
 莫迦は莫迦なりに、かなりの程度の厳罰を覚悟していたのだが、ヤクーツク駐屯地の日常は、相も変わらず、不気味なほどに静穏だった。特に賞与もなければ、罰則もない。
 いや、一つ変化があったと言えばあった。
「一個人に渡すお年玉としては、どうにも豪気に過ぎると思うがね」
 あるいは時期としてはクリスマス・プレゼントか、と。司令部からの通達。受領品の一覧に目を通しながら、磐埜伊梨哉いわのいりや一等陸佐は言ったものだった。笑い、冗談めかした口ぶりとは裏腹に、内心では複雑なものがあった。
 戦闘機が一機、配備されて来た。おまけに、駐屯地近隣の空き地を買い上げての突貫工事が進行中だった。滑走路を造る計画がやにわに持ち上がっていた。
「今まで通りに有事には空港を借りるというわけにはいかんのかね。それ以前に、ここまでするのならば、少尉を別の空軍基地にでも転属させてやれば良いようなものだが――
 どうやらそういうわけにもいかない様だった。
 推測する。
……少尉の処分が保留されているのは、事態が大きすぎて、一士官の去就などもはやどうでも良いのだろうな)
 しかし……
「猫宮空将補が彼を……少尉をどうしたいのか、は今一つ読み切れないな――
 左遷したかと思えば、一転して戦闘機オモチャを与える――少尉の物だと明言はされていないが、間違いようはない。一見して、彼女の行動は矛盾している様に思える。だが、それでいて首尾一貫している様な印象を受けた。あるいはそれは、あの女傑が無意味な行動を取るはずがないという信頼……と言うよりは畏怖、警戒の念がなさしめる思い込みであったかもしれない。だが、何らかの思惑があるのは間違いないだろう。
「とは言え……情報が足りないな」
 絶対的に少なすぎる。自分には窺い知れない裏側の事情があるのだろう。
「おまけに、《A.G.A:TH》の極限環境耐久試験に、試験小隊が配属されると来たか」
 あまりにも急な話であった。ティモシーが配属されてきた時もそうだったが、事前に何の情報も入ってこないというのは、気持ちが悪いものだった。嘆息する。磐埜一佐は自分が中央の出世街道から外れていることは自覚していたが、それでもここまで部外者の如く扱われては良い気はしないし、それ以上に普通ではない。
 恐らく、上層部の方で――航空自衛隊を主体とする空軍閥と合衆国陸軍を中心とした陸軍閥との間でなんらかの政治的取引があったのだろう。その程度の推測はできる。
 それは高性能少数精鋭を理念とする《シュナイエンドラグーン》と多機能物量作戦を真髄とする《A.G.A:THナイト》の戦いであり、各兵科の技術――それは機体その物の製造と運用に関する技術である――ひいてはそれぞれを主導する者たちの戦略観の違いだとも言えただろう。
 言ってみれば、一点突破を身上とする『点』の力と、押し切り持ちこたえる『面』の力の相克である。
 どちらかが一方的に優れているということはない。どちらもともに必要な物である。しかし、元より両者はそのありようで矛盾する。量がなければ面は成り立たず、対して、その量こそが点にあってはただの贅肉、身に重みを抱えては、点最大の利点である機動性が打ち消されてしまう。
 理想は両者の均衡が取れた状態であるが、その様な組織は、軍隊に限らずあらゆる分野に範囲を広げたとしても有史以来数えるほども存在しなかっただろう。
 いや、それは数えるほども、どころか理念の中にしか存在できない種類の物だ。優れた組織とは、その両者が程よく含まれつつ、組織の目的に合致した方向に適宜に偏った集団である。
 最悪なのが、両者を成り立たせようとして、成り立たなかった組織である。中肉中背風姿凡庸。程よく優秀な者が、これまた程よく揃っている。だから大概の事は無難にこなせる。一見、万能と似ているが、本質的な部分で異なっており、これを器用貧乏と言う。  この種の人物組織団体は、ある一定水準までは器用に立ち回るので重宝されるが、その上へと続く一線――事の明暗死命を分かつ僅かな差を越えられない。
 この様に特徴に欠けるものは、適者生存の法則によって自然に淘汰されて行くものだ。
 思考が脇に逸れた。
 ヤクーツク駐屯地が選ばれたのは、実際に極限環境として、シベリアは格好の土地だというのもあるのだろうが、その『点』を支持する急先鋒、猫宮空将補の管轄下にある軍施設であり、もっと言えば《電脳種》と遭遇したスプリングフィールド少尉が所属する基地だからだろう。
 内ゲバは見苦しく、権力闘争の具にされるのは不愉快である。なおかつ焦点は自分でも、部隊でもなくそこに属する一少尉であるというのだから、業腹だ。しかしこれも悲しき中間管理職の付録である。
 諦観していた。
 しかし完全に枯れたわけもない。自衛の為にも考える。
 そう、これはある種のあてつけだ。ならばそれは、誰による、誰に対する物だ?
 だとすると、思い当たるものがあった。
「やはり、唐突な戦闘機は対抗策なのだろうな」
 焦点はスプリングフィールド少尉。しかし、いささか後手の印象を受ける。もしも彼に戦闘機を与えることが最初から織り込み済みの計画であったのならば、今頃の突貫工事はありえまい。先ず、試験小隊の派遣ありき、つまり基本は陸軍閥からの猫宮空将補への先制攻撃だろう。
 同じ日本人、自衛官としては、海原空将と猫宮空将補につくのが道理だが、陸自幹部としては陸軍閥の推し進める《A.G.A:TH》の方にも興味はある。まあ、ただ興味があるだけで、自分に何が出来るわけでもないのだが、自身と部下の進退が掛かっている。情報の収集と分析は欠かせない。
 以前からの駐屯地メンバーだけではない。スプリングフィールド少尉も部下だ。短い付き合いであり、おまけに彼は空軍だ。義理はない。しかし、やはり少尉も部下である。俚諺ことわざにもある様に、袖を擦りあっただけで多かれ少なかれ縁は生じうるのだ、そして、少なくとも少尉と自分の関係は袖を擦りあったどころではない。
 それは彼自身が望んだものではないだろう。しかし、一度は自分の傘の下に来たものだ。部下は部下である。勿論、それはスプリングフィールド少尉だけではない。彼と一緒にふざけた事をやらかしてくれた整備士のリュトフやベリーイェフ上等兵(ミーチャ)に代表される、駐屯地の莫迦どもも含まれる。
 およそこの駐屯地の人間は、軍人とは思えない莫迦どもだ。しかしそれは愛すべき莫迦どもだ。
 莫迦な子ほど可愛いと言う。磐埜一佐の本音としてはやはり賢明な子の方が可愛いと思う。だが、莫迦でも賢明でもどちらであっても子は可愛い。無論、実子の方が可愛いには決まっているし、もう一つ言えば部下の事を子供だと思ったことは一度もない。
 そして、どこまで出来るかは知れたものではなかった。
 だが……
「それでも部下は……守らんわけにも行くまいよ」
 もはや己の能力に限りがあることを、ただ嘆くほどに幼くはないが、無力と自覚して愉しいはずもない。それでも、可能な限りは守ってやりたかった。リュトフではないが、無性に酒の一つも呑みたかった。だが、勤務中ではそうも行くまい。
……まったく、どうにもきな臭い。千客万来と喜んでばかりもいられんな」

    ※

 その駐屯地を訪れた時、蔡道遥は信じられない思いだった。
「規律の緩みも甚だしいな」
 不愉快そうに吐き捨てた。彼の感覚としては、駐屯地の責任者である磐埜一佐には悪いが、軍隊とは思いがたいほどに弛みきっている様に感じた。
「何と言うか、お気楽な連中ですなあ。寝る間も削って働いている自分らからすると、呆れるのを通り越して、いっそ殺意さえ湧いてきますな」
 同僚のミクマリが言った。この日系人は試験小隊の整備班長を勤めている。冗談めかした口ぶりだったが、殺意とまでは行かずとも、含むところがある様だった。
「ふん。まあ、所詮は一時の駐在だ」
 ここの水は合いそうになかったが、彼らの仕事に駐屯地人員の質はどうでも良い。あくまでも大切なのは周囲の自然環境であって、シベリアの雪と寒気は機体の耐久試験に最適なのだ。だから「それで、充分だろう」と思うことにする。
「それで準備の方はどうなっている」
 気分を任務へと振り向ける。
「そうですな。基本的に必要な機材一式は最初から輸送車に組み込んでありますから、《AdTぼうや》の組み立てに半日ってところですか。まあ、ぐずったり、夜泣きしてくれなければの話ですがね、これは」
 そこに書類がある様に、空中で目を泳がして概算したミクマリが、駆動系や電装系に不具合がなければと小隊独特の言い回しで言った。小隊内で通用する符牒……と言うほどのものではないが、彼らの間では、自分たちがいじる完成間近かつ未完成な兵器のあれこれを、赤ん坊に仮託して言い表す風潮があった。
「そうか。ならば、出発は明日の早朝となりそうだな」
 少々残念そうな、しかし納得済みの蔡の言葉に、満足そうにミクマリがうなずく。蔡としても時間は惜しかったが、不必要なリスクを背負うべきではない。最終的には夜間試験も行う予定であるが、初日から冬場のシベリアでの深夜の決行は避けたかった。それはある程度昼間の試験で安全性が確保できてからの話だ。
「まあ、そういう訳なんで、自分らはこれから組み立てと最終調整に入りますんで、中尉はしっかりと休んで、コンディションを整えておいて下さいよ。わかっちゃいなさるでしょうが、この寒さにやられて風邪でもひいて、肝心の試験運転中にバテなすったら台無しだ」
「心配してくれるのはありがたいが、そんなことは言われるまでもないな」
 当然のことだと真面目な顔で応じた。付け加えれば、実は駐屯地内は寒くない。蔡は天井や床、壁の向こうに存在するはずの熱を伝える配管パイプの事を考えた。ロシア、もっと言えば寒冷地帯の建造物の例に漏れず、中央暖房機構セントラルヒーティングが完備されているので、建物の中はかえって暑いくらいだった。
「はっは、まあ、釈迦の耳への説法ついでにもう一つ。自分ら技術者は組み立てるまでが本番で、中尉らテストパイロットは操縦中、研究者の人らはデータの解析に理論構築とそれぞれ活躍の場所と時間が違いますからね、私らに付き合う必要はありませんて」
 やんわりと「だから、あんたはとっとと部屋へとおもどんなさい」ということだ。
 役割が違うのだから当然の話だった。自分が関われないことによる、一抹の寂しさがなかったとは言わないが、それでも「そうだな」とうなずいて、作業に入った試験小隊の面々から離れて、駐屯地内部の士官用宿舎の自分に用意された一室へと向かった。
 そして、蔡は思いがけない人物に遭遇した。
……ティモシー・スプリングフィールド」
 何故このようなところにいるのだと愕然として呟いた。向こうは自分のことなど知ってはいないだろうが、蔡は彼のことを知っていた。

    ※

……どうしてこんなところにいるのだ」
 もう一度、蔡は言った。口に出したつもりはなかったのだが、呆然と小さな声ではあるが、口に出して呟いていた。
「どうしてって、そりゃあ左遷されてきたからだが……そう言うアンタは誰だ。ええっと……中尉殿?」
 蔡の階級章をちらりと見て、知らん顔だ、上官か、面倒くさいと口以上に雄弁な顔つきで、ティモシーが言った。良くも悪くも素直な男である。
……あ、ああ。私は蔡道遥中尉だ。一応は貴官と同じ米軍の――君と違ってこちらは陸軍だが――出身だ、スプリングフィールド……少尉」
 ティモシーが怪訝な顔をする。どうして自分の名前を知っているのか、と言った顔だった。蔡は蔡で、ティモシーの肩に付けられた金色の一本線、少尉の階級章を見て、彼が少尉であることを訝しみ、困惑していた。
 ティモシーが竜士部隊を放逐されたことは聞き知っていたが、彼が少尉に降格されているとは考えてもいなかった。実際は、あくまでもティモシーは候補生であった為、少尉任官は昇進である。だが、蔡はその様なことは知らないし、現実に竜士候補生の方が一少尉、一戦闘機パイロットよりも、物的心的に色々と重んじられるのは確かである。
「その、なんだ、貴官は有名だからな、なにかと」
 言葉を濁す。流石に、面と向かって「貴様が憎たらしい」からだ、と言うほどに冷静さは欠いていなかった。そのことにひとまずはほっとする。
「そうですか?」
 特に目立つ真似をした覚えはないんだがなーとまるで自覚のないことを呟く。その態度にザラリとしたモノが腹の内で蠢くのを感じたが、それは抑さえつける。この様なところで暴発させるわけにはいかない。
「まあ、あれだ。竜士関係の事項は……ただでさえ目立つ」
 どうにかそれだけを言って、もう一つの真意とも言うべき言葉は飲み込んだ。
……おまけに、式典の最中に事件を起こしたような輩はなおさらにな)
「ああ。そうか」
 ティモシーは困った様な顔をした。蔡の言葉が、どうやら古傷をえぐったらしい。気まずい沈黙が流れた。二人は顔を見合わせて、次にどうするべきかをさぐっていた。
……それで、蔡中尉。どこかに向かわれるところだったんでは?」
 沈黙はティモシーが破った。気に食わない男だったが、今回ばかりは助かった。
……む、ああ。そうだった。自分に割り当てられている部屋へと向かうところだった」
 話はそれで終った。そそくさと、二人は当初の目的地へと相手を避ける様に足早に歩き出した。

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 2008-05-05作成 , 2008-05-05最終更新  
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