でかぶれ はつめいファイる2
こうてつざいくのおにんぎょう よん

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【 ひとつツんではハハのため、ふたつツんではチチの……あれ、内容と関係ないよね? 】

 最初、キツネかなにかの野生生物だと思われた。
《A.G.A:TH》と輸送車輌トレイラーにそれぞれ搭載された観測器は、ともに一つの熱源を感知していた。
 シベリアにはごまんと棲息する獣の気配。しかし、野の獣にしては不自然である。微動だにしない。じっと息をひそめて気配を殺し、その氷柱つららの様に鋭く冷たい爪と牙の射程範囲内に小動物が入ってくるのを狙い定め、待ち受けているのかとも思われたが、肝心の獲物となるべき生きた熱源が、少なくとも周囲十キロ四方には存在しなかった。
 感覚の鋭敏な獣たちは、《A.G.A:TH》の起動に従って鳴り響きだした何か恐ろしい物を思わせる轟音に、襲い来る雪崩を恐れる様にとうに逃げ去っていた。その事実も野生生物という人間たちの思いつきを否定していた。
 観測器の告げる《A.G.A:TH》と熱源との距離はごく短い。遮る物も無い平野では、なおさらにすぐ近くである。小隊員たちのたむろする地点から、三キロメートルほど離れた雪原の上だった。
 人を象った《A.G.A:TH》の頭部に設置されている光学観測器――要するにカメラであるが、場所が場所、物が物だけに眼を連想させ、実際に眼と通称されている。デュアル・レンズ・カメラの倍率を上げる。
 擬人化の度合いを深めるならば、目を細め、遠くの小さな物を見ようと目を凝らしたか、あるいは光学の利器、双眼鏡を覗いたといったところだろうか。
 高倍率下の眼は、小さな黒点を捉えた。
 降り積もった雪に反射し、増幅された太陽光を受けて白っぽい視野に補正をかける。だんだんと景色がくっきりとしてくる。一面の白の中に、黒っぽい小さな影が映っていた。
 黒影の周囲を切り抜き、拡大し、ディスプレイの解像度を上げると、それが何であるのかがはっきりとしてきた。
「人間……!?」
 困惑も色濃いうめきの様な小さな叫びが、蔡の口からこぼれた。
 毛皮の帽子とコートを身に着けた人間がうつ伏せに倒れていた。
 彼、あるいは彼女にとっては、ここしばらくの晴天こそ幸いだった。いつから倒れているのかは不明だったが、吹雪いてくれば十分とたたずに雪の棺に埋葬されていただろう。そうでなくても、風に飛ばされた雪が降りかかったのだろう、半ば雪に埋もれる形になっていた。
 既に命の灯火が消えていたとしても、なんら不自然ではなかった。だが、熱源探知にひっかかったということは、その人物が生きている可能性が高いという単純な、そして重大な事実を示していた。
「ミクマリ! 要救助者一名。……人間だ、それも倒れている。気絶しているのか昏睡か、微動だにしない」
「なんですと。人間? こんな場所に?」
「不明だ。しかし、発見した以上は放置しておくわけにもいかないだろう」
「それは、まあ、そうですが」
 ミクマリは苦い顔をしていた。《A.G.A:TH》とは軍事機密の塊り。陳腐な表現を用いるならば、秘密兵器だった。民間に対しては、徹底した情報統制が敷かれているくらいで、彼らがシベリアくんだりまでやって来ている理由の一つはそれだった。
 この新兵器に用いられている技術は全て最先端。枯れた技術が好ましいとされる兵器の世界で、不自然なほどに新しい知見が盛り込まれていた。
 それも全ては、《A.G.A:TH》が実験と開発を並行して行っている段階にある為であった。
 動力そのものは、ガスタービンエンジンに、補助動力装置としての小型ディーゼルエンジン数基とごくありふれた物である。
 ただ、ガスタービンエンジンの使用は、M1エイブラムズやT‐80などの戦車に搭載された先例が幾つか存在するが、陸上兵器としては珍しい部類に入り、加えて戦車とは桁の違う重量を動かす為に、航空機でも稀な規模の物が搭載されていた。
 それが発電機を動かし、内燃機関の機械的エネルギーを電気エネルギーへと変換する。ある種の内燃力発電である。それが、《A.G.A:TH》という巨大なシステム全体のかなりの割合を占めている。
 バッテリーや燃料電池の搭載も検討されたが、稼働時間の問題で見送られた。
 素材の面では、形状記憶合金と合成樹脂より成る人口筋肉アクチュエータに、その上から機体表面を鎧う特殊鋼の装甲板。強度と軽度を兼ね備え、マニュピレーターに強靭さと繊細さを並立可能にしたアルミニウム合金。
 各種の触媒や潤滑油、燃料となるガスの組成など化学的な観点から眺めても、ダイアモンドや黄金の塊りよりもなお貴重な情報の塊りであった。  市井に出回っている技術よりも、数歩先を行く技術であった。
 ミクマリなどは思う。技術者の目から見て、これは異常なことであると。技術の進歩は石を積む様に似る。それはどこまでも地道な発展である。また、水が高きから低きに流れる様に、熱量保存則のモデルが描く様に、高温と低温は接触し、移動し、全ては平衡する。
 全体的に底上げされていくものだ。
 ここにあるのは、一見、全て既存の技術を「ちょっと」発展させた程度の水準のものである。しかし、そのちょっとを縮めることがどれほど困難なことか! それはまごうかたなきオーバーテクノロジーであった。不自然なほどに、突出しすぎている。
 自分の専門から離れたことが解らないのは、細分化が進んだ現代では当然のことである。しかし、それでも分かることはあった。完全ではないが、ある程度の理解は出来た。ミクマリは優秀な技術者である。理解不能を理解する彼は、その優秀性ゆえに理解できてしまった。
 奴らがもたらした技術・理論はこの世界を根本から変えうる危険な力を持っている。
 上層部の令する情報統制は、きっと別の思惑に発するものではあったろうが、それでも彼はもっともなことと思っている。
 人命救助が目的であるとは言え、民間人との安易な接触は情報漏洩に繋がらないかと危惧していた。
「状況が状況だ、致し方あるまい。無闇と問答を重ねていては、救える者も救えなくなる。それに、対象までの距離はもう僅かだぞ」
……了解。しかし、注意を怠らない様に。現実味は薄いと思いますが、対戦車ミサイルなりで武装したテロリストって可能性もありますんで」
「無論だ」
 近づくと言っても不用意に機外に身をさらす様な気は元よりなかった。
「それに、個人で携行可能な火器程度の火力ならば、一発や二発、充分に耐えられるはずだ」
 当たりどころという問題はあるが、装甲板の分厚さとそれがもたらす耐久性能は、既存の戦車・戦闘機の比ではない。ある程度のダメージは当然としても、正面からであれば、まず致命傷は食らわない。
 また、吹雪いている時ならばともかくとして、この見渡す限りに平坦な雪原に伏兵はいないだろうと判断した。地下に潜伏しているという可能性が皆無とは言いがたいが、戦場ならばともかく、流石にそこまで気をまわしてはいられない。
 慎重に、しかし速やかに行き倒れに近づく。全長十五メートルの《A.G.A:TH》の一歩は大きい。わずかに百歩足らずで距離を詰める。腕を伸ばせば届く距離まで近づいて、《A.G.A:TH》は片膝をつく。
 比較対象の存在しない雪原のことで、近づいてみて初めて判ったことだが、何枚も重ねた防寒具に大分着膨れしてはいたが、行き倒れはほっそりとして小柄な人物であった。
「女性……あるいは子供か?」
 困惑の度合いを深めた。それが二メートルを越す巨漢ならば納得できるのかと言えばそんなこともないのだが、それでも意外の感に打たれる。《A.G.A:TH》の馬力からすれば大の男も赤子の腕も、捻り潰すのに労力の違いは無いのだが、その事実は蔡にいっそう丁寧な行動を起させた。意識の無い様子の行き倒れを、無用な衝撃を与えない様に、そっと《A.G.A:TH》の手で下の雪ごと抱え上げる。
「両方とはな」
 蔡は《A.G.A:TH》の手首を、三十度ほどゆっくりと捻った。巨人の掌の中で、小さな人間はその向く先を転じる。蔡は明らかとなった彼女の顔を見た。それは少女だった。見た感じはアジア系で、十代の半ばといったところか。防寒用途一点張りの大雑把な作りの、そしてところどころ擦り切れ、薄汚れた毛皮という無骨な見た目とは裏腹に、なかなか繊細で端整な顔立ちをしている。
 現地の人間だろうか。駐屯地を介して、行方不明の届出が無いか、後で照合してもらうべきかもしれない。
 持ち上げられた際の振動がこたえたのか、眠る様に瞳を閉ざす少女が、苦しげに身をよじった。沈みかけた思考を打ち切った。考えるのは後でも出来る。今はそれよりも先にするべきことがある。

    ※

 少女を救助した試験小隊の一同は、その日の試験を一旦打ち切り、駐屯地の医務室へと運び込んだ。
 今回はミクマリも何も言わなかった。
 今更であるし、幸いに気を失っているのならば、意識を取り戻す前に輸送車輌や《A.G.A:TH》の傍からさっさと離した方が都合が良い。
 それに、先の躊躇にしても、機密に関わる軍属の技術者としての義務感が言わせたものであり、心底少女に死んで欲しい訳も無い。
 駐屯地へと連れ帰る前、輸送車輌に積みこむ段階で、蔡たちは少女の身体・装備に対して簡易の検査を行っていた。内部に入り込む為のまわりくどい計略の一環とも考えて考えられないことはない。
 幸いに、女性研究者によって行われた身体検査の結果、彼女が武器らしい物を持っているとは認められなかった。
 そこからは比較的速やかに事態は進行した。
 早朝通ってきた道のりを逆に辿る輸送車輌の中から駐屯地へと、救助した少女を運び込むことと医務室の使用の許可を取り、検査並びに必要ならば施される外科的処置の準備万端整った医務室へと少女を運び込んだ。
 
「うん。問題はないね。確かなことは、じっくりねっとり舐めまわすような精密検査を行わない限り分かりっこないけれど、少なくとも今見た感じじゃ、手足の先にごく軽い凍傷……要するにしもやけだね、それが二つ三つあるくらいで、命に別状は無いと思うよ」
 きっぱりとキム軍医少佐は言った。
「意識が無いのは、体温を奪われたことによる昏睡と言うよりは、単純に疲労による睡眠だと思われる。だから、じきに目を覚ますだろう。うん、しかし、この娘は運が良かった。中尉、君たちが発見しなければ、あるいはもう少し遅く発見していれば、重度の後遺症が残っていただろうし、最悪死んでいた可能性は充分ある」
「それは幸いです」
 心底安堵した様に蔡はうなずいた。機密よりも人名救助の優先を当然とする信念からもうかがえる様に、善良な性質の持ち主であった。
「うん。まあ、こちらとしても、手遅れの患者を運び込まれても後味が悪いが、放っておいても勝手に治る患者を運び込まれても腕の振るい甲斐が無い……なんて言ってしまうと不謹慎か」
 冗談としては悪趣味だと思ったが、ともかく軍医も喜んでいる様だった。
「あの娘が眼を覚ましたら知らせるから、君は持ち場に戻るなり、休むなり自由にするといい」
 蔡にそう笑いかけると一転して、こちらには困ったもんだと対照的な呆れ顔で言った。
「そして、そこの暇人どもはさっさと自分の持ち場に戻りなさい」
 軍医と同じく呆れた様子の蔡とが白い視線を向けた先、医務室の出入り口付近には、ミーチャを筆頭とした物見高い駐屯地の野次馬どもがたむろしていた。
「いや、お見舞いにね」
 と言ったのは、熊っぽい中年。リュトフ整備士だった。
「面会謝絶だよ。それ以前にリュトフ。あんたも大概良い度胸をしているねえ。医務室に持ち込んで良いアルコールは消毒用アルコールだけだって前々から言っているだろうに」
 リュトフの着るツナギの胸ポケットから顔を覗かせる、錫合金ピューター製の携帯用酒瓶スキットルの鈍い銀色の輝きをにらみながら言った。中にはウィスキーが詰まっていると見て間違いない。
「あんたには、確かこの前、禁酒を申し付けたはずなんだがね。三十と……何回目かの」
「おう、三十八回目だなあ。しかし、勘弁しておくれよ、キムさん。酒はあたしの燃料だ。燃料尽きて、火の消えちまった機関エンジンほど寂しい物は、この世に二つとありゃあしない。それに、動かなくなった機械はすーぐに痛んじまう。それと同じで、あたしが酒を控えたりしちゃあ、あれだ、ストレスで逆に胃に穴が開いちまうよ」
「まったく、度しがたい莫迦だねえ、この男は。何べん言っても聞き分けやしない。それに、その喩えで行くのなら、過剰に酷使された機械は機械で、そっちの方がよっぽど駄目になる度合いは大きいんじゃないかと私は思うんだけれどね」
「いや、そう思うのが素人の浅はか……
「お黙らっしゃい。そう言うあんたは医学に関しちゃまるきりの素人だろうが。土台、天然自然の人間様を、人間風情のからくりと同列視するのが間違ってんだ、四の五の言わずに、素直な坊やは良い坊や、だ、医者の言うことにゃあ従っておきな」
 抗弁にはまるで耳を貸さず、ぴしゃりとやっつけてしまう。人間様と言った直後に人間風情とつなげるなど、いささか支離滅裂な部分はあったが、そんなものをものともしない勢いがあった。
 唐突に始った二人のやりとりに蔡は目を白黒とさせる。しかし、周囲は慣れたもので「またぞろはじまった」とにやにやと成行きを見物している。飽きもせず行われる両者のいさかいとも言いがたい、じゃれ合いめいた口論は、傍からは、良い退屈しのぎなのだろう。
「あの、先生」
 脇に控える巨躯の看護兵が恐る恐ると言った様子で、丁々発止やり合う……と言うよりはむしろ軍医が一方的に整備士をやり込める間にわって入った。惰弱にも似た彼の優しさは、でしゃばること、邪魔をすることに疚しさを抱かせたが、同じく優しさから来る職業倫理が躊躇いを抑えこんだ。
 きょとん、と珍しいこともあるもんだ、という顔をする軍医を含む一同に、おずおずと、しかしきっぱりと告げる。
「一応、その、大事無いとはいえ、患者さんが眠っていますから、その……お静かに」
「ありゃ、そうだったね」
 キム軍医は、毒気を抜かれた様子でうなずいた。
「私としたことがこれは迂闊だった」
 ぽりぽりと頭を掻く。
「まあ、そんなわけだ。リュトフ、あんたにはまだまだ言ってやりたいことが大量にあるんだが、今は一先ず止めにしておこう。良いね?」
「いいとも、そりゃあ、あたしとしても病人に負担をかけるのは本意じゃあない」
 それに、お小言から逃れられる格好の機会だった。そんな、心づもりも露わなリュトフの態度に、周囲の者たちは「そう思うのなら、最初から医務室に近づかなければ良いのに」と囁き合った。
……それで、ドミトリー・ベリーイェフ。あんたはあんたで何をしているんだい」
「いや、美少女って話だったもんで」
 それで、喜び勇んで来てみれば、噂に違わぬ美少女であった為、目の保養をと相成ったわけだ。眠れる美少女の寝台の傍らで、王子ならぬ兵士がやにさがった間抜け面を晒していた。
「まったく、このエロ餓鬼が」
 天を仰いで言葉を紡いだ。この小僧が他の事にこれほど熱心に行動している姿を見たことが無い。
「まかりまちがっても、いたずらするんじゃないよ」
 そこまで腐っているとは、それ以前に眠りこける相手に性犯罪をしでかすほど度胸があるとは思わないが念のために言っておく。するとミーチャは傷ついた顔をした。
「そんな情けない顔をおしじゃないよ」
 まったく、その情熱をどこか別の場所に回せれば、なんであれひとかどのことが出来るだろうに。この駐屯地の人間は、揃いも揃って能力とやる気の使いどころを間違っていると思う。
 さて、蔡道遥も木石ではない。美人と言われては拝みたくなるのが人情だった。ミーチャほどに無作法でもないが、改めて自分が助けた少女に近づくと、その顔を眺めた。
 そして、ほおっと感歎の声を思わずもらした。
 あの場でも端整な作りをしていると気づいてはいたが、汚れ放題の衣装を取り替え、張り付いていた汗と垢、埃を拭いさられた今、その美しさは際立った。端整で繊細な面差しであるが、不思議と脆弱な感じは与えない。
 美人を指すに、鄙には稀な、という形容が存在するが、脆弱を伴う洗練ではなく、鄙なればこその生気に溢れた存在と言おうか。貫頭衣風の簡素な患者衣と相まって、いまだ雪焼けの残る皮膚が痛々しいが、それがかえって少女の生存する力を強く印象付けた。
 それをしばらく眺めて、うん、と満足そうにうなづいて、蔡は医務室を離れた。

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 2008-05-05作成 , 2008-05-05最終更新  
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