【 にらまれてるみたいで、おさかなのメってちょっとこわいよね? 】
「ソウル・サッカー――すなわち、魂を吸う者、ですか。言いえて妙。本人は思いついた事を口から出任せに言っているだけなのでしょうが、どうして、事の本質をなかなか的確に捉えている」
ティモシーの言葉に対してそんな評価をスーラは下した。彼は静かに感心していた。その証拠はしきりとあごをさする左手。心動かされた時、あごに手を添えるのが彼の癖だった。
「まあ、霊魂などと言うものが、果たして確たる実体として在るものなのかどうか、その点はいまひとつ知れませんが、ただ、人間の意識とは脳内を流れる電流や、分泌される化学物質による各種の刺激に対する反応の諸相ですからな――それが全てだとは言いませんが、少なくとも一面においては」
あごに添えていた左手を無意識に動かす。自身考えを纏める様に、口の中で呟きながら、親指でついと鼻梁をこする。
「ひるがえって、そういう意味では電子情報を喰らう《電脳種》が、人の魂を食らうという彼の指摘は、いささか表現が詩的に過ぎますが、あながち間違ってはいないかもしれません――」
間に、少なからぬ飛躍が介在するのは承知の上で、
「一考に値します」
と頷いた。
その横では、ティモシーの操縦する戦闘機の機動を見た一人の空軍将校が、いたく感心した様子でしきりと頷いていた。
「しかし、良い腕をしている。手練のヒコーキ乗りがあらかた討ち死にした昨今、これほどのパイロットは稀だぞ。辺境の陸軍基地なんぞで埋もれさせておくには惜しい腕前だ。無論ここで朽ちさせるにはなおさらだが……まったく、実に惜しい!」
感心するほどに、やがて悲しい。ティモシーの現状と将来を惜しんだ。
画面の中、神話の語りか怪奇幻想小説誌の誌面に現れる妖魚の如き《WUEM》の繰り出す攻撃を、戦闘機は危なげなく回避し、彼我の絶望的な大きさの格差にも怯むことなく攻撃を加え続けている。
突如として《WUEM》の十七ある眼孔の内で、ただ一つ対の眼を持たない異形の瞳がきゅっとすぼまった。
「危ない……!」
誰かが叫んだ。
魔眼が世界に呪いをぶちまける。
わずかに瞬き分の一拍を置いて、一気に眼が見開かれた。瞳孔の表面から青紫の放電を伴った熱線が発射される。極限まで絞られた微細な熱の線が空間を薙ぎ払う。膨大な熱量が空間を灼いた。地に達した熱線は、山を穿ち、峰を切り崩した。超高熱に耐えかねた岩石が、とろとろと溶け出す。ところどころでは溶解さえも越えて瞬く間に蒸発する。
昇華。
極まった熱量が起こす相転移現象だった。
たわみ、一瞬口を開いた次元断層の奥に幾千万を軽く越す蠢動く怪異の影が見えた。大小無数。数え切れぬほどの影の中には、この場を泳ぎ回る《WUEM》が、水中を漂う塵に思えるほどの巨大さを誇るものさえも数限りなくあった。
それは余りにも畏大だった。見る者たちには声もない。
その姿が千言よりも雄弁に、無言のうちに人間をして理解させる。
なんじは卑小なり。
波立ち、ざわめき、さんざめく人の心が覚えるのは、ただただ圧倒的な衝撃と本能に根ざした恐怖だった。人間や尋常の動植物を、軽く超越してしまった存在への根源的な恐怖が、言葉を奪った。
一条の熱線と万条の瘴気。
全長十九メートルの戦闘機が、波浪風雨に翻弄される、大海の中の一本の小枝にしか見えなかった。
断層が口を閉ざす時に生じた衝撃の波が、異様な輝きを伴なって太陽の耀斑が様に広がる。衝撃波の戦闘機を呑み込もうとするのを紙一重で避ける。
真実間一髪と言うべきもので、輻射熱の名残で尾翼が変色していた。
幸いに、実際の飛行と戦闘に関する機能には一切の問題はないようだったが、しかし、そう、変色していたのだ。いくら精密であるとは言え、このシミュレーターにそこまで瑣末な部分を再現する無駄な機能は存在しないにも関わらず。
元よりすべては仮構だが……そこでは、虚構、幻想、観念のケモノが、現実を侵蝕している姿があった。
しかし、圧倒的な、牙をむく地異、天嵐に似たソレを鉄の鳥はかわしつづける。
「ふむ、素晴らしい」
スーラは賞賛の言葉を惜しまなかった。
「見たところ、魔術的な素養はなさそうですし、一部の預言者や巫覡に見られるようなある種の『神懸り』的な精神状態にあるわけでもない。どころか、一見して我を忘れた様に熱を帯びた口ぶりとは裏腹に、その行動は酷く冷静だ。自分と部下の命が危険に晒されていると自覚しているはずでしょうに、特に恐れる風も無い。のみならず、危機を自覚すればするほどに理性的になって行く。なるほど、一種動物的な閃き、純粋に生物が備える危機回避能力だけで危険を察知回避しているのだとすれば、自己の生命に対する危機が近づけば近づくほどにそれが冴え渡るのが道理ですか――」
目の前の現象を冷静に分析しながら、愉快そうに続けた。
「あるいは、武術の達人に見られるという、いわゆる『見切り』の類か?」
一瞬、チラリと列席者の中の一人の女性将校――傍聴人として出席している二十代半ばの尉官に横目をやった。
その空軍大尉はじっと画面を見ながら何かを考えているようだった。時折その口が、音になりきらぬほど小さく言葉を刻む。その内容は「反応が遅い」だの「未熟」だのと、大勢の感心と異なり、全体的に点が辛かった。
別段嘲るでもなくただ淡泊に、名人が若手に対する様に評点する。それが、ふとスーラの視線に気付いた様で目をそちらに向ける。スーラはそれに口許を小さく歪める彼特有の笑みで応じた。口の形は三日月をなす。
ふと、それが半月弧を描いた。
「解剖だ!」
さほど大きな声でもなかったのだが、顔色一つ変えずに叫ばれたスーラの言葉に、周囲がぎょっとして一歩下がる。
「……と、私が脳科学や超心理学の徒なら言っていたであろうくらいに興味深い」
心なしか、周囲の驚きを愉しむ様に薄く笑った。ひねくれ者の笑みだった。
「まあ、解剖などと莫迦なことはしませんが、当然データは採っておくべきですな。後学の為にも」
傍らに控える部下に顔を向ける。
「ああ、君。確かあの型のシミュレーターには医療用の検査機構が組み込まれていたと思いますが、優先的にそのデータを集めておきなさい」
指示を出す。
検査機構は、訓練中に発生が見込まれる緊張や擬似重力加速度、ストレス、CG酔いなどによって起こる体調の異常を瞬時に察知し、対応する為に組み込まれている。
それを通して得られたデータから、後で調査しようと考えた。
しかし、その目論見は外れた。
「それが――」
指示された女子研究員が、言いにくそうに口ごもる。
「どうしたのか」
「彼が接続している端末は、どうも間に合わせの代用品であるらしく、シミュレートには不要な、脳波計や呼気計といった検査機器の類はあらかたオミットされているようで――」
加えて、カメラの類もないので顔色から判断するというわけにもいかない。
「ちっ……上手く行かないものですね。まあ良いでしょう、それにこう考えれば問題ありません。元よりこんな不完全で突発的な状態で万全のデータが取得できるはずも無いのですから、採取可能な領域で精度を高めるべきですよ」
負け惜しみでもなく、そう言った。
※
三閃。
僅かに時間と角度を違えて発射された熱線が三度空間を薙ぎ払った。
「はっは、愉快、愉快。楽しいなあ、おい」
「……そっそうっすね、はっはははははぁー」
心底楽しげな笑い声に続いて、力ない笑いが上がった。
前者はティモシーの発したもので、後者はミーチャの嘆きだった。
心の中では「そんなわけはないだろう」と大声で叫んでいる。実際に何度言おうと思ったか、けれども口に出したところで顧みられる可能性は、まず絶無。憂鬱になりそうで、それでもミーチャは自棄になって笑った。
「しっかし、どうするかね。ミサイルはさっきから、三基使っちまったしな」
笑みを収めるでもなく、そんな絶望的な状況を謳いあげた。
ミサイルは全部で六基収納されている。『プランクトン』に対して用いた一基を差し引いても、既に二回発射していた。残りは三発。ミサイルは戦闘機最強の攻撃力である。しかしそれも、わずかに表皮を傷つけた程度で、さしたる痛手ではなかった。
困ったね、とまるで困った様子もなく呟きながら、操縦桿を手前に引く。昇降舵――戦闘機の後尾に位置する水平尾翼に取り付けられた可動性の翼が下がり、上向きに機体が上昇する。
ティモシーの馭す戦闘機は、怪魚の上唇を乗り越え、砂丘の様な魚鱗の、段々に続く稜線をたどる様に飛んだ。
鱗の隙間から、半透明の黒っぽい糸が生えている。
糸と形容したが、それはあくまでも巨大な《WUEM》との比率から糸と見えるだけで、実際の太さは直径一メートル以上はある綱か柱の様なものである。形状としては錨に似ていた。
「さしずめ、寄生柱ってところか?」
「そんな、うまいこと言ってる場合じゃないと思うんすが」
それは触手の類ではない。言うなれば寄生虫。近いものでメダカの類に寄生するイカリムシにでも相当するものだろう。
宿主を守ることが、寄生体にとっては自身を守ることにつながるのだろう。
黒味を持った錨状の綱は、痙攣する様に蠢くと、鞭のしなりをもって戦闘機を打ち据えにかかってくる。どこか緩慢とした軌跡を描く一撃は、しかし、それぞれが必滅の威力を備えていた。
正気を欠いた様に笑ったティモシーは、しかし彼我の戦力差を冷静に把握している。
その攻撃力は強力だ。当たれば、戦闘機などひとたまりもないだろう。機体を横向きに倒しつつ回避する。方向転換をし、機首を向けて機関砲を連射する。
タングステン合金と同比重のデータを持つ徹甲弾がばら撒かれ、周囲の鱗もろとも寄生柱を粉々に粉砕する。
剥離した鱗と柱の断片を回避しながら、飛行する。
一斉射、二斉射、三斉射。
胴体の周りをグルリと飛びまわりながら、襲い来る寄生虫を迎撃爆砕する。あらかた討ち果たしたところで、剥離した鱗の下へと連続して機関砲を、雨あられと叩き込む。
鱗は剥れ、表皮は削れ、血液に相当するものか、人間には理解しかねる色合いと光沢を持った――敢えて言えば黄味がかった紫色に茶色のペンキを混ぜ合わせた様な粘液と、対照的に妙に綺麗な白っぽい桃色の肉片とが交じり合ったものが撒き散らされる。
「白身魚だな」
ティモシーはどこか場違いな感想を懐いた。露出した部分の身の付き具合が、捌いた白身魚のそれに似ていた。
身は露わとなった。だが、あまり効果的とは思われなかった。
確かに、ダメージは与えている。しかし、それは人間で言えば擦過傷――皮膚がめくれて、皮下の肉と体液が薄く見えているだけの様なもので、確かな傷とも言いがたい。
「まあ、あれだ、絶望的に火力が足りないな」
目を細め、首を傾げる。
「なんで、そんな楽しそうなんすか」
「楽しそう? そうか、俺は楽しそうに見えるのか」
指摘に一瞬、虚を突かれ、黙り込む。しかし、その表情は自覚的に愉快気だった。
「なあ――」
しばらく何事かを考えていたティモシーがふいに口を開いた。
「お前、『ミクロの決死圏』って知っているか?」
「は? ええと、名前だけは。確か、古いアメリカ映画っすよね、見たことはないっすけれど」
いきなり何をと思いつつ、反射的に応える。
「そうだ。アジモフが小説版も書いているな。ま、別に『ヨナ書』でも良いんだが。うん、そうさな、こっちの方が近いか」
「それが何か……って、ヨナ!? まさかっ……!」
「おーけー、察しが良くなって来た。良い傾向だ……飛び込むぞ……!」
「やっぱりっすか、やっぱりそうなんっすか……!」
もはや諦観に近いミーチャの悲鳴を残し、戦闘機は怪魚の体内へと突っ込んでいった。
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