【 きたのだいちは、とってもサムいのです。 】
ヤクーツク駐屯地司令磐埜伊梨哉一等陸佐は、日本に帰化した白系露人の末裔である。
白系露人とは、ロシア革命後、ソヴィエト政権の主導する共産主義に馴染めず、あるいは成行きで、ソヴィエト連邦の国外に逃れた旧ロシア帝国臣民の総称のことだ。
ところで、「白」の語が白色人種や白ロシアを連想させる為に勘違いされがちであるが、これは何も人種や民族を指す言葉ではない。革命の象徴である赤と、それと対置された反革命の白たるロシア人である。
もっとも、積極的にソヴィエト政権に反抗した者もあれば、別に反抗をしたわけでもないのに周囲から「反革命的である」というレッテルを貼られてやむなく脱出したという者も多いため、この呼称は実態にそぐわないという意見も存在する。
しかし、彼らを言い表すのにこれ以上的確な言葉が存在しないこともまた事実。
赤――共産主義から見た蔑称的な含みのある言葉ではあるが、ともあれ、白系露人であり、白系露人の末裔である。
磐埜一等陸佐の場合は、曽祖父が帝政ロシアの下級貴族だった。
革命の戦禍を逃れてどうにか北海道に渡り、そこで欧米に逃れる資金が尽きたというある意味で典型的な白系露人だった。
磐埜という姓は音写であり、伊梨哉もそうである。イリヤー・ヨシフォヴィチ・イワノフとなるだろう。現実にロシア人向けにはそう名乗っている。真ん中に来る父称のヨシフォヴィチは、父親の名前が義夫であるためだ。
と言っても、ロシア革命の起こったのが1917年のことである。
九十年も前の話であり、彼の父さえも未だ生まれていない頃の話だ。また帰化の申請が許可されたのは、祖父の頃、戦後の事だったが、それでも五十数年前の話である。彼は生まれていない。
一面識もない曽祖父ミハイル・ゲオルギエヴィチ・イワノフやソヴィエト連邦崩壊の数年前に没した祖父などは、何時か故郷――ロシアの土を再び踏む日の事を夢見ていたらしいが、曾孫であり孫である彼は生まれた時から日本人であり、日本人として育った為に、ロシアで勤務している己の境遇にもあまり大した感慨はなかった。
四分の三ロシア人で、四分の一日本人という生い立ちが与えた彫りの深いスラブ的な容貌と、バイリンガルとしてロシア語を解する能力が上層部の目にとまったのだろうと思っている。
二年前――2002年度に発布された『世界防衛宣言』に従って、磐埜二等陸佐〔当時〕の所属する観測師団の増強も行われた。その際に駐屯地が幾つか新設された。
彼は、一等陸佐への昇進と同時に、師団本部勤務からヤクーツク駐屯地司令へと転任して来た。ある意味で栄転の名を借りた左遷なのだろうとも思ったが、与えられた任務には忠実であるべきだとも信じていた為に、淡々としかし熱意をもって日々の任務に当たっていた。
辺境の駐屯部隊として大した事件も無く変わり映えのしない毎日だった。変事など起こってくれても困るだけだが退屈な日々ではあった。それが、今日は珍しくも事件があった。唐突に一人の士官が派遣されてきたのである。ヘマをしでかして左遷されてきたものらしい。
「よく来た。もっとも、君にとっては不本意きわまりないかもしれんがね」
単なる俗信に過ぎないが、理知的と形容される額の広い端整な顔に深みのある笑顔を浮かべて、渋面で着任の挨拶を告げる年若い士官に歓迎の言葉を贈った。
「ともあれ、我々『極東次元界面観測師団・第七八連隊』ヤクーツク駐屯地一同は君を歓迎するよ」
眼前の、不自然に若い未だ二十にも達していないであろう少尉の階級章付きの軍服を着た青年を見て、彼はニヤリと笑う。
「まあ、此処に飛ばされてきた経緯を見るに、自衛官・軍人としてはあまり使い物にはならんかもしれないが――」
一拍置く。面白そうに笑う一等陸佐の瞳の中で金髪の少尉は、嫌な事を思い出した、とさらに苦い顔になっている。
「だが、男としては、なかなか気骨があって宜しい」
愉快そうに笑った。
「改めて、歓迎するよ、スプリングフィールド少尉」
※
「極寒のシベリアで朽ち果てろ。ガキ……!」
と猫宮空将補は言った――言っていない。記憶の捏造である。
だがティモシー・スプリングフィールド少尉の左遷先は、シベリアはシベリアでもただのシベリアではない。シベリアの最奥にしてシベリアのど真ん中、極東連邦管区に属する連邦構成主体サハ共和国だった。
地球最大の領土面積を有するロシア連邦共和国は、冠した連邦の言葉が示しているように全部で八十九の連邦構成主体と呼ばれる国家・地域からなる連邦制をとる国家である。
もっとも、国家と言っても連邦政府からの独立権限など、徹頭徹尾に無縁のものであり、実態としては自治区となんら変わるところはなかった。
そしてそんな国家の一つが、ティモシーが配属された基地の所在するサハ共和国だった。
極寒の国である。
ロシアという国が、そもそも寒帯・亜寒帯がその領土の半分以上を占める寒冷な国家であるが、山国にして半ば北極圏に入ったサハ共和国はそのなかでも別格であった。
南北の極地を除いた人間の住む土地の中では観測史上最も寒い気温を記録したこともある土地である。
そしてまた、矛盾するようだが酷暑の国でもある。
夏は最高40℃に達し、打って変わって冬になれば零下50℃を記録する。実にその差90℃〔以上〕。年によっては100℃を越えることもザラにあるという、どこか別の天体の話と勘違いしてしまいそうな気候。
国土は広大で、東西南北どちらも最長で2000キロメートルを越え、その面積はロシア連邦全土のおよそ五分の一を占めている。それはおよそ300万平方キロメートルと実にインド亜大陸に匹敵する。
もっとも、お世辞にも住み易いとは言いがたいせいか、その広大な面積に居住する人間の数は、わずかに100万人ほどでしかない。これは1億4000万のロシア総人口の百四十分の一程度に過ぎない。
住人の内訳は、五割ロシア人、四割テュルク系と言われるヤクート人で、残りがツングース族のエヴェンキ人などの120とも言われる数多くの少数民族である。
ちなみに、国の名に冠されたサハとはヤクート人の自称である。ヤクートは他称で、サハ共和国と自称に沿った国名に改称される以前、ソヴィエト連邦時代にはヤクート・ソヴィエト社会主義自治共和国と呼ばれていた。
余談である。
主要産業は工業や林業、木材加工業などの第一次、第二次産業である。特にダイヤモンド鉱山や炭鉱が主であった。
こう言ってしまえばなんだが、はっきり言って、連邦の首都モスクワからは遥に遠く、地球とフォーマルハウトほども離れたイナカである。距離的にも日本の方が近い。実のところウラジオストック経由で新潟まで空路で三時間である。
思いのほか近い。だが、これには小さいが深い陥穽がある。空路を利用しなければ鉄道もなく、育ち過ぎ芽吹いた馬鈴薯の表皮の様な凸凹道に自動車を走らせるか、共和国を南北に貫くレナ川を船で往来するしかないというのが実際である。
そして、空路は飛行機が良く落ちると評判だ。そして、レナ川は冬になると凍結する。
ともあれ、たとえそうでも日本に比較的近いことに変わりはない。
それで、多かれ少なかれ各共和国や自治区の人間は、連邦の支配に対してあまり好ましい感情を持っていないわけだが、その中でも比較的親日的な共和国だと言われている。
そんな感じに緊密とは言いがたいが、両者はけして無縁ではなかった。どころか、日本にとって極めて戦略的に重要な場所だと言えた。
先ほどダイヤモンドや石炭の採掘が主要な産業だと述べたが、つまり地下資源が豊富なのである。地下には豊富な石油や天然ガスが眠っていると考えられている。ただし、サハの特徴とも言うべき国土の四割を閉ざす永久凍土によって覆われているために容易には取り出せない。
採掘する為には、専門の高度な技術と豊富な資金とが必要となる。
サハ共和国は日本へと資金援助と技術供与を求め、日本もそれに応じた。見返りは言うまでもなく化石燃料である。また、同じく東シベリアの地下資源に色気を見せている中国に対する牽制もあった。
民間のレベルでの接点はあまり存在しなかったが、軍事・政治のレベルで見れば両者はある種の蜜月関係にあったと言えるだろう。
たとえば……。
そう、たとえば『日本政府の供出金で成立っている基地』であるとかが存在するくらいに。
それが、ロシア連邦国内に存在する駐屯地の司令を日本人の自衛官が勤めている理由の一つだった。
今一つは、前世紀末以来の対《WUEM》を目的とした、世界的な協力体制構築の一環としての、発端となった日米独露を主軸とする各国軍の混成部隊編成計画の賜物だった。
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