――雑木林にて――
「せいっ!」
気合一声。裂帛の呼気に乗せて蜜色の髪の乙女が振り抜いた白銀の刃は、狙い過たず目標を捉え、その喉笛を切裂いた。
斬りつけられたのは、攻め手たる少女とは対照的な、地を這う鼠に似た醜悪な怪物。小柄な妖鼠は迫り来る刃を避けようとして、しかしどうにも避けきれずに前向きにくず折れた。
「〜〜〜〜〜〜〜!」
くず折れ膝を突いたクマネズミにそっくりな化物は、喉に穿たれた穴を両手で押さえながら、意味の判らない叫びを上げた。だが裂かれた喉から洩れるのは「ヒュー、ヒュー」と乾いた音ばかりで、ちゃんとした声、意味のある言葉にはまるでならない。
乱れた呼吸を整えながら、冷然と少女はそれを見下ろしていた。
だが奇妙なことに、大きく穴の開いた喉から洩れるのは透明な空気ばかりで、紅い血は洩れ出でなかった。もっとも、それは怪物の身体を流れる血が、赤く、透明ではないという前提に立っての話ではあるが。猿よりもなお人に似ていながらも、やはり人ならざる化物である、その辺りでも人とは、いいや、尋常の生物一般と違うのだろう。
流れ出る血の代わりに、少女の目には仄かに光る蛍か、それとも鉱物の蓄えた燐光のような光の粒が見えていた。小さな掌の中の短刀の刃にもそれはこびりついている。刃に纏わりついた燐光を拭いながら彼女は何かを小声で呟いた。
あたかもそれは魔法の言葉。言葉に応じて、途端に粒子の量が増大する。
それと同時に急激に進行する怪物の崩壊。
悶える鼠の身体が崩れると同時、毀れた肉が燐光に代わる。明滅し脈動する。流れる澪に、こぼれる雫、流れたなびく霞のような粒子はもはや壁の様な有様となって向こう側が見えない。
髪と衣服に纏わりつくそれを、わずらわしそうに払いながら、少女が懐から何かを取り出す。
それは小さな香炉だった。
玉製の精緻な細工の施された美しい香炉で、上品な光沢のある緑色が、乱舞する光の中で幻想的に輝いている。
翡翠の香炉を掌上に載せ、ついと右腕を前方に突き出すと、先ほどとは別の言葉を少女は呟いた。
轟っと、強く大きな音が響いたような気がするのは錯覚。本当は一切の音も伴わず、フィルムを逆回しにした無声映画のように、粒子が香炉の内へと吸い込まれて行く。
そして光の粒が全て吸い込まれた時、そこには少女の姿も化物の遺骸も、どちらももはや残っていなかった。
全てが――そう、まるで初めから、そこでは変わった事は何も起きていなかったとでも言うかのように全てが儚くも消え去っていた。
それは眠りから醒めた夢。大蛤の吐ける息。
全ては陽炎か朧のように、春先の雪のように儚く消え去っていた。