――梅景――

 十六夜いざよいの晩だ。
 輝きがおとろえた分、昨夕ゆうべよりも鋭さにまさる青鉄色の光に照らされて、梅景うめかげに佇む女は、ぼうっと虚空を見つめていた。
 いや、見つめると言いえるほど能動的な振る舞いではなかっただろう。
 たまたま頭がそちらを向いており、両の眼がそこにあった、そんな程度だ。
 かといって、その身にまとう雰囲気は、けっして虚無的ではないし、陰性のものでもない。だからこそ、いっそう、彼女の印象は曖昧なものになっていた。
 華美ではない、だが地味でさえもないのだ。
 その女は、ありていに言って平凡な女だった。
 ほめたたえるべき美点も、こきおろすべきべき欠点も、どちらも持ちあわせてはおらなかった。
 これといった特徴のない、凡庸な顔立ちをしており、身体つきも、多少ほっそりとしている以外は、特に変哲はない。
 強いてあげれば、上等の紅を思わせる、微妙な色ぐあいの赤毛が、わずかに人目を引いただろうか。
 しかし、それも娼妓ゆうじょの派手さはない。言うなれば、良家の妻女が密やかに差している部類のそれである。
 よほど注視せねば判らない。花園に埋もれたこけのような美しさだった。
……しかし、向こう側が透けているようなこともなし、土を踏む足が存在しないでもなし。なんだ、つまらぬ、尋常じんじょうの生物となんら変わるところがないではないか」
 唐突に女が言った。
 梅の下に佇む女ではない。
 ゆっくりと歩いて十五、六歩ほどの場所からの声だった。
 供を連れた貴族風の女が立っていた。
 梅の女とは対照的な女だった。
 豪壮、華麗という言葉がしっくりとくる。
 各々の部位のみを見れば、むしろ深窓の姫君、手弱女たおやめの風を連想させる、あえかで繊細な造作つくりである。
 それが一度、この女を構成するとき、絶妙の調和をもって、女の精気を際立たせる。
 花を吹き散らす強風を思わせる女だった。
「月の照る夜毎に、梅の古木に、女の幽霊が現れるというから、もっと、おどろおどろしい陰鬱な妖女か、あるいは天女めいた存在を期待していたのだが、まるきり当てが外れたな」
 もとより無聊を慰めるための、興味本位の野次馬ではあった。
 しかし、多少、期待はずれではあった。
「結構な話ではありませぬか。神霊にせよ、怪異にせよ、ヒトが無闇と関わるものではありませぬ。それを、まったく、何を期待しておられるのです、ヒメ
 変事の無い事が不満だと告げる、主の不謹慎をたしなめる。
三鷹みつたか、そなたは……。まったく、風情のない言葉だ」
「かようなことに風情を求められますな。詩歌しいかに親しむなり、華を嗜むなり、なんなりとありましょうに」
 嘆かわしいことです、と従者――三鷹と呼ばれた青年は言った。
「嫌味ったらしいこと。だからこそ、こうして、華――梅の木を観に来たのであろうに。幽霊見物など、観梅のついでだ」
「詭弁です。それに、アレは幽霊ではなく、梅の木の精霊では」
……おお、なるほど。そうか、そうか、木霊こだまであったのか」
 納得がいったと手を打ち叩いて、わざとらしいほどに激しくうなずく。
「なんだと思って……と、幽霊ですな」
「うむ。花の精といえばもっと派手派手しい、娼妓のような女か、さもなければ可憐な乙女の姿で出てくると思い込んでいた。ところが、これがあまりにも平凡にすぎて、あたくしは思いつかなんだよ」
 愉快気に笑った。しばらく笑って、ふと、「はて」と首を傾げた。
「しかし、何をする為に、アレはああして出てきよるのか?」
……さて、特に何かを訴えたくて出てきているといった風でもありませぬし」
 三鷹も、一瞬虚をつかれたように考え込んだ。
…………
…………
………………
 眼を細め、改めて梅の木を眺める。十六夜の光華はなの下、梅花は淑やかに咲いていた。
 一枚ごとに、微妙に色合いを違える紅色は、その化身の髪と同じ色だった。
 青みを帯びた月光が、夜の闇が、いっそうの深みを与えていた。
「闇に浮かぶ華というのも乙なものだが……ああ、存外、人間が花を観るように、アチラもコチラを観ているのかもしれないな」
 いくらかの沈黙の後で、ふいに女はそう言った。


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