岩の灰色、樹木の茶色、木の葉の緑に木漏れ日の色
森の中の彩りは、思いがけず豊かだった。黒々とした葉の緑を基調とした景観が、壮観な、しかしどこか
本来
湿り気を帯びた、土と草の濃厚な匂い
しばらくすると、いくらか開けたところに出た
私たちを取り囲むのが背の高い年季の入った大木ばかりだということに変わりはないが
木の葉の緑色の代わりに青色の空が広がっていた
雲の影は無く、そこから差し込む力強い陽射し
「って、光源は何処よ?
思わず天に突っ込む
そこには太陽も、月も、何か他の天体らしき物の姿は一切無かった
空全体がそれ自体で光を発していると言うか
奇妙で、不思議ではあるが、ともかく光は光であり、照らされた空間には大きな池と、池に浮かぶ一軒の
物寂びた茅葺屋根の
材は……
前を行く茉莉花は躊躇うことなく進み
くれると言うか、くれやがると悪態をつきたい気分だった
不透明に過ぎる状況に対する不満と、注意にも関わらず転びかけたことに対するばつの悪さからやさぐれていた
そして、私たちは四阿の内へと入り、そのまま茉莉花は自然な動きで石の腰掛に腰を降ろした
それを見て、意を決して私も座った
すると、ここに案内するまで必要な事以外は無言を貫いてきた茉莉花が、ようやく口を開いた
ただし、口を開いたと思ったら、なんだろう、それは私の熱望している説明ではなかった
「あ、コーヒー飲みます? 缶ですけど
などと呑気に缶コーヒーをすすめてくる
「他にも、コンビーフとか桃とか、蜜柑とか有りますよ、やっぱり缶ですけど
最初から用意してあった……と言うか、非常食か何かか、それは
「緊急避難用です
しれっと応えてくれやがったし
ますますもって胡散臭くなってきたけれど、今はそれよりも
「――話を逸らさない
事情を説明させることが先決だ
「いや、つまり、あたしもドニ姉に言われて、ここに先輩を連れてくるように言われただけなんですよ
別に逸らしたつもりはありませんとの言い訳と同時に「ええ、もう、じゃんじゃんと言ってやって下さい」と責任転嫁してくる
それには私も、多少苛つきながらの苦笑にて応じる
「『つまり』も何も要約するに足るだけの情報が開示されていないように思うんだけど、事情が全く把握できないわ
「ですよねえ
「そうだねえ
二人して笑いあう
「――で?
我ながら、声が冷たい。てか、微妙にキレかけてるのが自分でも判る
それを察知したらしく
「あーん、そんなにドスを利かせないで下さいよぅ
参ったなあと首をすくめて、哀れっぽい作り声を出す。それで、ようやく説明を始めたと思えば
「――先輩は妖怪とか超能力とか、そんなかんじのモノは信じます?
妖怪に超能力ときたか
「超能力に妖怪って言えば一気に胡散臭くなるわけですが、正直そうとしか言えないんですよ
まあ
「――それが、科学的に観察可能かつ再現確認が出来るのならば、あるのじゃないかしらね
一概に、頭から否定するのはそれこそ不合理だろう
少なくとも、昨日今日と連続して人外生物と遭遇し、超常としか言いようの無い現象を目撃しているのだから
「一部は、現代科学で証明可能です、既に
「ちょっと違うような
「いいんです
いいことはないと思うのだけれど、そこに拘っていると話が進まないのは事実
そんな風に自分を納得させていると、唐突に「あっ……!」っと茉莉花が叫んだ
「どうしたの?
「いえ、缶詰は一杯あるんですけれど……ドニ姉、缶切りを入れ忘れてます
泣きそうな顔で言う
私は一気に脱力した。そして、一瞬ぶんなぐってやろうかと思った
「なんだ、そんなこと……私はまた
もっと何か、重大事かと思った。身構えて損をした
「ええー、物凄く大切なことですよ
憤慨したように言った
「折角、この桃缶開けて食べようと思ってたのに
そういう問題か? ってーか、人の話を聞けよ。私も偉そうなことは言えない性格だけれど、もう少し……あれよ
「――まあ、いいや。てかそもそもの質問は此処は一体何処なのか、それ以上に何なのか、が聞きたいんだけど
「どうして連れ込んだかは聞かないんですか?
「それも気になるけれど、それ以上にこの状況が知りたい。それに、話していれば、自然に言及されるんじゃないの
言ってて、にわかに不安になってきたぞ
「もちろんです、危害を加える気なんてありませんよ
心外だと熱心に請け負ってくれる。それはあり難いけど
「――だから、早く説明してちょうだいって
あまり急かしすぎるのもみっともないとは思うのだけれど、私は情報に飢えていた
「此処は、常世です
断固とした口調で言い切り、少し間をおいて、それだけでは足りないと思ったものか
「ずばり茅姫伝説に登場する
錦上に花を添えんとばかりに続けた
と言われてもねえ、と私が思ったことが聞こえたわけでもないだろうが
「――と言っても、これだけだと何の説明にもなってないですよね
一転、口調を緩める。笑んで歪んだ口許が、猫の口のようだった。それも、猫の中でもチェシャな猫の
「まあね
それは『茅姫橋』を渡った先ってことで、大体見当はついている
「常世がそもそも何なのかってことですよね、先輩が知りたいのは
そういうこと。わかってるじゃん
「わかりますって、そりゃあ
みくびってくれるな、といった感じで苦笑する
「で、まあ、ズバリ、SFやファンタジーに登場するような、異世界や亜空間の一種です
「りょーかい
「で、話はさっきの妖怪や超能力云々とつながるんですが、その妖怪の超能力で創られて、その上で維持されてます
「はあ
アホの子みたいに口開けて(一部漫画的誇張表現あり)頷くことしか出来ない
「で、ここを維持されてるのが茅姫さまです
「はい……?
今なんつった
「だから、茅姫さま。茅姫伝説の茅姫さまです
ただでさえ、超能力に妖怪って、話が飛躍していたってのに、ここに来て更なるジャンプを見せてくれるとは
「――室町時代の話でしょ
伝説ではそうなっている。茉莉花も頷いていることだし
「で、よ? その神様がそう、その妖怪なのだとして、嫁いだ茅姫さまは人間じゃないの?
目を逸らすな茉莉花よ。違うのかい。つか、そうなるとあんたたちのご先祖様が妖怪ってことになるんだけど
「そうなりますね。正確には、ご先祖様の姉君ですけども
「んな、あっさり頷くなよ
微妙にショックだ
「まあ、これからもっととんでもない告白が待ってますし
「――読めた。あんたたちも妖怪ってことね?
脱力とイヤな確信。私は確認のニュアンスで質問する
「はい
まあ、妖怪の正体は、
「と言うか、神を名乗ってる奴らまでいるんだ、てか、一部の人云々言えるくらいに数多く
ああ、自称『神さま』なんて一杯いるか
「そう言うのとはちょっと違うんですけどね
唇を尖らせる。なんで、そこで不満そうな顔をする
「いや、恐慌状態に陥った先輩に
「そんな、都合は知らない
昨日と今日とで驚きの備蓄が尽きたんでしょうよ
「――驚きって蓄えたりするものなんですかね?
「――感覚的に、結構、驚くには驚くで相応の余裕と言うか、驚きの燃料が必要な気がするわね
二人して、まじめな顔で阿呆なことを話し合う。個人的に、結構まじめな発言だった
それに、信じる信じないは一先ず置いておいて、まずは受け入れないと話が進まない
「そういうものですか
面白そうに茉莉花は頷いている
「まあ、いいです。もっと驚愕させるネタがありますから
「ちょい、待て。あんた、それ、絶対趣旨がずれてきてるって
「良いんです。ドニ姉はいざ知らず、私の目的は最初からこうですから
性質の悪い小娘だなー、こいつも。私はちょっと呆れてしまった
「何ですか、その眼は。性格悪いのはお互い様じゃないですか!
「いや、そうなんだけれどね
「てか、そもそも仲間内で性格良いのは、アンリ先輩と沙羅先輩だけですし
「――まあ、あの人たちも別の意味での問題は多々有りそうだけれど、大体は同意するわ
改めて考えるとイヤな友達づきあいだわ、ほんと
半ば冗談で――つまりは半ば本気で私がそう考えた時
「――ぺちゃくちゃと面白そうにくっちゃべっているところ悪いんだけれどよ。俺もまぜちゃーくれないかい
聞きなれぬ声に振向くと、四阿の外、池を背にして一人の男が立っていた
どうやら不精な性質らしく、染め直すのを怠った金髪交じりの栗毛の短髪
第一印象などというものは大方において当てにならないいいかげんなものであるが
ヤクザ……と言うよりはチンピラの風情だ
柄シャツに短パンでも着せれば凄まじく似合いそうだ。そこに金のネックレスがあれば完璧
加えて
「――先に、規約を破ったのはテメェらだろうが、あ?
口も悪い。外見を裏切らない伝法な口調で発せられた言葉に、「まいったなー」と茉莉花が妙にバツの悪そうな顔をする
「規約?
私は疑問が出来たらそれを放っておけないタチである。それは何かと茉莉花に尋ねてみた。しかし
「まいったなあ、ストラスブールの末弟……
と言う独白と、何事か物思いにふけっている。顔はいつになく真剣で、軽く血の気が引いていた
「茉莉花?
私は困惑して呼びかけた。そして、しばらくの間があいて
「――あ、済みません。ちょっと考え事をしていました
「何者?
とりあえず、『規約』云々は後回しにした方が良さそうだ。『狂犬』だの物騒な単語も引っ掛かることだし
「さっき、言いかけていた『妖怪』の一人です。《冥王派》の『ルー・ガルー』――いわゆる
狼男? 《冥王派》
「そして、《オルトスの右》と異名をとる《冥王派》の神将で……って言ってもわかりませんよね
「うん。わからないわね
オルトスって言えば、より知られた別名をオルトロス
「それです
茉莉花が肯定した
「正確に言えば、狼じゃあなくて、魔犬だがな、赤ずきん! ついでに名乗れば、リュシアン、リュシアン・ストラスブールだ
私たちの会話を耳ざとくも聞きつけたらしい本人が、ご丁寧にも自己紹介をしてくれる
「まあ、どうせここで食っちまうんだから
げらげらと品性のあまり感じられない笑い声を響かせる
食う? どうも、何かの比喩表現ってな感じはしない
「――はあ、なんでも、殺人と強姦が趣味だって聞いてます。あと、
「なんつーか、ある種の外道の一典型って感じね
気色が悪いと言うか、おぞましいと言うか、自分がそのロクでもない
それにしても
「どっちが――
「――あん?
「どっちがお婆さんで、どっちが赤ずきんなのよ!
「おい
男は呆れたように顔をしかめた。気勢を削がれた様子で不精ヒゲをもてあそんだ
「まあ、いいや。お前さんの方が赤ずきんだな、今回の
お婆さんで無いのは幸いだけれど……この流れで行くと、私を食べるって意味よね、やっぱり
そんなことを思った時だった
「――え?
私の目の前からリュシアンが消えた
そして、消えたと思った次の瞬間、茉莉花の悲鳴が聞こえた
「いつのまに
私は愕然として呟いた
茉莉花はすっかり気絶していた
「なあに、赤ずきん。簡単な話だ。普通に走って近づいて、ぶんなぐって気絶させたってだけの話さ
何が起こったのか理解出来ていない私に対して、自分が行った事を説明してくれる
別に親切心から行っているわけもない。どうやらこの男は私を恐怖させて悦に入っているようだった
人格はどうしようもなく三流だった
少なくとも、彼らの動きは見えた。けれど、この男の言うところの「走って、殴った」動作が全く見えなかった
逃げられない
最初に鼠と対面した時以上の恐怖を感じた
あの時は随分と恐怖心が麻痺していた、そのおかげであまり怖ろしくは無かった
「運が無かったなあ、赤ずきん
それにしても、自分で犬だと言ったくせに、私の事を赤ずきん呼ばわりするとは言動に一貫性の無い男だ
恐怖しながらも、私はそんなことを考えた
「あのお姫さんがつまんねーミスしちまったせいで
言って茉莉花へと視線を向けた
「しっかし、あの女男が、始末を任せる、対象は二人だ
この男
つまらなそうに気絶した茉莉花の身体を蹴り飛ばした
一瞬、恐怖を忘れるほどの怒りが私の中で膨れ上がった
「やれやれ、
憂さ晴らしをするように、そして私に見せ付けるように、リュシアンは二度、三度と茉莉花を蹴りつけた
「っとと、やべーやべー、ついつい調子に乗って蹴りすぎちまったが……死んでねーよな
殺しちまったら流石にまずい
「おう、結構、結構、咳き込めるってのは息がある証拠だぜ、おい
この男なりの、私には嫌悪と怒りしか覚えさせない安堵の息を吐いた
「さあて、それじゃあ、お楽しみと行こうか
そう言ってにやにやと嫌らしい笑みを私に向けてくる
「お、良いねえ、抵抗してくれるってか、はっはー、サービスが良いじゃあねえか、素人娼婦
いきなり私を殴りつけた
眼に見えて、しかし避けることの出来ない絶妙な速さで私を殴りつけてきた
「痛っ!
最初に感じたのは痛みというよりも熱が近かった
また、強姦されるのだということが実感として理解させられた
最初、それがなんなのか判らなかった
大きな音。しばらくして気付いた。その音は私の口から発せられていた
「ああぁああああぁぁぁ……!
私は半狂乱――いや、完全に狂っていた。絶望に叫び、がむしゃらに腕を振り、足で蹴った
しかし、それが却ってリュシアンを愉しませるようだった
怖気が走った。頬から目許にかけて、流れた涙を舐められた
「いやだっーーーー
男が自分のベルトに手を掛けた
その時
何かに気付いたように、リュシアンが突然目を大きく見開いた。そして上空を見上げる。そして、硬直した
「赤い頭巾の女の子
唐突に、どこかで聞いたことのある女性の声が割り込んできた
「――猟師の象徴、それは鉄砲よねぇ……!
リュシアンの動きは素早かった
直前まで居た空間が、一瞬光ったかと思うと、刹那爆ぜる
爆ぜる、爆ぜる、爆ぜる、そのたびに、右へ左に新たな場所へと飛び去っていくリュシアン
そこには
「――部長?