目次

――常世にて――

 岩の灰色、樹木の茶色、木の葉の緑に木漏れ日の色 
 森の中の彩りは、思いがけず豊かだった。黒々とした葉の緑を基調とした景観が、壮観な、しかしどこか陰鬱いんうつな印象を与える明度の低い色合で広がっている。漏れ射す光が、かえって一層に周囲を薄暗く感じさせた 
 本来 光それ自体は透明……と私たちの脳は認識するはずなのだけれど、木漏れ日は黄色がかった白色に見えた。木立は深く、下生えはももの高さまであった。
 湿り気を帯びた、土と草の濃厚な匂い 
 茉莉花まりかの先導で、生まれてからこれまでに嗅いだ事のある内で最も強い森の匂いの中を、私たちは黙々と進んだ。
 しばらくすると、いくらか開けたところに出た 
 私たちを取り囲むのが背の高い年季の入った大木ばかりだということに変わりはないが ここまでの道のりと違い、乾いた大地とそこで反射する光に見上げると、紅茶茶碗のソーサー状にぽっかりと空いた緑の存在しない空間が望めた 
 木の葉の緑色の代わりに青色の空が広がっていた 
 雲の影は無く、そこから差し込む力強い陽射し…… 
「って、光源は何処よ? 
 思わず天に突っ込む 
 そこには太陽も、月も、何か他の天体らしき物の姿は一切無かった 
 空全体がそれ自体で光を発していると言うか やりきれないほどに強烈な電球が発する白熱光に似た出所不明の光源に、八方隈なく照らされているような、そんな奇妙な気分だった 
 奇妙で、不思議ではあるが、ともかく光は光であり、照らされた空間には大きな池と、池に浮かぶ一軒の四阿あずまや。正確に言えば、それは――池の場合でもこう言っていいのか、私はちょっと知らないが、中州の上に建てられていた 
 物寂びた茅葺屋根の古淡こたんの趣がある四阿だった。
 材は……ヒノキだろうか? そして四阿を取り囲み、自身は小岩で取り囲まれた池の内には緋鯉が、いやヒゲが無いから緋鮒なのか、そいつらが悠々と、さも己たちこそ池の主だと背びれで語り 四阿へと続く飛び石の上を歩く人間を怖れるでもなく、我が物顔で泳いでいる 
 前を行く茉莉花は躊躇うことなく進み その際に「あ、その辺滑りますから注意してください」なんて感じで、表面がツルツルの鏡のように摩滅し、その上更に苔むした踏み石などを教えてくれる 
 くれると言うか、くれやがると悪態をつきたい気分だった 
 不透明に過ぎる状況に対する不満と、注意にも関わらず転びかけたことに対するばつの悪さからやさぐれていた 
 そして、私たちは四阿の内へと入り、そのまま茉莉花は自然な動きで石の腰掛に腰を降ろした 
 それを見て、意を決して私も座った 
 すると、ここに案内するまで必要な事以外は無言を貫いてきた茉莉花が、ようやく口を開いた 
 ただし、口を開いたと思ったら、なんだろう、それは私の熱望している説明ではなかった 
「あ、コーヒー飲みます? 缶ですけど 
 などと呑気に缶コーヒーをすすめてくる そんな物をどこから取り出したのかと言えば、四阿の隅にデンッと置かれていた大きなリュックサック……と言うか、ずだ袋からだった。袋の中には他にもジュースや缶詰、菓子の類が入っている気配がある 
「他にも、コンビーフとか桃とか、蜜柑とか有りますよ、やっぱり缶ですけど 
 最初から用意してあった……と言うか、非常食か何かか、それは 
「緊急避難用です 
 しれっと応えてくれやがったし 
 ますますもって胡散臭くなってきたけれど、今はそれよりも 
――話を逸らさない 
 事情を説明させることが先決だ 
「いや、つまり、あたしもドニ姉に言われて、ここに先輩を連れてくるように言われただけなんですよ だから説明しろと言われてもちょっと困るわけで。だから、文句そのほかはドニ姉の方へ言っちゃって下さい 
 別に逸らしたつもりはありませんとの言い訳と同時に「ええ、もう、じゃんじゃんと言ってやって下さい」と責任転嫁してくる 
 それには私も、多少苛つきながらの苦笑にて応じる 
「『つまり』も何も要約するに足るだけの情報が開示されていないように思うんだけど、事情が全く把握できないわ 
「ですよねえ 
「そうだねえ 
 二人して笑いあう 
――で? 
 我ながら、声が冷たい。てか、微妙にキレかけてるのが自分でも判る 
 それを察知したらしく 
「あーん、そんなにドスを利かせないで下さいよぅ 
 参ったなあと首をすくめて、哀れっぽい作り声を出す。それで、ようやく説明を始めたと思えば 
――先輩は妖怪とか超能力とか、そんなかんじのモノは信じます? 
 妖怪に超能力ときたか 
「超能力に妖怪って言えば一気に胡散臭くなるわけですが、正直そうとしか言えないんですよ 
 まあ 
――それが、科学的に観察可能かつ再現確認が出来るのならば、あるのじゃないかしらね 
 一概に、頭から否定するのはそれこそ不合理だろう 
 少なくとも、昨日今日と連続して人外生物と遭遇し、超常としか言いようの無い現象を目撃しているのだから また、妖怪かどうかは知らないが、人以外の現在知られていない生命体の能力は、超能力と言いえるのではないだろうか 
「一部は、現代科学で証明可能です、既に でも、大半の現象は、現象それ自体の説明はできますけど、その大元、それがなんで起こるのかが説明不能です。まあ、それは生命がなんで生きているのか解からないのと同じように思ってもらえれば 
「ちょっと違うような 
「いいんです 
 いいことはないと思うのだけれど、そこに拘っていると話が進まないのは事実 
 そんな風に自分を納得させていると、唐突に「あっ……!」っと茉莉花が叫んだ 
「どうしたの? 
「いえ、缶詰は一杯あるんですけれど……ドニ姉、缶切りを入れ忘れてます 
 泣きそうな顔で言う 
 私は一気に脱力した。そして、一瞬ぶんなぐってやろうかと思った 
「なんだ、そんなこと……私はまた 
 もっと何か、重大事かと思った。身構えて損をした 
「ええー、物凄く大切なことですよ 
 憤慨したように言った 
「折角、この桃缶開けて食べようと思ってたのに 
 そういう問題か? ってーか、人の話を聞けよ。私も偉そうなことは言えない性格だけれど、もう少し……あれよ 
――まあ、いいや。てかそもそもの質問は此処は一体何処なのか、それ以上に何なのか、が聞きたいんだけど 
「どうして連れ込んだかは聞かないんですか? 
「それも気になるけれど、それ以上にこの状況が知りたい。それに、話していれば、自然に言及されるんじゃないの 意図が何であれ、長い付き合いなんだから、今更急にどうこうしようってこともないでしょうし……無いわよね? 
 言ってて、にわかに不安になってきたぞ 
「もちろんです、危害を加える気なんてありませんよ 
 心外だと熱心に請け負ってくれる。それはあり難いけど 
――だから、早く説明してちょうだいって 
 あまり急かしすぎるのもみっともないとは思うのだけれど、私は情報に飢えていた 
「此処は、常世です 
 断固とした口調で言い切り、少し間をおいて、それだけでは足りないと思ったものか 
「ずばり茅姫伝説に登場する 
 錦上に花を添えんとばかりに続けた 
 と言われてもねえ、と私が思ったことが聞こえたわけでもないだろうが 
――と言っても、これだけだと何の説明にもなってないですよね 
 一転、口調を緩める。笑んで歪んだ口許が、猫の口のようだった。それも、猫の中でもチェシャな猫の 
「まあね 
 それは『茅姫橋』を渡った先ってことで、大体見当はついている と言うか、前後の状況から推しはかるに、そう考えるしかないわけで、私が知りたいのは 
「常世がそもそも何なのかってことですよね、先輩が知りたいのは 
 そういうこと。わかってるじゃん 
「わかりますって、そりゃあ 
 みくびってくれるな、といった感じで苦笑する 
「で、まあ、ズバリ、SFやファンタジーに登場するような、異世界や亜空間の一種です これはこれで何の説明にもなってないような気もしますが、そう言う物なんだと納得してください。でないと話が進まない 
「りょーかい 
「で、話はさっきの妖怪や超能力云々とつながるんですが、その妖怪の超能力で創られて、その上で維持されてます 
「はあ 
 アホの子みたいに口開けて(一部漫画的誇張表現あり)頷くことしか出来ない 
「で、ここを維持されてるのが茅姫さまです 
「はい…… 
 今なんつった 
「だから、茅姫さま。茅姫伝説の茅姫さまです 
 ただでさえ、超能力に妖怪って、話が飛躍していたってのに、ここに来て更なるジャンプを見せてくれるとは 
――室町時代の話でしょ ってか、そもそも昔話だし……ああ、本当にあったことだとしても、茅姫さまが嫁いだのは常世の神様よね? 
 伝説ではそうなっている。茉莉花も頷いていることだし 
「で、よ? その神様がそう、その妖怪なのだとして、嫁いだ茅姫さまは人間じゃないの? 
 目を逸らすな茉莉花よ。違うのかい。つか、そうなるとあんたたちのご先祖様が妖怪ってことになるんだけど 
「そうなりますね。正確には、ご先祖様の姉君ですけども 
「んな、あっさり頷くなよ 
 微妙にショックだ 物心ついた頃から顔なじみの臣野姉妹が……つか、臣野の一門ぐるみか? それが、こんな非常識な(人間性に関しては一先ず脇に置いて)秘密を抱え込んでいたというのは 
「まあ、これからもっととんでもない告白が待ってますし 
――読めた。あんたたちも妖怪ってことね? 
 脱力とイヤな確信。私は確認のニュアンスで質問する 
「はい 妖怪と言うとやっぱり語弊があるんですが、流石に一部の人が言うみたいに、自分たちを神だなんて言うのは驕りが過ぎるかな、と 
 まあ、妖怪の正体は、零落れいらくした神だとも言うし、神も妖怪も人間以外という点ではあまり違いはないのかもしれない。
「と言うか、神を名乗ってる奴らまでいるんだ、てか、一部の人云々言えるくらいに数多く 
 ああ、自称『神さま』なんて一杯いるか 
「そう言うのとはちょっと違うんですけどね それよりも、案外冷静ですね、悲鳴上げて逃げるとか、こっちの正気を疑ってくるとかするんじゃないかと期待……もとい考えてたんですけど 
 唇を尖らせる。なんで、そこで不満そうな顔をする 
「いや、恐慌状態に陥った先輩に懇々こんこんと優しく懇切丁寧に説明してあげて、優越感を味わおうと思ってたんですけれど、当てが外れたと言うか……ちょっと順応力が高すぎません? 
「そんな、都合は知らない 
 昨日と今日とで驚きの備蓄が尽きたんでしょうよ 
――驚きって蓄えたりするものなんですかね? 
――感覚的に、結構、驚くには驚くで相応の余裕と言うか、驚きの燃料が必要な気がするわね 
 二人して、まじめな顔で阿呆なことを話し合う。個人的に、結構まじめな発言だった 
 それに、信じる信じないは一先ず置いておいて、まずは受け入れないと話が進まない 
「そういうものですか 
 面白そうに茉莉花は頷いている 
「まあ、いいです。もっと驚愕させるネタがありますから 
「ちょい、待て。あんた、それ、絶対趣旨がずれてきてるって 
「良いんです。ドニ姉はいざ知らず、私の目的は最初からこうですから 
 性質の悪い小娘だなー、こいつも。私はちょっと呆れてしまった 
「何ですか、その眼は。性格悪いのはお互い様じゃないですか! 
「いや、そうなんだけれどね 
「てか、そもそも仲間内で性格良いのは、アンリ先輩と沙羅先輩だけですし 
――まあ、あの人たちも別の意味での問題は多々有りそうだけれど、大体は同意するわ 
 改めて考えるとイヤな友達づきあいだわ、ほんと 
 半ば冗談で――つまりは半ば本気で私がそう考えた時 
――ぺちゃくちゃと面白そうにくっちゃべっているところ悪いんだけれどよ。俺もまぜちゃーくれないかい 
 聞きなれぬ声に振向くと、四阿の外、池を背にして一人の男が立っていた 
 どうやら不精な性質らしく、染め直すのを怠った金髪交じりの栗毛の短髪 それと地毛のままだと思われる、栗色の薄い顎ヒゲ――これまたファッションと言うよりも、不精の結果の不揃いなヒゲを生やしたヨーロッパ系の男 
 第一印象などというものは大方において当てにならないいいかげんなものであるが ぎゅっと引き寄せられた険のある眉間の皺に、薄く歪んだ唇が内面の酷薄さを表わしているようだった 
 ヤクザ……と言うよりはチンピラの風情だ まず、目付きが悪い、柄が悪い。服の趣味は悪くは無いようだが――別に良くも無いが。それ以前に、紺無地のビジネススーツと言うのが、かえって冗談じみている 
 柄シャツに短パンでも着せれば凄まじく似合いそうだ。そこに金のネックレスがあれば完璧 
 加えて 
――先に、規約を破ったのはテメェらだろうが、あ? 
 口も悪い。外見を裏切らない伝法な口調で発せられた言葉に、「まいったなー」と茉莉花が妙にバツの悪そうな顔をする 
「規約? 
 私は疑問が出来たらそれを放っておけないタチである。それは何かと茉莉花に尋ねてみた。しかし 
「まいったなあ、ストラスブールの末弟…… 《オルトスの右》だなんて、こんな狂犬を相手にするなんて聞いてないってドニ姉」
 と言う独白と、何事か物思いにふけっている。顔はいつになく真剣で、軽く血の気が引いていた 
「茉莉花? 
 私は困惑して呼びかけた。そして、しばらくの間があいて 
――あ、済みません。ちょっと考え事をしていました 
「何者? 
 とりあえず、『規約』云々は後回しにした方が良さそうだ。『狂犬』だの物騒な単語も引っ掛かることだし 
「さっき、言いかけていた『妖怪』の一人です。《冥王派》の『ルー・ガルー』――いわゆる人狼ひとおおかみの眷属です」
 狼男? 《冥王派》 
「そして、《オルトスの右》と異名をとる《冥王派》の神将で……って言ってもわかりませんよね 
「うん。わからないわね 
 オルトスって言えば、より知られた別名をオルトロス ギリシア神話に登場する、確かゲリュオンだか言う怪物に飼われる双頭の犬だったように思う 
「それです 
 茉莉花が肯定した 
「正確に言えば、狼じゃあなくて、魔犬だがな、赤ずきん! ついでに名乗れば、リュシアン、リュシアン・ストラスブールだ 
 私たちの会話を耳ざとくも聞きつけたらしい本人が、ご丁寧にも自己紹介をしてくれる 
「まあ、どうせここで食っちまうんだから 『どうぞ、お見知りおきを、マドモアゼル』ってな七面倒くさい挨拶は省こうや、赤ずきん! 
 げらげらと品性のあまり感じられない笑い声を響かせる 
 食う? どうも、何かの比喩表現ってな感じはしない 
――はあ、なんでも、殺人と強姦が趣味だって聞いてます。あと、人肉食カニバリズムの嗜みがあるとか」
「なんつーか、ある種の外道の一典型って感じね 
 気色が悪いと言うか、おぞましいと言うか、自分がそのロクでもない嗜好しこうの対象にされていると思うと、身を襲う不快の念は尚更だった 
 それにしても 
「どっちが―― 
――あん? 
「どっちがお婆さんで、どっちが赤ずきんなのよ! 
「おい 
 男は呆れたように顔をしかめた。気勢を削がれた様子で不精ヒゲをもてあそんだ 
「まあ、いいや。お前さんの方が赤ずきんだな、今回の 
 お婆さんで無いのは幸いだけれど……この流れで行くと、私を食べるって意味よね、やっぱり 
 そんなことを思った時だった 
――え? 
 私の目の前からリュシアンが消えた 
 そして、消えたと思った次の瞬間、茉莉花の悲鳴が聞こえた 
「いつのまに 
 私は愕然として呟いた 私の後ろに立っていた茉莉花が倒れていた。その横にはリュシアン。何をしたのかまるで解らなかったけれど、この男の攻撃で茉莉花が倒れたのはほぼ間違いのないことだった 
 茉莉花はすっかり気絶していた 
「なあに、赤ずきん。簡単な話だ。普通に走って近づいて、ぶんなぐって気絶させたってだけの話さ 
 何が起こったのか理解出来ていない私に対して、自分が行った事を説明してくれる 
 別に親切心から行っているわけもない。どうやらこの男は私を恐怖させて悦に入っているようだった 
 人格はどうしようもなく三流だった けれど、その能力は間違いなく私を殺せる。あの少女や巨人、鼠や豚の化物に感じた以上の実力を感じた 
 少なくとも、彼らの動きは見えた。けれど、この男の言うところの「走って、殴った」動作が全く見えなかった 
 逃げられない 
 最初に鼠と対面した時以上の恐怖を感じた 
 あの時は随分と恐怖心が麻痺していた、そのおかげであまり怖ろしくは無かった でも、今の中途半端に耐性がついてしまった私の精神は、完全な恐怖を受け入れてしまっていた 
「運が無かったなあ、赤ずきん 
 それにしても、自分で犬だと言ったくせに、私の事を赤ずきん呼ばわりするとは言動に一貫性の無い男だ 
 恐怖しながらも、私はそんなことを考えた 
「あのお姫さんがつまんねーミスしちまったせいで お前は見なくていいもんを見ちまって、そのせいで始末されなけりゃあならないわけだ。まあ、俺としては、堂々と人が食えるわけで、その点では結構な話だと思ってる 
 言って茉莉花へと視線を向けた 
「しっかし、あの女男が、始末を任せる、対象は二人だ つった時は俺様てっきり二人食えるのかと思ったら、なんのこたーない。一人はオミノの末娘じゃあねーか 
 この男 
 つまらなそうに気絶した茉莉花の身体を蹴り飛ばした 
 一瞬、恐怖を忘れるほどの怒りが私の中で膨れ上がった 
「やれやれ、合戦場の土地神の一門・・・・・・・・・・じゃあ、殺すわけにもいかねーし、ちょこっと犯すのも許されねーときたもんだ。ああ、だっせー、だっせー 
 憂さ晴らしをするように、そして私に見せ付けるように、リュシアンは二度、三度と茉莉花を蹴りつけた 
「っとと、やべーやべー、ついつい調子に乗って蹴りすぎちまったが……死んでねーよな 
 殺しちまったら流石にまずい と手前勝手なことを言いながら、リュシアンは暴行を止めると、物を見る目つきで茉莉花を見下ろした。茉莉花は苦しげに咳き込んでいた 
「おう、結構、結構、咳き込めるってのは息がある証拠だぜ、おい 
 この男なりの、私には嫌悪と怒りしか覚えさせない安堵の息を吐いた 
「さあて、それじゃあ、お楽しみと行こうか 
 そう言ってにやにやと嫌らしい笑みを私に向けてくる 
「お、良いねえ、抵抗してくれるってか、はっはー、サービスが良いじゃあねえか、素人娼婦 そうら、そうら、あがいてもがけ、浮かれ女が、俺様を愉しませろ そうすりゃあ、少しでも長く生きていられるんだぜ、おい。もっとも、つまんなかったらその場で食っちまうけれどもな 
 いきなり私を殴りつけた 
 眼に見えて、しかし避けることの出来ない絶妙な速さで私を殴りつけてきた 
「痛っ! 
 最初に感じたのは痛みというよりも熱が近かった 口の中に血の味が広がった。鼻血と、切れた唇からの出血。頬と鼻に痛みに、死の恐怖とはまた別の、暴力に、痛みに対する恐怖を覚えた 
 また、強姦されるのだということが実感として理解させられた それまでは、どこか自分とは関係の無い遠い世界の話なのだと、話半分に聞いていたそのツケが回ってきたのだろうか 
 最初、それがなんなのか判らなかった 
 大きな音。しばらくして気付いた。その音は私の口から発せられていた 
「ああぁああああぁぁぁ…… 
 私は半狂乱――いや、完全に狂っていた。絶望に叫び、がむしゃらに腕を振り、足で蹴った 
 しかし、それが却ってリュシアンを愉しませるようだった 嬉々として私の攻撃に身をさらし、しかし怯むことは欠片も無く、私の服を、脱がせることも出来ただろうに、嗜虐の心がさせるものか、敢えて力任せに破ってきた 
 怖気が走った。頬から目許にかけて、流れた涙を舐められた 
「いやだっーーーー 
 男が自分のベルトに手を掛けた 
 その時 
 何かに気付いたように、リュシアンが突然目を大きく見開いた。そして上空を見上げる。そして、硬直した 
「赤い頭巾の女の子 可愛い、可愛い赤ずきん。狼さんに襲われた。絶体絶命、御意見無用。今しも襲う、おっきなお口。それは少女を食べる為。それならそこに颯爽と、哀れな少女を助けるために、現れたるは何者ぞ 
 唐突に、どこかで聞いたことのある女性の声が割り込んできた 
――猟師の象徴、それは鉄砲よねぇ…… 
 リュシアンの動きは素早かった 「ちぃぃぃぃぃ……!」舌打ちして、一気に後方へと飛び退る。それは信じがたい跳躍力だった。少なくとも六メートルは助走も無しに、それも後ろ向きに跳んだのだ 
 直前まで居た空間が、一瞬光ったかと思うと、刹那爆ぜる 
 爆ぜる、爆ぜる、爆ぜる、そのたびに、右へ左に新たな場所へと飛び去っていくリュシアン 合計して二十メートルは離れたところで、キッと、大人でもひきつけを起しそうな凄まじい凶相で上空を睨みつけた 
 そこには 
――部長? 


カミングスーン……だといいなあ
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 2007-03-30作成 , 2007-03-30最終更新  
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