彷徨える異邦人

○文庫

1

数百数千年、いや億万の単位で人の手が入ってこなかったと思わしき鬱蒼とした原生林。
 高く、大きく、こんもりと茂った緑は深く、木漏れ日さえもろくに差し込まぬようで、天頂に燦然として陽の輝く刻限であるというのに、濃緑の天蓋の下は仄かに暗い。
 野趣溢れる草生えで編まれる絨毯に覆い隠された大地は、いたるところに砂利が交じり、凸凹と不揃いに隆起していた。加えて、苔むした岩肌の合間からは川ともいえぬほどの細く弱々しい水の筋が無数に走っており、ただでさえ滑りやすい粘土質の地面がそれで一層どろどろになって、そのぬかるみに足をとられて歩きづらいことこの上ない。
 足下もおぼつかないそこは、一般的に言って明らかに『道』ではなかったし、近傍に棲む野生の獣でさえも避けるのか、獣道の痕跡一つ見当たらない。
 だというのに、今しもその険しい道程を踏破する、三つの人影があった。いや、踏破の名に値するのはそのうち軽快に前を歩く二人だけか、ただ無造作に歩いているよう見えるのに、先刻から小揺るぎもしない。
 そんな彼女たちとは対照的に、残りの一人、杖を手にした少女はその二人からやや遅れがちにふらふらと歩いていた。
 先行する彼女たちに、遅れる少女、そう三人とも妙齢の少女たちであった。
 杖をつくのは十七、八の娘で、修道士や隠者の好むような少々やぼったい感じのする黒無地のワンピースを着て、薄い栗色の頭には同じく黒地の三角帽子。そのすぐ下からは、馬の尻尾か箒のような形に纏められた無闇と長い髪が生えている。
 三角帽子にローブを纏い、手には杖とはいかにも魔女然とした格好である。そして実際彼女は魔女であった。名前をタバサ・ラ・クィエムといって、大草原はマイアラ出身の年若い魔女である。
 魔女ではあるのだが、箒に乗って空を飛ぶなどといったお伽噺の様な力は持っていないようで、手にした魔法の杖を、今は杖本来の用途に用いながら、荒い息を吐きつつ懸命に歩いていた。
 歩きながら、疲労にボケた頭でもって今日何度目とも判らぬこを考える。
(っは、はぁ……それはっまあ、確かにっ……少しでも早くポルポタに着ければ、それに越した事はありません……しっ……方角だけで見れば、このルートが最短距離っで……す。……でも、これはないんじゃ……)
 それは私も、森や野原といった自然の中を歩くのは嫌いではありません。だけどもそれはあくまでも趣味としての散歩の領域でのことであって、このような深山幽谷を踏破することでは決してない。山篭りといった苦行の一つや二つやって来ていそうな武芸者やら魔導師やらとは違うのだから。
 そんな風に、こげ茶色の瞳にちょっとばかり恨めしげな光を宿して、目の前の青と赤、つまりは前を行く二人の背を軽く睨みつける。疲労困憊して今しも脚ががくがく震えだしそうな様子のタバサとは対照的に彼女たちは憎たらしいまでに軽快に、ずんずんと歩を進めていく。
 実のところ、これでもまだ二人は彼女に合わせてゆっくりと進んではいるのだが、それでも差は開く一方であって、少し待ってくれるようにタバサが言おうかどうしようかと考え始めた頃、その気持ちが通じでもしたのか、周囲と比べると少しだけ開けていて、足場もしっかりとした処でその二人がふいに立ち止まった。
 どうしたのだろうかと首をかしげながらもこれ幸いとばかりに距離を詰めるタバサの耳に彼女らの会話が飛び込んで来る。交わしている言葉の内容そのものはたいしたものではなかった、山の自然が心地よいだの、正義を為すということは何なのか、といった感じの暇つぶしがてらの世間話である。
 より正確には、髪色と同じ青い服に赤いマフラーをつけた少女が熱心に語る正義の言葉に、「さようか」と、もう一方の妙に大人びた、と言うよりもむしろ老成した雰囲気を纏った赤毛の童女が気のない返事を返しているといった感じである。それを息を整えながら聞くとはなしに聞いていると、ふいに童女が何でもないといった調子で確認の言葉を発した。
「気付いておるか?」
 えっ、と目を白黒させるタバサを尻目にこれまた何でもないといった感じで、マフラーの少女が元気よく相槌を打つ。
「勿論ですともっ!」
 何のことやらとタバサがいぶかしんだのもつかの間、全てはすぐに明らかとなった。
 モンスターだ。狗に似た頭部を持ち、人と猿との半ばのようで少し前かがみに歪んだ体躯に不潔な襤褸切れを纏った人型のモンスター十匹ほどが、彼女たちを取り囲むようにして、木立ちの奥や茂み、岩の陰から現れた。
 思いがけずに遭遇したといった感じではない、明らかに彼女たちを意図的に取り囲んでいる。足場の不安定さもさって、その囲いから逃れるのは難しいだろう。タバサは接近に気づかなかったことを痛烈に悔やんだが。
「むむ! あれは」
「おお、まさしく野狗子じゃな。じゃが、よもやこんな西の果てで見かけるとはの」
「まあ、我々だって故郷を遠く離れて今ここにいるわけですし」
 襲いかかってくるモンスターを前にしてもなお、いつもどおり呑気に会話する東洋人二人。
 タバサと似た年頃のマフラーの少女は、遥か東洋、リコン共和国出身の、怪傑ヒーローを自称する武術の使い手リン・シェンコーであり、片や、この不思議な貫禄を醸す童女はその名を京諷院彩芽と言い、リコンよりもなお東にある御国より訪れた彼女は、その幼い見た目からは思いもよらぬほどの長い時を生きてきた、三百余歳の魔導師である。
 だから正確性を期すならば、妙齢というのはおかしいかもしれないが、少なくとも見た目の上では最も幼いのに違いはない。
 縁あって旅を共にしているが、彼女たちがどうしてこんな大陸の西の果てまでやってきたのかをタバサは知らない。片や観光、片や正義を為す為の旅といった感じのことを言っていたが、実際のところはどうだろう。気にならないわけではないが、しかしどうだって良いような気もしていた。
 それに今はそれよりもなによりも。
「あの、戦うか逃げるかしたほうがいいのでは、逃げる余裕もその気もないとは思いますが」
 タバサなどは多少の呆れと皮肉とを込めながらそう言ったのだが、無論のこと、怪傑ヒーローであるところのリンの魂の辞書に『敵に背を向ける』という項目は無かった。彩芽の場合は単に逃げる必要を感じない、というところだろう。
 もとよりこの二人は彼らの接近に気づいていたわけで。
「この程度の数ならば烈光を抜くまでもありません、ストライカー1号で充分ですよ」
 その言葉どおり、烈光は所定の場所に収めたままで、脛に当てた小具足のみでモンスターたちを終始圧倒するリン。考えなしに、しかしその分思い切り良く、勢いこんで襲い掛かってくるモンスターの鋭利かつ不潔な爪牙からひらりと逃れては、かわしざまに手刀や蹴りをしたたかに加えていく。
 彩芽は彩芽で、小柄な体躯からくる身軽さと長刀のリーチを活かして脚を払ったり、腱や首筋、手首と言った部位を狙い済まして切裂き翻弄する。
 動くほどに、その八塩の紅髪に揃えたものか、鴇羽の半着の両肩に添えられた菖蒲様の紫が薫るように揺れていた。
 非力なぶん一撃で致命傷をとはいかないが、その分は技巧でもって補い、徐々に相手に疲労と負傷を蓄積させていく。そうかと思えばまた、式神を呼び出して真っ向から力で粉砕したりもする。
 そしてこのように自然に満ちた場所にはタバサら魔女にとって親しい間柄にある土や風の精霊たちが充溢していて人里などよりも余程に良く働いてくれる。
 そんな調子で五匹、六匹と危なげもなくモンスターを退けていくうちに、モンスターたちも仲間が次々に倒されていく有様を見せ付けられてはどうしても悟らざるを得なかったようだ、「この『赤いのと、青いのと、黒いの』は恐ろしく強いらしい、このまま続けてもただ仲間が減るばかりでどうやら食事には一向にありつけそうにないらしい」と。
 そうとなれば、
「やや! 逃げるのですか!」
 それとも単に恐ろしくなったのか、モンスターたちは我先に逃げ出し始めた。その気になれば追いつけそうであるし、追いかけさえすれば恐怖にまかせて壊走する、統制のとれていないモンスターの群れなどいくらでも殲滅できただろうが。
「放っておけ、青いの」
「ですが、いつまた無力な旅人を襲うともしれません。悪の芽は絶っておくべきです」
 口論というほどでもないが彩芽のたしなめに対して僅かに不満げにリンが反駁する。
 普通の旅人はこんな処を通らないだろうな、と思いつつも二人を取り成す為に掛けるべき言葉を捜していたタバサであったが、ふいに先ほどの戦闘直前に二人の交えていた会話を思い出す。
「ところで先ほどお二人はヤクシと呼んでいましたが、コボルトではないのですか。確かにいつもと少し雰囲気が違いましたが」
 犬の頭を持った怪物といえば、この近辺では昔からコボルトだと相場が決まっている、そう思いながら尋ねるタバサに対して、モンスターの屍骸を長刀の切先で軽く突付いて、その生死の確認がてらに彩芽が応じる。
「うむ、こやつらは見た目は“こぼると”どもと似たようなもんじゃがな、野狗子と云うてリコンや御国の戦跡に出没しては死者の脳髄をすする死肉喰らいどもじゃ……ふむ、あんじょう全て往生しておるな」
 うむうむと満足そうに頷く。手負いの獣ほどタチの悪いものはない、それにもしも未だ息のある野狗子がいたとして、それがふいに立ち上がって、後ろから襲いかかってきでもしたら堪ったものではない。
「のっ脳、ですか……」
 目を丸くしながら、その場景を想像したのか気持ち悪そうに呟いて、ふとあることに気づく。
「死肉喰らい? 私たちは生きていますけど」
「五十年ほど前の春秋戦争以来、最近は大きな戦もありませんし、彼らもなりふり構っていられないのでしょう」
 何故このような処にいるのかまではわかりませんが、いいかげん食糧不足で西に流れましたかねと、彩芽から引き継いだ言葉をそう結ぶとリンは再び歩き始めた。
「さあ、行くならば早く行きましょう。彼らがまた舞い戻ってこないとも限りませんからね」
「……最初から、こんな霧深い山の中なんて進まなければ、モンスターとも出会わないですむような」
 何か釈然としない気分で呟く。パーティーのリーダーは旅の目的からしてもタバサの筈なのだが……彼女にリンと彩芽をとめられるわけも無く、あれよあれよと押し切られ気づいたころには時既に遅く現状となっていた。

2

それからさらに二時間ほども歩いたところで、日が暮れる前に今日の野営地を見つけようということになった。
 野営に適当な平坦で乾いた場所の捜索も三人で纏って行うよりも、不慣れなタバサと彩芽が待機して、リンが独りで行った方が効率的だという結論に、ここまでの旅の間に自然と達していた。
 それで今夜も捜索に出ていたリンであったが、やがてどこか興奮した面持で戻ってくるや、まくしたてる。
「お二人とも、聞いてください。村です、ここから少し行ったところに村がありました。交渉次第でベッドや暖かい食事が確保できるかもしれませんよ」
 その言葉に俄然張りきったのは疲れの見えるタバサよりも、むしろ一番元気そうな彩芽であった。
「おお、おお、それは重畳。やはり、あれじゃ旅の醍醐味は土地土地の景勝と食事じゃからな、だというに、いい加減代わり映えのせん山林の景色と味気のない携行食には飽きがきておったのだ。ほれ、おぬしら、さっさと行くぞ!」
 そのあまりと言えばあまりな言葉に思わず呟く。
「なら、最初から街道を歩いて、宿場町に泊まればいいのに……」
 それに対して、「わかっておらんな」といった顔をして、
「大都市間の宿場町の料理に景観なぞどこもかしも似たようなものじゃ、その地方の中心の都市に行けば、それで足りるわい。概して珍味や鮮度あふれる食材は山奥や川沿いの集落にこそあるもんじゃ。……まあ、外れも多いが」
 納得すれば良いのか呆れれば良いのかちょっとよくわからなかったので、「はあ」とだけ返しておいた。
 そして取り敢えずその村へと向うことにした、何となれば、タバサとしても天幕の中で毛布に包まって眠るよりも寝台で寝られる方が断然良いに決まっているのだから。
 リンの先導で村のあるという場所へ近づくほどに、篝火や角灯のものであろう光が、微かに漏れ来ていて、煮炊きする煙りや夕餉の匂いが漂ってくる。たしかに村だ、廃村ということもなさそうである。モンスターや野獣に対する対策か、周囲には木板の柵や土嚢が築かれ、用水路をも兼ねているのだろう小川とそこから引かれた水路とが堀のように巡っている。
 リンの言うように、たしかに料理や寝台を期待できるかもしれないと思いながら近づいて行き、村の入り口の門扉の前で立ち止まり、叩くか叫ぶかしようとしたタバサたちの頭上から、どこか不思議そうな感のにじむ野太い声が降ってきた。
「おーい! あんたがたは、本当に人間かい? 化けもんどもが化けてるとかじゃなく」
 見上げると、村をとりまく外壁の終点、門柱の上に設えられた物見櫓の鉦鼓の陰から、肩に猟銃を提げた三十がらみの無精ひげが一人、珍しいものを見たな、とでも言いたげな顔をして身を乗り出していた。
「しょっぱなから何ともご挨拶じゃな」
 その御国人としては珍しい、鮮やかな碧眼を瞬かせると、やがてむぅっと、渋面を作る。
 だがしかし、客観的に言って、正直怪しいことこの上も無い集団ではあった、若い外国人の女が三人。それも古式ゆかしい黒衣の魔女に、ダサいのか格好いいのか微妙な衣装の少女。最後の一人に至っては(ルザリア人視点だと)奇妙な布を巻きつけた婆言葉で喋る東洋人の(見た目)幼女だ。
 もっとも、この時点では彩芽の口調など男には知るよしもないのだが、たとえそれを除いたとしても未だ、旅芸人でも、これほどのキワモノはそうそうざらにはいないだろうと思われるみょうちきりんな奴らが、これまたこれで山林を歩こうとするなど正気とは思えないほどの軽装で、モンスターだらけの山道を平気な顔で越えてきたのだ、彼でなくとも訝しみもしよう。
「んん……ああ、悪いなお嬢ちゃん。こんなとこまで外の人間がやって来るなんざ行商人をのぞくと数十年ぶりなもんでな。それに最近はおかしなコボルトどもが棲みついちまったせいでそれさえも怪しくなってきた」
 おかしなコボルトというのは、野狗子のことだろう。
「だがま、あんたらは人間だろうさ。それで、行商にはとても見えないが、なんだってまたこんな街道からかけ離れた場所までやってきたんだ?」
「カレアンからポルポタを結ぶ直線上にこの山と村とがあるからです!」
「はあっ? そりゃまあ、地図で見りゃそうかも知れんが……」
 答えられて却って訳が解らなくなったらしい。カレアンとはこのルザリア王国の東端にある国境の町で、ポルポタは同じく南端の港町である。両者を往来する者は数え切れないほど存在するので不思議ではないが、普通そういう場合は街道を使う。
「それで、今晩の野営地を探していたら、この村を発見いたしました、一夜の宿と食事を分けていただけませんか、勿論、お金はお支払いいたします」
「ああ、成るほどね、旅の途上の宿借りか、あんまこの辺をルートに選択するってのは聞かないが、そういうことなら、良いだろ。待ってな、今門を開けてやるよ」
 ある意味、無理に納得することにしたようである。階段か梯子かまでは外から窺えないが、櫓から降りているらしい。木材とそれを留める縄との擦れるぎしぎしと言う音が止んだかと思うと、閉ざされていた門が開かれる。
「それで、股旅興行の芸人か何かかい、あんたたちは? それにしては、王都やローヌ・アルプに抜けられる表街道をすっ飛ばして、こんなところをうろついているのには納得がいかないが」
 近くで見ると尚更タバサたちの格好が不思議だったのか、しげしげと眺めながら改めて訊ねてくる。
「いいえ。我々は旅芸人ではありません、そう勧善懲悪の旅を続ける、正義の味方なのです!」
 リンが断言する。
「あの、我々と言うことはやっぱり私も含まれている……んでしょうね、やっぱり」
 タバサは困ったように呟いて、彩芽はどうでもよさそうである。そんな彼女たちを見る男の顔には「変な奴らだな」といった言葉が大文字で墨書されていた。
「それよりも、化け物です! 野狗子……ではなく、あのコボルトに苦しめられているのですか!」
 何故か、嬉しそうである。もしそうならば、正義のヒーローである自分の仕事を満喫できるとでも考えているのであろう。
 宿などといった洒落た物などついぞ無い僻地の村である。村の中心、宿泊所代わりのアビス教の聖堂への道を案内してもらいながら、野狗子についての詳しい話を聞くに、五年程前から近くの洞窟に野狗子たちが棲みついているらしい。それに加えて、近頃ではこの村の側までたびたび出没しては、家畜をさらい、時には行商人や村人を襲うなど色々とちょっかいを出してくるまでになったらしい。
 と、歩いている彼女たちにどこかで聞いた声がかけられる。
「ありゃっ、確か貴方クーと一緒にいたタバサさんだっけ。どーも、三度目かな、ヴァンデン商会でーす、残りの二人とは坑道以来二度目だね、何か買ってく?」
「ええと、ヴァンデンホーテンさんでしたか、こんなところで何を」
「行商人のすることっていえば行商しかないでしょ、って言いたいんだけどねー……モンスターに追っかけられて、命からがら逃げ込みました。あっはっは、こぉまったね」
 そう、パット見ではあまり、困っているふうには見えないくらいに軽いノリで自身の現状を解説する。
「なんだ、知り合いか? 村としてはいい加減、塩やら薬やら、何やかやと切れかけていたもんが補給できて助かったのは事実なんだが……そもそも金がなくてな」
 ほとほと困り果てたといった顔で嘆息する。
「そっ、食料と引換えの物々交換よ物々交換。この村の特産品、毛皮とか売ってもらっても現状では捌きようがないし……どうにか脱出しないことにはジリ貧なのよねー」
 他に薬草なんかもあるけれど、これじゃほとんどお腹の足しにはならないし、と口調は軽いが言っている内容はなかなかシビアだ、なにせようは、物資枯渇による飢え死にの可能性を示唆しているのだから。
 そして、そんな二人の言葉に過剰なまでに反応したのがリンである。喜色満面といった態で気炎を挙げる。
「おお! モンスターによって閉ざされた山間の寒村、陸の孤島に閉じ込められる村人に行商人、刻々と迫る破滅の刻。あわやこれまでかと思われたまさにその時、そこに颯爽と現れるヒーロー……」
 もはや言葉にならぬのか、そこで言葉は途切れ、なにやら、感極まったように恍惚とした表情で震えている。
 流石に心配になったタバサが「……あの」と声をかける。するとそれが呼び水となったのか、痙攣もやみ再び動き始めたリンが、途轍もない大声で叫んだ。
「……燃える、そう燃えるシチュエーションです! これを救わずして何のヒーローでしょうか!! タバサさん、彩芽さん!!!」
「っは、はい」
 そんな調子で引き千切れそうなくらいにテンションの引締りまくったリンに対して、多少腰が引けた感じでタバサが応じる。
「む、まあ。このまま捨て置くのも寝覚めが悪いしの、山人料理というのもまた良さげじゃし」
 こちらは村というより料理を護る気の方が強いんじゃないかって感じで淡々と賛成する。
「この! この……ええと、この村のお名前は?」
「ん、いつもは村としか呼ばないんで、名前なんて大層なもんはないんだが……ここら辺の谷はギョレメって呼ばれてるからな、まあ村もギョレメになるんじゃないか。……しかし、寒村に破滅って、あんた……」
 リンの何気に失礼な発言に少々引っ掛かるものがあるらしい。
「では改めて、モンスターの被害に苦しむ山間の村を救う、これぞ善行です。いざ、行きましょう、ギョレメを救いに!」
 そう叫ぶと、とるものもとりあえず、タバサも彩芽も置き去りにして今来た道を逆に辿り、門へと向って駆け出した……が、すぐに引換えして来る。そしてなにやら照れたように言うには。
「すみません。そう言えば、場所を聞くのを忘れていました」
 呆れたような視線が集中する。もしこれが笑劇なら盛大にズッコケている場面だが、その洞窟まで行く道順を教えてもらいながら、どうもどうもと照れ隠しに何度も何度も礼を言う。
「あのケッタクソ悪い化物どもを追っ払ってくれるってんなら、こっちとしても否も応もないんだが……大丈夫かね、このお嬢ちゃんたち」
 この山道を普通に越えて来たという事は間違いなく実力はあるのだろうが、そこはかとない不安がある。
「まー、自分から助けるって言ってくれてるんだし任せてみたら、報酬交渉とか面倒なこともしなくていいわけだし」
 からからと笑いながら、商人らしい算盤勘定を弾き出す。
 そして、聞き終えてもう一度駆け出そうとしたリンを彩芽が引き止める。
「まあ、待て青いの。腹が減っては戦はできぬと昔っから言うであろ、一先ず今夜は腹をくちくして、山越えの疲労を回復する為にも寝所で眠っておけ。それで明朝、あの手の化生は概して夜行性じゃ、寝惚けまなこのところに朝駆けといこうではないか……それに、おぬしやわしは兎も角、タバサにはちと、きつかろうしな」
「確かに」
 と、リンはハッとして頷き、それを見たタバサが慌てて言う。
「い、いえ、そんな大丈夫ですよ」
「気に病むようなことではなし、無理はせずともよい。それにわしもいい加減に、ちと疲れておるのでな、休めた方が有難い」
 リンとタバサの同意を得ると、男をちらりと横目に見ながら言う。
「まあ、飯や寝床を提供するにやぶさかではないな、退治してくれるってんなら、なおさらだ。それに朝駆けってのはいい考えだ、そっちの赤毛のお嬢ちゃんも言うように、確かにどうもアイツら夜行性らしいからな」
「と、当の村人もこう言ってくれておる。それでは先ずはこの村の料理を、山人の食卓に上る料理を堪能するのじゃ!」

3


「山人料理を堪能するのじゃ……った筈なんじゃがな。川魚の塩漬けに燻製に干し肉……携行食糧と殆ど違わん……」
 村の集会所も兼ねる聖堂に附属する食堂にて、夕食として出された料理の皿の並ぶ食卓を眺めて、いささかがっくりとした様子で呟く。前振りなく突然やって来た身の上だ、それに食事に寝床を提供してもらっているだけ有難いとは解っているのだが、それでも期待はずれの感は否めなかった。
「そう言ってくれるなお嬢ちゃん。これでもちょっと前に比べれば、行商の姉ちゃんが持ち込んでくれた香辛料やらのお蔭で随分とましなもんになったんだ」
 彩芽の向かいに座って食前の祈りを捧げていた、あの見張りの男が苦笑しながら言うには、野狗子のせいで危なくて猟にもでられないのだとか。近場の街への買出しなどといった遠出は言わずもがなに。
 ところで、案内を終えたはずのこの男が、何故聖堂における彩芽たちの食事の世話までもやっているのかと言うと、猟師か何かだと思われたこの男こそが、何とも意外なことであるが、この聖堂の管理人を務める在俗司祭なのだという。
「それ以前に獲物が少なくなっちまった。ああ、最初の数年は別に問題なかったんだ、住み分けというか、獲物も分けあってたし、そもそも滅多に出会わなかった。それにもし、出会ったちまったとしても、むしろあっちの方が逃げやがったからな」
 それが、年を追うごとに、遭遇率の上昇が続き、反比例して猟の成果は減少していった。
 彩芽の横に座り、燻製にされたマスの切身を噛んでいたリンが首をかしげる。
「繁殖……したのでしょうか」
「多分の」
 気を取り直したのか、塩漬けにされた野菜を肴に、これはこれでと言いたげな顔で、雑穀から造られた地酒を美味そうに呑んでいた彩芽が首肯する。
 皮肉な話ではあるが、村の食糧事情に痛撃を与えている野狗子たちの徘徊や略奪の背景にあるのもまた、増えすぎたことによる彼ら自身の食糧難なのだろう、そう推測する。
「そりゃな、奴らにも同情はするが、俺たち人間としてもはいそうですか、と飢えて死んでやったり、餌になってやったりは出来ないんでな、奴らを退治してくれるんなら大歓迎だ……が、まあ何せ奴らは数が多い。無理そうなら無茶せずすぐに引き返して来な、誰もせめやしないから」
 それ、食事は楽しく食うもんだ、と司祭が結び、それからは野狗子の事は一先ずおいて、リンや彩芽の語る東洋の話や、同じく聖堂に起居するヴァンデンホーテンの語る行商先での出来事の話などを愉しむ歓談の場となった。
「あははっ、タバサさんも一緒に食事できれば良かったのにね、魔女さんの話とかも興味深いし」
 そうヴァンデンホーテンが残念そうに言うように、夕食の席にタバサの姿はなかった。だいぶ疲れていたようで、聖堂につくのもそこそこに眠りたいらしかった。
「ふむ、ひどい疲れは食欲を無くさしめるものじゃからな。……ことによると、わしらにまだ気を許しておらんのかもしれんが」
 最後の呟きは小さ過ぎて、隣に座るリンにしか聞こえなかったが。バタバタとやかましい足音と叫ぶような声が覆い被さったのも原因の一つだろう。
「司祭さま! 大変です!」
 一人の村人が転び込んでくる。随分と慌てて急いで来たらしく、ぜいはあと荒い息を吐いている。
「どうした、何があった」
 眉をひそめた司祭が、強い口調で誰何する。リンに彩芽も腰を浮かせる。一目でただ事ではないと知れた。
「あいつら……コボルトどもが、襲って来たんです!」
「何だと!」

4

櫓の上から眺めると、確かに数十匹の野狗子たちが、村を取り巻く柵乗り越えようとしたり、門に体当たりを仕掛けているところがくっきりと見えた。
「もしかして、あそこにいるの、昼間のヤクシじゃないでしょうか?」
 緊急事態として起された、より正確には聖堂の寝室まで及んだ喧騒に起きだして来たタバサが、幾つか存在する村を襲う野狗子の小集団の中の一つを指差す。その中の一匹は確かに身体のそこらかしこに真新しい傷を負っていた。
「そうかもしれませんね……もしかして我々を追ってきた?」
 同じくその姿を認めて、追いかけて止めをさしておくべきだったかと考えたリンの背中に、下のほうから声がかけられる。
「いや、そうでもない……こともないかもしれんが、あいつらがこの村に襲撃をかけやがるのは今回が初めてじゃない」
「司祭殿か」
 村人への指示を出しに村中走り回っていたはずである司祭が、梯子に取り付いて櫓を覗き込んでいた。
「かー、惜しいな。これでもうちょい魔女の嬢ちゃんのスカート丈が短かったら、結構な眺めだったんだろうが」
 慌ててローブの裾を押さえるタバサ。それを見て、からからと笑いながら、よっとばかりに櫓に上がってくる。
「っと、流石に四人は狭いか。まあ、野郎と違って俺以外は女の子だからな、幸いに」
「おぬし、呆れた生臭じゃな」
「おいおい、勘違いしてくれるなよ。俺が言ってるのはゴツイ男と違って、細っこい女の子だから多少ましだって意味だ」
 三対の疑いの眼差しに晒され閉口したように、「勘弁してくれ」と手を上げる。
「ま、よかろ。それで、指示の類はもうよいのか?」
「ああ、女子供は聖堂に、男衆は所定の位置についている。それにさっきも言ったようにこれが初めてじゃない、嫌な話だが村人ももう慣れっこなのさ。そう本当に嫌な話で……」
 流れるような動作で肩にかけていた猟銃を構えると射撃する。柵を乗り越えようとしていた一匹の野狗子がぐらりと落ちる。
「俺も、鹿やら雉やら撃つよりも、あいつら撃つ方が得意になっちまった」
「お見事!」
 リンの称賛の言葉にもう一度、「勘弁してくれ」と肩をすくめる。
「仮にも司祭が、いかに相手がモンスターだとは言え、狩猟でもない殺しの技ぁ、褒められてちゃお終いだ……と、悪い」
「い、いえ、こちらこそ考えなしで」
 しばし沈黙が流れる。
「それよりもお主ら、青臭いことをやっておる暇はないのではないのかね?」
 冷静と言うよりも冷徹な彩芽のツッコミが入る。
「っそ、そうですね。頑張りますよ、私も!」
 そう奮起してふと首をかしげる。
「はて、頑張るといっても、どう頑張れば良いのでしょうか?」
 他の三人と違って彼女だけは遠距離攻撃の手段を持っていない。楼上にて徒手空拳でどうせよと。
「ああ、お嬢ちゃんはこれでも投げつけてくれ」
 猟銃の弾込めをしながら、そう言って、櫓の隅の方に積まれた石の山を指示す。
「なるほど、印字打ちか!」
 大いに納得がいったと彩芽は頷く。投石は古来、戦場の重要な攻撃手段である。ふと見れば、そこらかしこで飛礫が飛交っている。村人たちが、野狗子を村に侵入させまいと屋根の上やら、柵の隙間やらから投げつけているのである。
「飛び道具はヒーローとしてあまり……でも、そうも言ってはいられませんか」
 しぶしぶといった感じであるが、リンもまた投石攻撃に参加する。
 その後、タバサの放つ火球の魔法や、彩芽の式神の威力もあって、村への侵入は防がれた。甚大な被害を受けて撤退していく野狗子たちの姿を眺めながらリンが叫ぶ。
「彩芽さん!」
 このまま余勢を駆って巣まで攻め入らないかと言うのだ。
「むう、それが得策か……行けるか、タバサ?」
「はい、大丈夫です」
 野狗子の巣窟となっている洞窟へと追撃をかける三人を、何となくなりゆきで見送りながら激励する。
「気をつけろよ! 俺は今村を開けるわけにはいかないんで手伝ってはやれんが、それとさっきも言ったが、もしも無理そうならすぐに引き返せ!」

5

そして、野狗子たちが棲むという洞窟。
 見張りを立てるほどの知性はないのか、それとも踏み込まれるなど露ほども考えていないのか、敗走した直後であるというのに、洞窟の中、広間のようになったところに数十匹の野狗子たちが無警戒にたむろしている。
「むむ、ここですね。1,2,3,……11,12,13,……20,21……っと結構いますね、ここはタバサさんの出番でしょうか。」
 多勢に無勢、正義感あふれる熱血の人ではあるが、無思慮に飛び込んでいくほどリンは馬鹿ではない、タバサもまた心得たもので即座に広範囲に影響を及ぼせる攻性魔法の詠唱を始める。
「わかりました、ミルト……
 ―― 空を束ねる、大いなる精霊よ!!! 吹き荒れよ『輝く風』よ! ――」
 常に傍らに寄り添う、兄弟のような風の精霊の助力を乞う。
 一瞬、大気が停止したかのような完全なる静寂が場を充たす。その後、突如として視認できそうなほどの凄愴とした荒ぶる風が洞窟内に吹き狂い、野狗子たちを制圧していく。そしてその風を背に受けたリンが野狗子の間を駆け抜ける。
「くらえっ!! はぁたぁっ!! キーーーック!!」
 既に半壊に近い状態である、鎧袖一触の言葉そのままに当たるを幸い薙ぎ倒していく。
 そうして、入り口から入って直ぐの広間に陣取っていた野狗子たちをあらかた始末したころ、奥から巨大な獣の咆哮、不気味な衣擦れと重い足音が響き、だんだん大きくなっていく。
「ふふん、どうやら首領のお出ましのようじゃなっ……と、デカイの……おまけに実に凶悪な気を放っておるわ、こやつ大分霧に冒されておるぞ」
 その野狗子は他に比べて見るからに大きかった、他の野狗子が犬だとすればこちらは大熊だ。三メートルに達する上背と、それに支えられたはちきれんばかりの筋肉、少なく見積もっても体重も五百キロ以上はありそうだった。
「ボスはデカキャラと決まっています! いざ勝負!」
 そう言うや否や、恐れた様子もなく野狗子たちの首領と見込んだ、一際に巨大な野狗子に飛びかかる。稲妻をその身に纏い、続けざまに攻撃を加えていく。
「くらえっ!!! はぁたぁっ!!!
 鳳擂爪! 雷獣脚! 止めです、今必殺の!」
 手刀から蹴撃に繋ぎ、そこから更に追撃の三角飛び蹴りを加える。
「超究ぅー星・降・脚!! 覚悟! とぉりゃあーっ!!」
 肉と岩とのぶつかり合う凄まじい音が洞窟内に響きわたり、その確かな手応えと共にリンは半ば勝利を確信した。だが、次の瞬間にはそれは脆くも崩れ去る。
「な! 効いていない」
 身体についた砂礫を払いながら、何事も無かったかのように片膝ついて立ち上がる。実際には効いていないというわけではないのだろうが、それでも致命傷には程遠い。
「ふん、次はわしの番か……さて、単なるデカブツではないというわけじゃな、この大野狗子めは。
 ―― 古言に曰く、蛇〔クサ〕薙ぐ刃、その身に受けよ霊光剣、『草薙』! ――」
 馬手に数珠を掲げ、己が身の内に凝る霧と感応の末、霊気を練り上げ昇華する。数珠を媒介として、掌から放出される仄かに煌く霊力を束ね、剣状に成形する。
 紫光一閃、牡丹の袴を捌きながら向って右に駆け抜けると、霊威の刃をもって左脛に斬りつける。
 その草やぶのような体毛もあいまって、密林に生える大木のような脚にうっすらと赤いものが交じる。しかしこれも薄皮一枚切裂いた程度で目立ったダメージは与えていない。
 不快気な叫びを挙げて僅かに怯むもそれだけで、反撃かはたまた単に食事のつもりか、その醜悪な顔に大口を開けて、その汚らしい牙を彩芽の上半身に突きたてようとした大野狗子の頭が鈍い音とともに鞠のように弾む。
 その彩芽の頭の高さという、蹴り易い位置に下がって来た巨大な野狗子の顔面を、力いっぱいに蹴り飛ばしたリンが、彩芽を庇うようにして間合いを取りつつ話しかける。
「硬いですね、この野狗子。ところで大野狗子ってそのまま過ぎませんか」
「簡潔でよいじゃろうが……あと、獣には火じゃろ」
 流石に頭を蹴り飛ばされたのはこたえたか、頭をおさえながらリンたちを睨みつけていたかと思うと、激昂の叫びを挙げながら両腕を出鱈目に振り回し襲い掛かってくる。
 と、傍目には呑気に構えていたかに見える二人の目の前で、突如として激しい火柱が立ち昇り、向かって来ていた大野狗子の体を盛大な火炎が包む。
「―― 歌えや踊れ火の霊よ、立ちはだかれよ、壁の如くに、『ファイアーウォール』 ――」
 リンと彩芽が時間を稼いでいたすきに詠唱を終えたタバサの火の魔法が発動したのである。
 酸欠と体中に負った火傷に奇怪な悲鳴をあげながら、大野狗子は洞窟の奥へと逃げ延びていく。
「む、逃げましたよ。今度は止めませんよね彩芽さん」
「無論じゃ、存分に追いかけい」
「その前に回復しておいたほうが」
 近ごろ、ツッコミ役が板についてきた感のあるタバサの一言で、ヴァンデンホーテンから入手の黄金草の葉や実にて肉体と精神の疲労を癒す一行。

6

洞窟の最奥部にて、彼女たちが目撃したのは異常な光景だった。
「うわっ、エグイ……共食いですか」
 大野狗子が雌や仔らしき小さな野狗子を捕まえては、首筋に牙をつきたてその脳髄をすすっていた。
 そして更に奇妙なことには。
「傷が治っている?」
 脳髄をすする度、肉を食い散らす度、その身に負った醜い火傷の痕跡が消え、傷が治っていく。
「むう、こやつ本格的に霧に狂っておるな」
 険しい顔の彩芽が吐き捨てる。霧の影響が強ければ強いほど、その者が孕む狂気と尋常の生物からの逸脱は大きくなる。同じく霧の影響を強く受けた魔導師として、何か思うところがあるのかもしれない。
「ですが、もう一度火を用いれば、それまでです! タバサさん」
「……それがミルトが騒いでいます」
「待て、この匂い、風くそうずか! 偶々か、狙って引っ込んだのかは判らぬが火は使えんな、わしらもまとめて爆死するぞ」
 異臭がした。「くそうず」とは臭い水、土中より生じる燃える水のことである。対して風くそうずとは、土中より発する可燃性の気体である。
「ふっ、ならば打ち倒すまでです」
 もとよりそのつもりとばかりに言い切ると、縮地術を用いでもしたかのような電光石火の踏み込みで間を詰めて、果敢に攻撃を仕掛けていく。達者の手になる豪槍の一突きのような重く鋭い蹴撃を、鳩尾や脛といった少しでも効果の見えそうな部位を狙って与える。
 なのだがやはり、なかなか致命傷は与えられない。
 それどころか、そこはやはり人間の女性の体力である。少しずつ攻撃の鈍っていくリンたちに比べて、まるでその体力が無尽蔵ででもあるかのようにひたすら攻撃を繰り返してくる。それは力任せの技も作戦もない攻撃ではあったが質量それ自体が脅威であり、大野狗子が腕を振るう度に、ブゥン、ブゥンッ、とその威力を暗示する風切り音が洞窟内に木霊する。
 とうとう疲労が足に来たのか、避けきれずに受けざるを得なくなったリンは、吹き飛ばされて体勢を崩す。そしてそれを好機と見た大野狗子は丸太の様な二本の腕を組み、双拳をリン目掛けて振り下ろす。それは単純極まりない力任せの一撃ではあったが、この膂力から繰出される攻撃だ、伝承に現れる巨人の槌もかくやという衝撃と威力を伴っていた。
 肉と肉がぶつかりあった時の乾いた音に続いて、ベキッ、グチャリと何かが無理やりに叩き潰された時に独特の、湿っぽい嫌な音があたりに響く。
 獲物を仕留めたというその確か過ぎる手応えに確認を怠り、一瞬気の逸れた大野狗子。
 そしてその一瞬の隙にその一連の動作は行われた。大野狗子の顔面を衝撃が襲う。タバサの作り出した風の槍、貫くまでには至らなかったがそれは大野狗子の視界を奪った。続けざまに更なる一撃が脚部に加えられる、暗黒の恐怖に腕を無闇と振り回してもとよりバランスを欠いていた大野狗子である、これにはたまらず転等する。
 そこに彩芽の声が響く、「今じゃ、下がれ青いの!」
 それに応じて、大野狗子に足払いをかけた余勢を駆って起き上がったリンはタバサたちの方へ一歩退き、大野狗子との間合いを取る。
「迂闊でした、少々侮っていたようです」
「痛ゥ……にしてもなんちゅう馬鹿力じゃ。一撃でわしの式神を叩き潰すとは」
『返りの風』に吹かれて出来た、右の二の腕から甲へと走る裂傷を撫でながら呟く彩芽。
 そう、肉のひしゃげるあの音はリンではなく、咄嗟に放たれた彩芽の式神・狛犬が彼女を庇って潰された音であった。
「大丈夫ですか、リンさん」
「没問題、ですよタバサさん。それよりも彩芽さんの方が重症なのでは」
「心配無用、放っておけば治る、術でも治せるがお主の分にとっておこう。まあ長刀や霊光剣を振り回すのは難しいじゃろうが、もとより わしの膂力では刃も通るまいしの。“りかばりー”も温存しておけ、それにそんな暇は無さそうじゃぞ」
 あごをしゃくり、大野狗子を指し示す。前半はリンに、後半はタバサに向けた言葉だ。
「もう、起き上がってきた……」
「大した回復力ですね、ですがこの緊迫した状況こそヒーローの登場に相応しい」
 改めてその一際大きな野狗子に『烈光』を構えて対面し、ババッと大仰な構えを取りながら、リンは声高に名乗りをあげる。
「わが名は、リン=シェンコー!!
 流派・山紫水明の流れをくむ正義の使者なり!!! いざ……」
「仕切りなおしじゃな!」
「あああ! セリフ盗られた!」
 やはり今一つ緊張感に欠けているヒーローたち。
「こほんっ、今、力の限り悪に挑戦する! 変身!!」
 その叫びと共に抜き放たれた烈光より、眼も眩まんばかりの輝きが迸り、それはやがて剣状に収束し安定する。
 だがまあ、それだけと言えばそれだけではある、別に本当に変身するわけではない、あくまでも気分である。
「はぁあぁぁぁ!!!」
 横薙ぎに叩き込まれた烈光の刃と、振り下ろされた大野狗子の拳とがぶつかり合う、一瞬の拮抗、その後除々に追い詰められていくリン。
「くぅっ!」  
 ついに大野狗子が力で押し切る、かと思われたその時、
「オン・ウーン・ソワカ! 『金剛』呪!」
 彩芽の修した『金剛』の方術によって増幅された体力によって、逆に大野狗子が押し返される。続けてタバサの『リカバリー』によって負傷・疲労も癒される。
「これで、終りです!」
 苦し紛れの大野狗子の大振りな攻撃を避けると同時に宣言する。
「正義の心が、いま嵐となってー!! はぁっ『ヒーローマックス』!!!」
 大野狗子にリン渾身の連撃、疾風迅雷の乱舞が叩き込まれていく。
「駄目押しじゃっ、『神懸』の方術、修し奉る。
 ―― 奇一奇一忽結雲霞、宇内八方護法感通。天津原より神降り給え ――」
「―― 盾の女神べべリアの眷属たち、しばしその働きを休め給え、『シールドブレイク』 ――」
 その連撃は『神懸』の方術によって益々勢いを増して行き、生物の備える護りの力を削ぐ『シールドブレイク』によって弱められた大野狗子の構えを上から問答無用に打ち砕いていく。
「はぁ! 成敗!」
 その一言と共に乱舞は終り、大野狗子は地へと伏せる。

7


「何とか勝てましたね」
「ええ。ですが、やはりもはやストライカー1号ではこの先きついかもしれません。何か方策を考えないといけません」
「その、烈光とやらではいかんのか」
「いけませんとも! 『ここぞ!』というところで抜くから格好いいのです。それによい機会です、ヒーローにパワーアップはつきものですからね」
 ふふん、と何故か得意気に笑う。おまけに今使っている武器に性能の限界が見えてきたと言うのに嬉しそうである。
「そういう問題なのでしょうか」
 何かが激しく間違っているような気がするのだが、短い付き合いとは言えリンの性格はわかってきている、きっと彼女的にはそれが正解なんだろうな、と思うことにした。と言うより、思うしかない。
 さておき、そうして谷に平穏を取り戻し、村を救った彼女らはギョレメの村に戻るのだった。

 そして……

 村を救った英雄として、備蓄物資を放出しての大宴会を今度こそ堪能した翌日、タバサたちは再び旅程の人となっていた。
「っはぁ、はぁ……折角、普通の街道があるのですから、私たちもヴァンデンホーテンさんと一緒に行っても良かったのでは」
 この後、近道をした筈の彼女たちは、先に到着していたヴァンデンホーテンとリトルモントの森にて再会することになるのだが……その時、タバサがどう思ったかはさだかではない。

〈了〉



●『所感あるいは言い訳のこと』

 まずは申し訳御座いません、「LADY PEARL」の原作者である、「紫部 唯」様ならびに、私以外のファンの皆様。
 書きたいという情熱に任せて……ええと、大分好き勝手書いていますね、どうにも。皆様の懐いておられるであろうイメージを破壊していたり、面白くなかったらそれはひとえに私の責任です。
 キャラが違うような気がする……ああ、Vホーテン女史にいたってはその口調から思い出せないし……
 そして、東洋人二人ってことで、敵も東洋の古典『聊斎志異』よりご登場ねがいました。
 野狗子がこの世界にいるのかどうかしりませんが……
 返りの風が……(以下同文)……
 風くそうず=天然ガスが……(以下同文)……
 凌小姐の「魂の辞書」云々、ゲーム本編のタバサとの出会いの際に逃げてるやんってツッコミは無しの方向で。
 タバサさんは魔法攻撃力はあっても戦闘の経験は薄いから気配なんかは察知できないと思うんですよね、それとも精霊さんが教えてくれるのかな。

 ところで、ギョレメというと現実世界ではトルコのカッパドキアにある、ギョレメ渓谷が思い浮かびますが……というか、これが元ネタなわけですが、イスラーム世界の中に在ってキリスト教徒が隠れ住んだと言われる土地柄、作中のオリジナルキャラクターが在俗司祭なのは何か関係があるのでしょうか?
 これがまあ、何故、疑問系にするのかというと、本人にも解らないからなんですよ、聖堂内での食事のシーンを書いてるうちに、ふと気付くと在俗司祭になっていた、恐らくは彼が猟師などの普通の村人だったとすると生じる、聖堂の管理者ではなく彼が饗応していることの不自然さを解消したかったのではないでしょうか。
 いっそ、この司祭殿、追撃戦にも参加させようかと思いましたが、二次創作として、オリジナルキャラクターを活躍させすぎてはいかんでしょう、やはり……もう、手遅れのような気もしますが。

 なお、彩芽様やタバサさんの魔法・方術関係の多くは、基本的にゲーム本編の説明文に準拠しつつ、呪文・祭文、返りの風といった部分は「いさな」が勝手に作らせて貰いました。それによって生じるあらゆる種類の問題の責任は全て「いさな」に存在しております。


○文庫

諸権利者.淡海いさな|落成.2006.01.04|定礎.2005.12.29