近ごろ、わたしは夢を見る。
あたしは酒場の歌姫だ。
自分で言うのもあれだけれど、身体つきは艶やかで、顔だって良いほうさ。
けれど、歌はそんなに上手くはない。
だって、そうだろう。
もしもホントに上手かったらこんな処で燻ぶってやいないよ。
……ごめんってば。
ん……どうしたのかって?
酒場の女将さんに怒られたんだよ、「こんな処で悪かったね!」ってさ。
ホント、今更だけれど、あたしは言うほどに此処は嫌いじゃない。
客の殆どは、あたしの歌より、腰と太股に興味のあるような、ゲージュツの何たるかも判らない助平なおっさん達だけれど。
……ごめん、知ったかぶったね、あたしだってゲージュツなんてコーショウな代物は判らないよ、ただ好きに歌うだけさ。
それで、聞きに来てくれる愛すべき酔払いどもがあたしの恋人たちだった。
もちろん、本物の恋人も別に居るけれどね。
……うるさいね!
酔っ払ったおっさん連中が冷やかして来やがったのさ、ったく、そうだよ、目下喧嘩中だよ。
やれやれ……。
けれど、最近夢を見るんだ。
その夢の中のあたしはさ、お上品で病弱な、夫の帰りを待つ物静かなお嬢さんなんだ。
笑っちゃうだろ、あたしの柄じゃないよ。
恥ずかしいね、そりゃさ、あたしも昔は少女だったからね、お姫様に憧れた事くらいあるさ。
ん、誰だい、信じられないなんて、言った奴は!
……まあ、いいさ。
けれど、こんないい歳して、おしとやかな深窓のお嬢さんになった夢見ることはないだろう。
……いや、違うね。正しくは、あたしが、わたし、じゃないんだよ。
このわたしってのは夢の中のお嬢さんのことだよ。
何て言ったらいいのかね、あたしはこのお嬢さんの人生ってお芝居を舞台袖から眺めているって感じかな。
このお嬢さんが何をしたのか、それでその時に何を思っていたのかが、全て解るんだ……実感がなくね。
……少し、少しだけなんだけれどね、実はあたしはこのお嬢さんが羨ましいらしい。
あたしは、あたしだからね、今更お上品にはなれないけれど、やっぱり男はこういう待つ女に弱いんだろうか、って思うんだ。
つまり、喧嘩の理由はそれなんだけれどね、デートの途中におしとやかそうな女に鼻の下のばしてやがったのさ!
ったく。男って奴は。
最近、あたしは夢を見る。
わたしはとある貴族の妻です。
夫とはお定まりの政略結婚で結ばれました。
自分で言うのもあれなのですが、教養も家柄もありますし、夫は優しい人です。
けれど、身体はあまり丈夫ではありません。
……子供を産むことは出来ないかもしれないとお医者様には言われています。
だからでしょうか、夫はわたしを大切に扱ってくれます。
それはもう、人形か玻璃細工の壊れ物を扱いでもするかのように。
ですが、わたしは人形でも硝子でもありません。
人間なのです。女なのです。あの人の妻なのです。
ぎゅうっと抱きしめて貰いたいのです。
近ごろ、わたしは夢を見ます。
その夢の中のわたしは、なんと驚くべきことに酒場……と言うのでしょうか?
殿方、まあ稀に女性もいらっしゃいますが、その方たちにお酒を出すお店ですね。
カフェのようなものなのでしょうか? カフェならば主人もお友達と良く出かけるのですが。
わたしも一度行ってみたいとは思うのですけれど、ほら、女のカフェ通いだなんてはしたないでしょう。
あっごめんなさい。話が逸れてしまいましたね。
その夢の中のわたしは、彼女はあたしと言いますけれど、酒場で歌を歌うお仕事をしているの。
女性が働くだなんてはしたない、世も末だ、なんて仰る方も沢山いますけれど、わたしは憧れます。
わたしが昔から身体が弱かったからでしょうか、声もか細くて、歌うこともままならなかったから尚更に歌を仕事にするだなんて。
くすっわたしったら羨ましがってばかりですね。
羨ましがりついでにもう一つ言えば、この方は今、喧嘩をしている恋人がいるのだけれど。
くすくす、傍から見ていると良くわかるわ。
彼女達がお互いをどれ程大切に思っているかが、本当、羨ましい。
……わたしも、夫と喧嘩できるくらいに健康だったらな……。
わたしは今日も夢を見た。
夢のわたしは、こんなあたしが羨ましいらしい。
あたしから見たら、あんな喧嘩ばっかりのロクデナシよりも、お嬢さんの優しい旦那の方が羨ましいけれどね。
ホント、おかしな夢だよ。
もしかして、これはあたしの理想が見せた夢なのかとも思っていたんだけど。
なんなんだろうね、今の自分はあんな素敵な夫婦に羨ましがられるくらいに良いもんなんだよって、ことかしらね。
……嘘臭!
……馬鹿なこと考えてたら、も一つ馬鹿が来たよ。
……何よ?
……えっ、この前は悪かった、お詫びに今からもう一遍デートしよう。
し、しかたないわね。
それでデートを仕切りなおすことになった。
……それにしても、こいつ、何処でこんな物仕入れてきたのよ?
それはあたしらから見れば分不相応も甚だしい、かなり上等な部類に入る劇場のチケットだった。
あたしは今日も夢を見た。
本当に、不思議な夢。
彼女が本当に居るかのよう。
わたしも、同じように感じていたのだもの。
……あら、夫がやって来たわね、どうしたのかしら、あんなに、ニコニコとして。
……え、まあ! この夢は正夢の一種なのかしら。
夫の手には、確かにチケットがあったの、あの人の恋人が持ってきた物と全く同じ劇場の。
席のランクは違うみたいだけれど。
……そう、楽しそうですね。いいえ、構いませんわ、あなた。
わたしは嬉しかった。夫はわたしの身体を気遣いつつも退屈だろうと、ずっと気に病んでいてくれたらしい。
一緒に劇場に行こうにも、あまり遠くでは身体に障ると考えて、家格を損ねず、なおかつ可能な限り近いところを探し出してくれたらしい。
彼女たちは夢を見ていた。
若い恋人達が劇場の前に立っている。
奮発したものの少し気後れしているらしい。
と、劇場の前へと馬車が走ってくる。
馬車から若い夫婦が降りてくる。
「「えっ!!」」
恋人達と夫婦の内、女性同士の目が合った。
そして異口同音に叫びが上がる。
「あなたは!」
「あんたは!」
今の彼女たちは夢を見ていない。