華に焦がれる

○詩集


静寂の空に風吹き渡り、驟雨の雲も今は早や、曳曳としていと遠く
しとどに濡れる草々のむせ返るような碧の中にそれを褥と腰を下ろす
肌着に染込むその冷たさに不快と覚えて苦笑して、悔いたとばかりに天を仰ぐ


嗚呼、嗚呼、何という、何という
丘の上より天界を見渡した時、その一瞬に装った悔悟などは跡形も無く霧散した

夕べの陽が沈み往く、紅く、緋く、尽きせぬほどに、狂おしいほどに赤き残影をあとに

嗚呼、物寂しや、物悲しや、物恋しや
定かならず常ならず寄る辺も無き慕情が押し寄せる
我が身、我が意をしとしとと蝕み、きゅうきゅうと締付ける

その焦がれ求めるべき対象すらも見出せぬ理不尽なる慕情がこの身を満たし侵し尽くす

やがて、その天に咲いた絳英も枯れいき、追いて素英が咲き零れる

仄かに白い月は未だ微睡みの内に、楚々とした装いの星々を伴い粛々と来たれる
暴虐なる陽光は去り無慈悲なる妖光が世を照らす、冴え冴えと深深と

嗚呼、物寂しや、物悲しや、物恋しや
天上に咲ける一輪の白華よ、我は汝にこそ焦がれるべきであろうか
それとも汝の被る花冠にか、汝の随える従者たちにか

だがもとより人の身に過ぎぬ我の腕、我の手が
天高く遠き汝らに届く筈もなく、尚更に想いは募りいくばかり


無論のこと、厳然たる宇宙の物の理を長々と紐解き論じるまでもなく
恒星は独り輝くもので、月とは何らの所縁とて無きことは自明のことだ

然し乍ら、こは詩人の語る事
詩の宇宙、感性の世界に属する事象だ、物理を以って論じるも詮方の無きことと思しめせ
詩神の統べる宇宙にては陽が月を伴って星は月に随い
風の懐、水の彼方に精霊が数多棲うが世の道理と


華に焦がれる愚か者は狂熱に浮かされて夜通し月と星を眺め続ける

やがて、その天に咲いた素英も枯れいき、追いて絳英が咲き始める

最早陽も昇り、月は去った、あとにはただため息が聞こえるばかり
焦がれることはある種嬉しい、だが叶う事なくば絶望でしかない


一転、下界へと眼を移す


陽の光に照らされる鮮やかな色たち
最早雨とも夜露ともつかぬ雫に濡れる緑の中に、綺羅と輝く一輪の花

万緑叢中紅一点

王宰相の柘榴かと
苦笑して後に気づく狂乱から醒めたことに

ひとりごちる
この紅き花には手が届こう、届かなければ足を伸ばせば事足りる

ふわ、と欠伸が零れる

〈了〉


<注記>

『絳英』……紅い花 『素英』……白い花 『王宰相』……王安石のこと。詩中の「万緑叢中紅一点」は王安石の「詠柘榴」に拠る。

○詩集

諸権利者.淡海いさな|落成.2006.01.04|定礎.2005.12.29