【 依頼 】

 秋風に乗って弦楽器の調べが流れます。
 いつもは陽気なホビット族の辻音楽家が奏でるヴァイオリンの音色も、この季節にはどこか物悲しく、幽玄に、水辺にこだまする女のすすり泣きを思わせました。
 そんな早秋のある一日のこと、ドワーフの職人カルロ親方の工房に来客がありました。
 整った顔立ちで、仕立ての良い魔術師の法衣をまとう、銀髪の貴公子然とした三十歳ほどの人間族の紳士です。カルロ親方もよく知るとある貴族からの紹介状を携えたその人物は、自らをエイナリュー・エルベッタと名乗りました。
 エルベッタという姓にはカルロ親方も聞き覚えがありました。
 サリエリのフェイン家や〈高踏魔術〉のエグゼクテス党、秘術師のテルラムント派と並んで、クラシク地方に広く知られた魔術師の一門です。中でもエルベッタ家は宮廷魔術師や著名な賢者を何人も輩出している名門でした。
 目の前の貴公子もまた王子だったか王弟だったかは忘れましたが、王族の誰かの宮廷に仕える宮廷魔術師ではなかっただろうか。たしか、そんな話を誰かから聞いた気がしました。少し考えて気付きました。そうだ、なんのことはない、紹介状を書いた貴族、シューマンのクレシェンド侯から聞いたのです。
「《冬の月》殿だったか、王太子宮付き宮廷魔術師の」
 礼儀を失しない程度にカルロ親方は笑いました。
「大カルロ(マグヌス)。所有者のクサレ坊主めが、さんざんに自慢たらしく見せびらかしてくれたが、そなた、いつか『燭光祭の夜』と題する作品を仕上げたであろう。私の陳列室を飾る物ではないのが悔しいが、名品に対して賛辞を惜しむつもりはない。見事な品だ。中でも圧巻なのは地上の蝋燭との対比として、それ以上は下品になるギリギリのところまで誇張された天上の月だが……ふふん、私はその月の化身のような男を知っているぞ。ゆえに私は、その者のことを《冬の月》と呼んでいる」
 クレシェンド侯曰く「月の化身」とのことですが、「なるほど」と思いました。
 それはどちらかと言えば、カルロ親方の技巧に対する婉曲な、親愛の揶揄という側面をこそ強く備えていたのでしょうが、確かに冬の夜空に懸かる冴えざえとした月を思わせる人物です。
「そうです。ああ、いえ、《冬の月》かは知りませんが、王太子殿下にお仕えする者です」
 それが自分を指していることはわかっているが、侯がなぜ自分をそのような『称号』で呼ぶのかがわからないのでしょう。称号で呼ばれるのは困惑する、けれども、誇らしい。あまりにも微かなもので、おまけにすぐに押し隠されてしまいましたが、エイナリューは一瞬、照れたような表情を浮かべました。そこはむしろ《春の月》かもしれないな、とカルロ親方は思いました。
「それとして、自分の身分を知っておられるならば話は早い」
「ふーむ。つまり、それは、あんた……ああ、いや、あなた自身の用向きでいらしたのではなく、クラシクの王太子さまの御用ということでよろしいのですかな?」
 期待と恐怖に、柄にもなく緊張するのがわかりました。貴族や豪商からの依頼はなれたものでしたが、流石に王族からの依頼は稀です。名誉なことではありますが、滅多なこともできません。そうであって欲しいような、違っていて欲しいようなもどかしい迷いを覚えます。
 しかし、エイナリューはカルロ親方のそんな逡巡には頓着してくれませんでした、あっさりと肯定します。
「その通りです」
「むう」
 カルロ親方は、飛び出しそうになるうなり声を口の中で噛み潰しました。
「王太子殿下はこのほど魔術書――『力ある名の書』の彩色写本の制作を考えておられるのですが、その装丁と挿絵のうち、版画についてを貴方に任せたいと仰せです」
「光栄なことです。それで、版画について、ということは他にも誰か、細密画(ミニアチュール)を担当する絵師などがいるわけですな」
「はい、彩色絵師に関してはアイレンベルクのレオンハルト・ダーヴィッツを、写字生には当代随一の書道(カリグラフィー)の権威である《真名翰》メルラン・シルヴェスト教授をそれぞれ起用するお考えです」
 その名前にカルロ親方は眼を丸くしました。
「ほう。気鋭の天才画家に書聖と名高いシルヴェスト師をですかな! 貴族の方々が工房を一つ召し抱えるという話ならば、しばしば聞きますが、いやはや……
 王族のやることというのはスケールが違います。それは、既に存在する写本工房に依頼したり、それと独占契約を結ぶなどという次元の話ではなくて、それぞれの分野における最高の人材をわざわざ集めて写本の制作に従事させると言うのです。
 それも相手が断るなどと考えてもいないようです。あるいは、断らせるつもりなど元からないのでしょう。そして、実際、カルロ親方はもうすっかりと乗気になっていました。王族からの依頼を名誉と感じたのもありますが、レオンハルト・ダーヴィッツとメルラン・シルヴェスト、現代の芸術と文学の領域における最高級の人材と一緒に仕事ができる、なによりもそれと並んで論じられているという事実こそが、カルロ親方の職人として、創作者としての誇りを大いに刺激したのでした。


解説

 特に何か物語としての意味のあるわけでもないのですが、日和さん(レオルディスPL)他とエルベッタ家の先祖がどーたらこーたらと話していて、思いついたシーンを描写してみました。
 時代背景としては、現代(大陸暦370年)から遡ること5〜70年ほど前、まだ貴族が大きな力を持っていた四世紀初頭、都市同盟の独立前夜のお話ですね。より大きなお話の一場面を切り出した、という感じでしょうか。
 作中言及の魔術書『力ある名の書』の所出は、Coさん(ペルセフォネPL)作の小説『夢の翼』からです。こっそりと小道具として使わせてもらいました。他にもどこかで見たような家名が頻出してますが、そこらへんは多分にシャレです。

追記 2008.11.01.

 上でシャレと言ったように、最初、メルラン・シルヴェストの存在は、「後で何かに使えるか?」とほぼその場の思いつきで加えた物だったのですが、その後、エイミア=シルヴェストPLの Fake さんと話すうちに、彼女の設定のうち、それなりに重要な部分を占めるようになりました(シルヴェスト商会の創立者であり、エイミアの祖父)。
 そういう意味では、エルベッタ家よりも、シルヴェスト家に与えた影響の方が多い一篇となりました。
 ちなみにレオンハルト(・ダーヴィッツ)はレオンハルトで、「水底の夢」の方に出てくるアーネスト・ダーヴィッツの祖父であったりします。作中最初の方にチラッと名前だけ出てくるのですが、オルランドがアイレンベルクに向かったのは、そもそも彼の絵を見るためであったりします。ディアロはそれに付き合った。
 ここまで来ると余談も過ぎる気がしますが、そのうちにここらへんのネタも回収したいものです。


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